水の星、世界を手に入れる男
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第一章 第二章 第三章
『水の星、世界を手に入れる男』
第28話 名将ヤコフ

 エルバートはベリチュコフ領西域を速やかに占領していった。
 制圧を完全なものとするため、主要な島には艦隊の一部を駐留させた。

 占領した島々は元カーライル領であり、カーライル本国と同じくエーミス人が多数派である。
 島民はベリチュコフ軍の撤退を『解放』と捉えた。カーライル軍を積極的に歓迎し、要求された食料や魔石の供出にも進んで応じた。
 エルバートは必要以上の搾取を控え、解放者として相応しい姿勢を心掛けた。好意的な領民を無下に扱う理由はどこにもなかった。

 7隻となったカーライル艦隊は、侵攻の最終目標であるサヴィン島を目の前にしていた。
 周辺海域の要衝であるサヴィン島は、艦隊の前線基地として機能している。
 これまで、遠く離れた本国から遙々やって来たベリチュコフ軍は、このサヴィン島で補給と整備を済ませ、カーライル領に侵攻していったのである。
 つまり、エルバートがこの島を落とせば、ベリチュコフ軍は、カーライルに侵攻する際の足掛かりを失う。

 現在のサヴィン島には3隻の軍艦が駐留していた。
 指揮官はヤコフ・サヴィン伯爵。
 先王の時代から功績を上げ続け、ベリチュコフ軍がこの地を占領した際に統治を一任されたほどの老将である。

――――

「今すぐ降伏するつもりはないらしいな」
 エルバートは甲板からサヴィン島を眺めた。

 デュークが同意する。
「そうだね。でも、どうして? この戦力差ではまともな戦いにはならないだろうに」
「やってみなけりゃ分かんねえよ。大軍を持って攻め寄せてきたレイラは間抜けにも捕縛されたじゃないか」
「確かに油断すべきではないね。どうする? 万全を期してサヴィン島を包囲しようか」

「そんなところだろうな。降伏の勧告も出しておこう」
「向こうが降伏するつもりなら、とっくにしているんじゃない?」

「そうとも限らん。降伏する気ではあるがあっさりと降っては舐められると思っているとか、粘って好条件を引き出したいとか、向こうにだって思惑はあるさ。なんと言っても、今サヴィン島を守っているのはヤコフ・サヴィンだ。文句なしの名将だよ。戦力差に怖じ気づいて考えもせずに降伏してきた今までの領主とは違う」
「ヤコフ・サヴィン伯爵か……」
「ベリチュコフ軍にヤコフが居なければ、いくらレイラでも、あれほど早期にカーライル奥深くまで侵攻することはできなかっただろうな」

「そこまでの傑物なの?」
「サヴィン島が戦略上の要衝であることから、カーライル侵攻時はヤコフが全軍の兵站を担うことが多かったんだよ。総司令官のレイラがやりたい放題してもベリチュコフ軍が機能不全に陥らなかったのは、ヤコフのおかげだ」

「僕からすると、ヤコフ・サヴィン伯爵と言えば艦隊司令官の印象が強いけど」
「前線の指揮官としても相当な実力者だよ。領土を広げまくっていた若い頃の父上も、ヤコフの艦隊には手を焼いたらしい。もし、アナスタシヤ艦隊にヤコフが加わっていたら、海戦の結果は違っていただろうな。けどまあ、今ヤコフの手元にある艦はたった3隻だ。警戒を怠らなければどうなるもんでもない。ヤコフの経歴を見れば奴の狙いは大体分かるし」
「分かるのか」
「ああ、分かる」

――――

 ヤコフ・サヴィン伯爵は、島の高台からカーライル艦隊を見つめていた。
 降伏の意思はすでにあった。
 ここでカーライル軍に抵抗しても無意味なのは明らかだった。

 とはいえ、降伏後に島民の安全が守られるのかは疑問だ。
 これまでベリチュコフ軍が占領地に対して行ってきたことを、カーライル軍にそのままやり返されたとしても、何ら不思議ではない。

 その辺りは敵艦隊の指揮官次第だろう。
 ゆえにヤコフは、エルバートの人格を確かめるために、降伏の申し入れを遅らせて様子を見ているのだった。

 この際、自分の身はどうでもよかった。
 ヤコフは、島民を慈しむ良き領主であり、自らの命が脅かされている状況であっても、その点が変わることはなかった。
 彼が考えるのは島民の安全のみである。

 島民から慕われていることを自覚しているヤコフは、自分がカーライル軍の手で処刑されることによって、反カーライル感情が高まるのを恐れていた。
 ヤコフにとって最悪なのは、カーライルに占領された後に島民が反乱を起こすことである。
 反乱が成功すればまだ救いはあるが、鎮圧されて苛酷な統治を呼ぶことになれば、目も当てられない。

 そこでヤコフは考えた。
 カーライル艦隊の総司令官エルバートが、なかなか降伏してこないこちらに焦れて強攻策に出るような人物なら、おそらく今すぐ降伏したところで自分は処刑されるだろう。
 であるのなら、敵の手に掛かる前に自害しなければならない。そうするより他に島民の暴発を防ぐ術はない。

 しかし、仮にエルバートがしつこく降伏を求めてくるようなら、交渉の余地はあると見て良い。
 少なくとも、意味もなく領主を処刑するようなことはしないはず。

 ただ、交渉が成立するまでにはかなりの時間が掛かるだろう。
 エルバートは国王ではないのだ。
 艦隊の全権を任され、降伏勧告の条件にもある程度の裁量を与えられているだろうが、だからといって、国王の意に沿わないであろう条件を勝手に呑むとは思えない。

