水の星、世界を手に入れる男
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『水の星、世界を手に入れる男』
第32話 補佐官オリヴィア

 廊下を歩いている途中、デュークはオリヴィアに遭遇した。

 オリヴィアは、にこやかな笑みを浮かべた。
「あら、これからお休みになられるのですか?」
「ああ」
「ではお部屋まで案内しましょう」
「申し出は有り難いが、遠慮しておくよ。場所は分かっている」

「そうですか。ところで、エルバート様とはどんな話をなさったのですか?」
「あなたには関係のないことだろう」
 デュークは素っ気なく言った。オリヴィアの思惑を察していたからだった。
 適当に会釈でもして通り過ぎればいいものを、わざわざ彼女が足を止めたのは、エルとの会話内容を探るためだろう。

 オリヴィアの望みを叶えてやる理由はどこにもない。
 デュークはその場を立ち去ろうとした。
 しかしオリヴィアが行く手を遮った。
 あまりに自然な動きであったため、意図的に歩みを妨害されたのだと気付くまでに、わずかな逡巡を必要とした。

「何のつもりだ?」
「ひとつ言っておきたいことがありまして」
「…………」
 疑問が湧いた。
 言いたいことがあるのなら、なぜ最初に言わなかったのだろう。勿体ぶった方が印象に残りやすいからだろうか?  この女なら有り得ることだ。
 デュークは警戒を強めた。

 こうなると、進路を塞いできたことにも意味があるように思えてくる。
 彼女は、僕が話を切り上げてこの場を離れようとするのをわざわざ待っていたのではないだろうか。その上で足止めすれば、今から話す内容も記憶に残りやすくなる。つまりは彼女の意図通りになる可能性が上がる。

 考えすぎているだけなのかもしれないが。
 話を切り出すタイミングが遅れただけかもしれないし、本当にたった今 思い付いただけなのかもしれない。

 オリヴィアは正面からデュークの目を見つめた。
「エルバート様のやる気を削ぐようなことを言うのはやめて頂けませんか?」
「どうしてそんなことを言う? まるで僕とエルの会話を聞いていたような口振りじゃないか」
「あなた様の思い詰めた顔を見れば、おおよそ分かりますわ。まあ、顔を見なくても、やはりおおよそのことは分かりますけれど」

「なら、今のエルが危うい状態であることも分かるだろう。側近のあなたが止めるべきだ」
「止める必要があるのですか? 仕事熱心なのは良いことでしょう」
「蘇生魔法を探すなんて、ただの現実逃避じゃないか」
「王になるための努力を惜しまないのであれば、この際、動機は何であろうと構いませんわ」
「あんなのがいつまでも続くもんか」
「決め付けることはないでしょう。このまま最後まで覇道を邁進するかもしれません」
「本当にそう思う?」
「さあ、どうでしょう」

「あなたは出世さえできれば良いのかもしれないが、少しはエルのことも考えてやってくれ」
「もちろん考えていますわ」
「ならいいけど……」
 オリヴィアの言葉を信じたわけではないが、他にどう言えば良いのかデュークには分からなかった。

――――

 去っていくデュークの後ろ姿に目をやりながら、オリヴィアは口元に冷笑を浮かべた。
 無能というわけではないがさほど秀でたものがあるわけでもない彼の言うことなど、取り合う価値はない。オリヴィアはそう思っていた。

 凡人が嫌いというわけではない。むしろ愛している。
 凡人が存在するからこそ、才ある者は輝ける。劣った比較対象が居るからこそ、有能という言葉が使えるのだ。
 周りが凡人ばかりであれば、才人の重要性が増す。引き立て役は多ければ多い方が良い。
 ゆえにオリヴィアは凡人を愛してやまない。

 先程は、凡人たるデュークに、何やら内心まで踏み込んだことを言われたが、オリヴィアは全く気にしていなかった。
 身の程を弁えない愚かさも凡人の特徴であるからだ。ならば、見当違いの発言も愛するべきだろう。
 愛すべき凡人の愛すべき言動をオリヴィアは許した。
 話の内容を咀嚼することもなかったが。

――――

 執務室に戻ったオリヴィアを迎えたのは、書類を捲る音だった。
 ついで、エルバートが顔を上げる。
「遅かったな」
「ええ、まあ。司法官がなかなか首を縦に振らなかったものですから」
「あの爺さんか。仕方ない。あれは頑固者だから。しかし彼の頭にはカーライル王国の法律がすべて詰まっている。貴重な人材だ」
「口も達者ですわ。丸め込むのは大変でした」

「こっちも書類の確認は半分ほど終わったぞ。たぶん、日が沈む前には全部 片付くだろう」
「もうそこまで?」
「確認するだけだからな。必要な要点だけに目を通していけば、大した時間は掛からない」
「仕事が早いですわね」
「お前ほどじゃない。ここ最近になって初めて事務処理を真剣にやったんだが、思っていたより上手くいっていない」

「ご自分を私と比べるのは早計というものですわ。私は今までエルバート様の宮廷行事を仕切っていましたが、他にも様々な部署に出向いて手伝いをしていましたから、こういう仕事には慣れているのです。その差でしかありません」
「そんなものか」

「私の見る限り、あなた様は誰よりも覚えが良いので、すぐに慣れるでしょう。そのうち内政でも辣腕を振るうことができるようになるかもしれません」
「調子の良いことを言うな。お前に褒められると気分が悪くなる」
「本心からの言葉ですわ」

「とにかく慣れないことをして疲れた」
「昨日から寝ていないせいではありませんか? 財務官と朝まで協議をしていたと聞きましたが」
「かもしれん。少し寝ることにする」
「それがよろしいかと」

「1時間経ったら起こしてくれ」
「たった1時間ですか?」
「本格的に寝るのは書類を片付けてからだ」
 エルバートはソファに身を投げ出すと、すぐに寝息を立て始めた。

「…………」
 オリヴィアは、エルバートの寝顔を見下ろしながら、デュークの言葉を思い出した。
 『あなたは出世さえできれば良いのかもしれないが』  確かそんなようなことを言われたのだったか。

 とんでもない誤解だ、とオリヴィアは思う。出世だけで満足できるはずはない。たとえ宰相になったとしても満たされない。
 宰相では、権力が一代にして途切れてしまうこともある。
 私の目標は、皇后となって権勢を振るうこと。そして、自分の子供に王位を継がせ、エアハート家の地位を安泰のものとする。そのためにエルバートに身体を差し出したのだ。

 処女を捧げた時のことをオリヴィアは忘れたことがなかった。
 緊張に身を硬くしている中、足を開けと言われてその通りにすると、エルバートに太ももを捕まれて、さらに大きく開脚させられた。
 こんなにも足を開くものなのかと戸惑っている間に、無防備な股間を弄くり回された。
 零落れたりといえど伯爵令嬢として生きてきた身には、屈辱この上ないことだった。

 最近は、なぜかそこまで嫌だとは感じなくなってきた。
 単なる慣れであるのか、あるいは抱かれて情が移ってしまったのか、自分のことながらオリヴィアには分からなかった。


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