水の星、世界を手に入れる男
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第一章 第二章 第三章
『水の星、世界を手に入れる男』
第31話 新領土

 旧ベリチュコフ領の総督には第二王子エルバートが任命された。
 彼自身は直轄領を持っていないが、各地の領主に対する命令権・監督権を有しており、その権限は極めて大きい。
 エルバートは強大な権力を手にしたのである。

 しかし、これらの決定は、数々の独断専行に対する正式な処分が下されるまでの暫定措置でしかない。
 ヤコフ・サヴィンの降伏を受け入れたこと自体に問題はなかったが、その条件が破格に過ぎた。
 領地の安堵。伯爵位の授与。領民に対する身分と財産の保障。
 さらにエルバートは、ベリチュコフ王国との同盟を自らの判断のみで決めてしまった。
 全く言い逃れのしようがない状況だった。

 ところが、エルバートを早急に処分しようという動きはなかった。
 彼の軍事的才能は、今や多くの者が認めており、軍事大国ベリチュコフへの備えとして殿下を新領土に留めておいた方が良いのではないか、と貴族の大半が考えていた。
 実際には、同盟が成立している以上、ベリチュコフが今すぐに再侵攻してくる可能性はほとんどないが、軍神レイラの脅威が貴族たちの心に刻み込まれているせいで、彼らは必要以上の警戒心を抱いてしまうのである。

 皮肉にもエルバートは、レイラを取り逃がしたことにより、総督の地位を保っていられるのだった。
 むろん、剥奪の日が先送りされただけに過ぎないのだが。

 エルバートは現状を正確に理解していた。
 いずれ俺は地位を失うかもしれないが、少なくともあと数ヶ月は安泰でいられるだろう。その間に、行政面における才幹を示さねばならない。父上の許しを得るにはそれしかない……。

 戦争の才能だけで国王たる資格があると強弁できるほどエルバートは愚かではなかった。
 むしろ政治に長けている方が一国の指導者に向いている、とすら彼は思う。

 サヴィン島に戻ったエルバートは、この島に旧ベリチュコフ領の総督府を置き、本格的な統治を始めた。

 サヴィン島を治めているヤコフ・サヴィン伯爵と、未だ領地を持っていない戦姫ベアトリス・ハルは、今のところエルバートの直属となることを本国から認められているが、これも彼自身の処遇と同じで、いつまで続くかは分からなかった。

――――

 最後の一枚に署名をしたエルバートの目前に、新たな書類の束が置かれた。
「まだあるのか?」
「各島からの陳情は先程ので最後ですわ。こちらは、サヴィン島の主な役人の名前と経歴です。簡単な人物評価も添えてあります」
 オリヴィアは微笑と共に言った。

 伯爵令嬢オリヴィアは、総督エルバートの求めに応じて新領土に渡った。
 エルバートの補佐官となった現在は、あらゆる政務に関わっている。

「目を通すだけで構いませんから、なるべく明日までに済ませておいてください。配下の構成を覚えておくのは大事なことですので」
「サヴィン島は新領土の最重要拠点だ。この島における要人はすでにおおよそ把握している。でもまあ、一応 確認しておくか。近いうちにヤコフと会うことだしな」
「結構なことですわ」

「そういえば、カーライル本国から来た役人たちの様子はどうだ? サヴィン島の役人とは上手くやれているのか?」
 ヤコフの家臣団は、条約締結時に身分を保証されている。自分たちはカーライル本国の役人とも対等な立場である、と彼らは考えていた。
 逆に、本国の役人は、新しい支配者として彼らの上に立とうとした。
 認識の違いは対立を生んだ。

「未だ衝突が絶えませんわ。最初の頃に比べれば双方ともずいぶんと妥協するようになりましたが」
「立場が違えば利害は対立するものとはいえ、難しい問題だな。その辺の調整は引き続き頼む」

「大したことはありません。ヤコフ伯爵の部下は有能な者が多く、カーライルの宮廷貴族より物分かりがいいので、理のある説得ならば容易に聞き入れてもらえるのです。どちらかと言えば楽な仕事ですわ」
「なら良いが」

「彼らの聞き分けが良いのは、遠慮もあるからではないかと思います。口では色々言いながらも、エルバート様の補佐官である私に諫められては、あまり強くも出られないのでしょう」
「とりあえずはどうにかなりそうか」
「今はなんとか。もっとも、遠慮なんて長く続くものではありませんけれど」

「そうだな。なんにしても、オリヴィアに一任することがこれからも多くなるだろう」
「お任せください」
「不本意ではあるがな」
「まあまあ、そう仰らずに」
「…………」

 ふたりの間でラナの話題が出ることは一切なかった。
 以前からそうであったものの、その原因は変化している。
 最近までは、オリヴィアがラナを嫌っていたからという単純な理由だったが、今は、エルバートの方がその話題を避けているのである。
 ラナが死んだことについてオリヴィアがどう思っているのか、エルバートには見当が付いており、だからこそ、彼女の口からそのことを聞きたくはないのだった。