 こちらの要求を受け入れるべきか否か、エルバートは本国に伺いを立てるはずで、交渉は時間が掛かるだけでなく、難航も予想される。
 本国がそれを煩わしく思い、適当なところで交渉を切り上げてしまう可能性もある。
 加減を誤れば最悪の事態を引き起こすことになるだろう。

 ……どう動くべきか。
 難しいところだが、ここで間違いを犯すわけにはいかない。

 様々な思案をしている最中のヤコフに、エルバート艦隊から申し入れがあった。
 その内容は、百戦錬磨のヤコフを驚かせるに充分なものだった。

――――

 翌日には、カーライル軍7隻がサヴィン島に入港した。
 その日のうちにエルバートはヤコフと面会した。

 エルバートは、ヤコフと挨拶を交わして、降伏条件に関する書類の処理を済ませてから、率直な感想を吐露した。
「あなたと戦わずに済んで助かったよ」
「恐縮です、エルバート殿下」

 ふたりの会話は、カーライル王国の主要言語であるエーミス語で行われた。
 ベリチュコフ語の普及は一部に限られており、この辺りで主に使われているのは未だにエーミス語だった。

「ですが、殿下。あれでよろしいのですか。今さら私が言うべきことではないかもしれませんが、あのような条件では、あなたの立場は……」
「あのような条件、ねえ。具体的には何のことを言っているのかな。占領地をカーライル本国と全く同等に扱うっていう条項のことか。それともあれか、サヴィン伯爵家の領地はすべて安堵するって条項か。ああ、あなたにカーライルの伯爵位を与えるっていうのもあったな」

「私としては助かったと言う他ありませんが、あとで国王陛下が覆すだろうなどと期待しているのであれば、あまりにも軽率であると言わざるを得ません」
「まさか。まさかまさか。合意に至った条約が不可侵なものだってことくらい知ってるさ。100年前ならともかく、現在において条約破りは禁じ手中の禁じ手だ。世界を敵に回すにも等しい行為だろう。父上がそんなことをするなんて有り得ない。まあ、レイラならあるいはそういう無茶もするかもな。ただ、あいつの場合、そもそも自分に有利な条約しか結ばないだろうが」

「そこまで分かっているのなら、どうなさるおつもりなのですか。本国から責任を問われるのは必然でありましょう」
「父上は怒るだろう。ひょっとしたら王位継承権を剥奪されるかもしれない。でも俺にはどうでも良いことなんだよ。気楽な立場になれるんだから、むしろ喜ばしいくらいだ」
「…………」
 ヤコフは反応に困っているようだった。言葉の真意を掴みかねているらしい。

「そんなことよりも重要で、しかも切迫した問題がある」
「と言いますと?」
「俺の幼馴染みが拉致されたんだ」
「拉致?」
「そう。脱走したレイラにな」
「女王が、脱走?」

「やはりその情報は得ていなかったか」
「…………。足取りは掴めているのですか?」
「全然。だからとても困っている」
「ふむ」
 ヤコフは黙考した。
 もしそのことを事前に知っていたら、自分はエルバート殿下とどう交渉しただろうか。今となっては意味のないことだと分かっていても、つい考えてしまう。

 そういったヤコフの思考に気付いていながら、エルバートは、これ以上この件に触れるつもりはなかった。
 条約はすでに成立している。ヤコフが何と思おうと、覆せるものではない。先程、彼自身が強調したことだ。
 名将ヤコフであれば、後悔などしていても無駄であることをすぐに悟り、その後には、カーライル王国に属すことになった自分の領地をどう守っていくかに関心を移すだろう。
 そこまで計算した上でエルバートは話を続けた。

「レイラの行方は全く見当が付いていないわけじゃない。今頃この辺りに居ると俺は踏んでいる」
「カーライル王都からベリチュコフ領を目指すのであれば、この海域を通る可能性は確かに高いですな」
「だから、あなたと長々と交渉している時間はなかったんだ。幼馴染みを探さなくちゃならんからな」

「そのために不利な条件を出したと? 王位継承権よりも幼馴染みの方が大事というわけですか」
「おかしいか?」
「とんでもありません。確認しただけです。そのための条約であるというのなら、私と島民は殿下の幼馴染みに恩があることになります。全力で協力させて頂きましょう」
「それは有り難いな、本当に」

「あなたが徳のある方でよかった。心からそう思います」
「俺はあなたとは違う。自分の身よりも国民を案じるだなんてこと、俺にはとてもできんよ。交渉という手段を取ったのは、あなたを降し得る一番の方法だと思ったからで、もしサヴィン島を火の海にした方が早く片付くと判断したなら、俺はきっとそうしていただろう」
「幼馴染みを想っているがゆえでしょう」
「まあ、そうだが」

「友人を大切に思えない者が民を大事にできるはずがありません。自分と、自分と同じくらい大切な者の、その次に民のことを想っているのなら、それで充分です。エルバート殿下なら立派な王になれるでしょう。ですがやはり、今さら私が言うべきことではないかもしれませんが」

――――

 ヤコフの協力を得て、エルバートは周辺海域に警備網を敷いた。
 旧ベリチュコフ領を知り尽くしているヤコフの助言は的確を極め、国境付近に居たアレクセイ艦を捕捉することに成功する。

 デュークは素直に喜んだが、エルバートは警戒心を抱いた。
 上手くいきすぎてはいないだろうか? アレクセイは何かを企んでいて、わざと姿を現したんじゃないか?  罠の可能性に気付きながらも、アレクセイ艦を素通りさせるわけにもいかず、エルバートはただちに艦隊を率いて出撃した。


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