水の星、世界を手に入れる男
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『水の星、世界を手に入れる男』
第33話 総督エルバート

 エルバートはヤコフと会談した。

 まずはヤコフが切り出した。
「現在のところ、統治は順調と言えます。これは、領民の多くがエルバート殿下を解放の英雄と捉えているからに他なりません」
「…………」

 ノアを中心とする参謀団は、民衆に対する宣伝戦略を重視し、世間へ向けて情報を流し続けた。
 主には侵攻の経緯についてだが、特に強調されたのは次の2点である。
 エルバートが周囲の反対を押し切って、旧カーライル領すべての奪還を強行したこと。
 さらには独断で新領土に有利な条約を結び、本国に睨まれていること。

 自分の身を顧みず祖国解放を実現したエルバートは、新領土の民衆からすれば まさに理想の英雄だった。

 実際のところは、ラナひとりを救うために強引な侵攻を続け、ヤコフに大幅な譲歩をしたのもその一環に過ぎなかったが、それはエルバートの内心の問題でしかなく、他者が知り得ることではない。
 旧カーライル領すべてが解放され、占領地としてではなく祖国として復帰を果たしたのは、本国の意向を無視したエルバート個人の判断によるものであり、これは紛れもない事実である。
 全くの虚偽であれば、不思議とどこかから情報が漏れてしまい、いずれは民衆に見透かされることになるが、真実であるからには何の問題もなく、宣伝効果も十全に働いた。

 ヤコフとの条約を勝手に結び窮地に立たされている状況も、英雄崇拝を後押しすることになった。
 責め立てる本国が悪役として見られるようになり、エルバートに同情が集まったのである。
 本国への敵対心も加わり、新領土の民は、解放の英雄エルバートを熱狂的に支持した。

 ですが、とヤコフは続ける。
「強盗や強姦などカーライル兵による犯罪が目立っております。カーライル兵からすれば、長年 争ってきた相手に明確な勝利を収めたのですから、増長するのは必然と言えますし、略奪を禁止されて鬱憤が溜まっているという事情もあるのでしょうが、ここは厳しく罰することによって我らの姿勢を示すべきでしょう」

「そうだな」
 エルバートは頷いた。
「領民の支持なくして統治の安定は不可能だ。法によって略奪を禁じていても、個々の兵がそんなことをしていたら意味がなくなる。憲兵の増員を検討しよう」

「できれば、憲兵の権限強化も」
「そこまでする必要が?」
「将校クラスが犯罪に荷担していた場合、憲兵隊が満足に動けないことが多いのです。先日も、民家が襲撃されたという事件がありまして、犯人のひとりにカーライル軍の航海長が含まれていたのですが、未だに逮捕できていません」

「航海長が犯人だとする根拠は?」
「憲兵が駆け付けた時に、まだひとりの兵が近くに残っており、村娘を犯していたのです。憲兵がその男を捕らえ尋問すると、航海長の名前が挙がった次第です」

「だったら航海長も捕まえて尋問すればいい」
「憲兵隊はそうしようとしましたが、航海長が取り調べを拒否したため、今も手が出せません。サヴィン島における憲兵の権限とは、その程度のものなのです。これではカーライル兵が増長するのも無理はないでしょう」

「よし、権限の強化については早急に取り組もう。ところで、その航海長の名前は?」
「エルバート艦隊所属、第3艦のクレイグ航海長です」
 ヤコフは若干 言いにくそうな様子を見せたが、エルバートは眉ひとつ動かさなかった。
「分かった。では、そのクレイグ航海長とやらの罪が確定したら、首を刎ねろ」
「いえ、そこまでは……」

「現在 領民がおとなしくしているのは、俺を解放者だと認識しているからだ。軍の無法を野放しにしていては、そこが崩れてしまう。カーライル軍の評判が落ちるというのは最悪の事態なんだよ。絶対に避けなければならない。軍人の犯罪は極刑を持って望む」
「本当によろしいのですか」
「クレイグ航海長の首を刎ねたら駐屯所に晒しておけ。文句を言う奴が出てくるだろうが、俺の名を出して黙らせろ」

 エルバートの命令には別の意図もあった。
 外国人の登用に積極的なカーライル王国といえども、降伏したばかりのヤコフに発言権はあまりない。
 エルバートは、ヤコフの立場を強化してやるために、あえて彼に強権を振るわせようとしているのだった。

 そうすれば、ヤコフが俺の信頼を得ていることくらい、馬鹿でも気付くだろう。余計な敵を作ることにもなりかねないが、ヤコフを重用し、かつ恩を売ることは、今後のためになるはずだ。
 エルバートはそのように考えていた。

「承知致しました」
 説明されるまでもなくヤコフはすべてを理解した。
 エルバートがどんな計算をしていようが、厚遇されていることは事実であり、そこに不満はない。素直に感謝していた。

 それにしても、と老軍人は思う。殿下には迷いがまるで見られない。
 正しいことをしているうちは良いが、間違った方向へ行こうとした時はどうなるのだろうか。
 彼の決断力が周囲にとって仇となる日が来ないとも限らない。

――――

 会談の途中、エルバートは入り口に目を向けた。
 扉の近くに置かれた椅子に、ヤコフの秘書官が座っている。

「どうかしましたか?」
「いや……」
 ヤコフの問いに曖昧な答えを返してから、エルバートは意識して視線を戻した。

 本来なら、あの椅子はラナの指定席になるはずだった。エルバート付きの世話役に用意された椅子だったのだ。
 だが、現在は特定の席ではなく、たまたま近くに居た者が腰を下ろすために置かれているだけの、ただの椅子に過ぎない。
 それだけのことだ。
 あんなものにこだわっていても仕方がない。

「ところで、ヤコフ」
 エルバートは話を戻した。

――――

 新領土の総督となって以降、エルバートは頻繁に会談を行った。

 その相手は、ヤコフのような重鎮に限らなかった。どれほど地位の低い者であろうと一切構わず、面会の希望には無条件で応じた。僻地の行政官による些細な陳情さえ例外ではない。
 エルバートは下級官吏の言葉を熱心に聞いた。会談がいくら長引こうとも、まるで嫌な顔をせず、逆に自分から質問を繰り返し、積極的に関心を示した。

 会談には、必ず事前知識を頭に叩き込んでから臨んだ。そのため、エルバートの質問は常に明瞭で、面会相手は初歩的な説明をせずに済んだ。
 総督であり王族でもあるエルバートに話を聞いてもらえた者は、それだけで満足する。
 さらには、エルバートの態度が予想外に誠実であることに、面会者の多くが感銘を受けた。
 こうした彼の姿勢には側近たちも大いに好感を抱いた。

 ただ、王都の風聞は、この実情に沿うものではなかった。
 かつて駄目王子と揶揄されていたエルバートが突如として華々しい戦果を上げるようになった。本国の認識はその程度である。
 現在の熱心な仕事ぶりはまだあまり伝わっていない。
 戦場では活き活きとしていても、平時の怠け癖は抜けていないはず。誰もがまずはそう考える。

 新領土の役人たちも最初はそうだった。
 実際に対面して、それが間違いだと分かった時、彼らはこう考えた。
『エルバート殿下は奇跡を起こしただけではない。心を入れ替え、実直なまでに仕事に励んでいる。それを知っているのは自分たちだけだ。本国の連中は分かっていない』  このような心情が優越感に繋がり、エルバートへの支持を更に強める結果となった。


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