――――

 エルバートは執務室でデュークを迎えた。
「悪いがあまり相手はできないぞ、デュー。見ての通り、忙しいんだ」
「仕事なんか放り出せばいい」
「そういうわけにはいかねえだろ」

「エルの言うこととは思えないよ。あれ以来、人が変わってしまったみたいじゃないか」
「そんなことはない。俺は俺だ。何がどうなろうと変わりないさ」
「本当は僕よりも参っているくせに」
「意味が分からん。仕事の邪魔をしたいのか?」
「仕事なんてどうでも良いじゃないか」

「今まで言ってたことと違うぞ。もっと真面目にやれと言ってただろ、いつも」
「状況が違う」
「俺にはやらなければならないことがある。立ち止まっている暇なんかあるか」
「なんだよ、それ」
「この国の王になることにした。だから俺は仕事に勤しむ」

「そんなことをしてどうなるんだ」
「…………」
「どうなるんだよ、エル。ラナは、僕たちにあそこで死んで欲しくなかっただけなんでしょ。だからあんなことを言った。君が説明してくれたことじゃないか。世界を手に入れて欲しいだなんてラナが本気で望んだわけじゃない」
「ああ、そうだな。分かってる」
「だったら……!」

「聞けよ、デュー。この広い世界には、まだ知られていない天位魔法が存在するかもしれないだろ。死者の蘇生だって、有り得ないとは言い切れない。俺はそれを探す」
「そんな、本気で言ってるの?」
「当たり前だ。ラナを生き返らせるにはそれしかないからな」
「生き返らせる?」
 デュークの頬が引き攣った。

「何かおかしいか?」
「蘇生魔法なんて、あるわけないじゃないか。歴史書によると、千年の時を生きた魔法使いは存在したようだけど、それだって、命そのものをどうこうしてはいない。老化を遅らせただけだ。結局は老衰から逃れられなかったし、若返ったという記録は一切ない。魔法使いが今より強力だった時代でさえ、それが限界だったんだよ。天位魔法を持ってしても、生命に関しては、その程度の干渉しかできないんだ」
「俺たちが知らないだけかもしれない」

「異世界見聞録にそんな記述はないし、どの古文書もそうだろう? 天位魔法は25種。それ以上はない。人類の長い歴史の中でも、新たな天位魔法が発見された例なんて皆無じゃないか」
「これからもそうとは限らない……」
「願望が過ぎる。冷静になってくれ。蘇生魔法は存在しないんだ」

「探してみないと分からないだろ!」
 エルバートは机を強く叩いた。

「……探すって、どこを探すの?」
「どこでも。世界中、隅から隅まで」
「無理に決まっているじゃないか。すべての人間を調査するつもり?」
「だから、まずカーライル王国を俺の支配下に置く。そうすれば、少しは探しやすくなるだろう」
「馬鹿げてる」
「なんだと?」
「見付からなかったらどうするんだよ。一生を費やすことになるんだぞ。探して、探して、探し続けて、それでも見付からなかったら、君はどうするんだ。20年経って、40年経って、その時の君に何が残っているんだ」
「…………」

 エルバートはしばらく沈黙してから話を変えた。
「お前の方はどうなんだよ、デュー」
「なにが……?」
「あの時、ずいぶんと取り乱していたじゃないか。全艦突撃を強行しようとするなんて、お前らしくもない」
「あれは――」
「いや、悪い。理由は分かってる。気持ちも、まあ、分からないでもない」

「僕は今でも、ラナがあんな風にあっさりと殺されてしまったことが、どうにも納得できないんだ。あれがこちらを誘い出すための挑発だったというのは分かる。でも、その策謀は失敗したわけで、結果だけ見れば、ラナの死には何の意味もなかったということになる」
「…………」

「別に、大仰な意味のある死に方だったら納得できるっていうわけでもないんだけど、それにしたって、あんまりだよ。あんな使い捨て同然の殺され方じゃあ、まるで、ラナの命に何の価値もなかったみたいじゃないか」
「しかし今からどうなるものでもない」
「それは、そうだけど……」

「デュー」
「……なに?」
「大した意味もなくラナが死んだという事実を変えられるとしたら、どうする? 過去を変えられるとしたら、俺と共に覇道を歩んでくれるか?」
「過去を変えられるとしたら?」
 非現実的な仮定にデュークは思わず聞き返した。

「どうなんだ、デュー。答えてくれ」
「その時は君の夢想に付き合ってもいい」
「夢想か。なかなか容赦のない言い方をするな、お前も」

「ねえ、エル。僕はそんなことを言いに来たんじゃないんだ。少しは休んだらどう? 顔色があまり良くない。体調も良くないんじゃない?」
「良いわけあるか」
「だったら休もうよ。1日くらい放り出したって、いきなり公務が滞ったりはしないから。オリヴィアやノアが上手いことやってくれる」

「そういうわけにはいかない。これから確認しなきゃならん書類がまだ大量に残っているんだ。お前は先に休んでろ」
 まだ何か言いたげなデュークをエルバートは無理やり追い出した。


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