水の星、世界を手に入れる男
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『水の星、世界を手に入れる男』
第27話 三大貴族

 エルバート率いる侵攻軍が敵艦隊を粉砕したという知らせが届き、カーライル王都は沸き返った。

 レイラを捕縛したことにより、エルバートは民衆から英雄扱いを受けていたが、これまでのところ、名声が不動のものであるとは言い難かった。
 軍務を放棄してきた彼の信頼は、一度の奇跡だけでは完全には覆らなかったのである。
 またすぐに惚けてしまうのではないか。彼を褒め称えている者であっても、その種の心配が尽きることはなかった。

 そんな中で伝えられた侵攻軍勝利の報である。
 エルバート殿下は本物だ。長い眠りから目が覚めたのだ。不安を拭えずにいた人々の大半はそう解釈し、将来の名君に想いを馳せた。

 もっとも、この時点であってさえ、まだエルバートを信じようとしない者も少なからず存在していた。
 宮廷貴族が最たる例だった。

 怠惰なエルバートを実際に見てきた者たちは、彼の変質を容易に信じることができなかった。
 信じたくなかった、という事情もある。
 エルバート排斥の動きを水面下で進めていた貴族たちにとって、彼の戦果は都合が悪かった。

――――

 王宮の一室に三大貴族の当主が集まっていた。
「面倒なことになったものだ」
 ストレンジャー公爵は、賛意を求めて同席者に視線を送った。

「そうだな」
 苦笑混じりに答えたのはシェフィールド公爵である。

 彼は老年の男だが、声からは一種の若々しさが感じられた。
 年相応に嗄れてはいる。しかしながら、発する声は明瞭で力強い。
 体格は貧相そのもので、顔は皺にまみれているが、だからこそ、彼と話をする者は、生気に満ちた声に驚かされる。
 これは彼の意図したもので、普段から発音や声量に気を配っているからこそ成せる技だった。

 むろん、大した効果はない。初対面の相手にちょっとした不意打ちを食らわせる程度だ。その割りには、実行するために労力を要する。
 だがシェフィールド公爵は、その点を問題だとは思わなかった。

 交渉の場において、ほんのわずかな優位性を獲得するためだけに、長年の努力をする。
 公爵家の当主として宮廷を取り仕切り、諸外国の大物と渡り合わねばならない身であるならば、当然のことだ。そうでもなければ、一国の外交を掌握し続けることなど、できるはずはない。
 シェフィールド公爵は、自らの職務に誇りを持った男だった。

 宮廷を実質的に取り仕切っていることと、老いの進んだ風貌であることから、宮廷に巣くう魔物などと陰で言われることもあるが、そのような発言をする者は少数に限られていた。
 孫娘のマーガレットを溺愛していることは、宮廷内に知らぬ者が居ないほど有名な話で、それが彼の印象を柔らかいものにしていた。
 時には外交の席で脅迫じみた要求をするシェフィールド公爵であっても、家族には甘いところがある。そうした風評を彼自身も歓迎した。

 すべては計算だった。
 冷酷無比なだけの外交家だと思われていては、何かと相手を身構えさせてしまう。それでは交渉がやり辛い。ゆえに、人間らしいところも適度に披露せねばならない。
 マーガレットを可愛がっているのもそのためである。彼にとっては、孫でさえも外交の道具に過ぎなかった。

 シェフィールド公爵は言った。
「これまで遊び呆けていた馬鹿王子にあれほどの才気があろうとは、思いも寄らなかった。今さらそんな証明をされても、こちらとしては対処しかねる。もう少し早ければ、我々三大貴族で彼を押し立てていくという図も描けたのだがな」

「冗談であろう? 才気など、エルバート殿下とは程遠い言葉だ。あの若造の実力は知れている」
 ストレンジャー公爵は不快そうに言った。

「いや、認めたくない気持ちは分かるが、現実に殿下は結果を出しているではないか」
「報告書を精査した私には分かる。あんなもの、運が良かっただけだ。驚くには値せん」

「確かに、レイラ女王を捕らえることができたのは、運と言えなくもない。それは良い。だが、ベリチュコフの迎撃艦隊を正面から打ち破ったことはどう説明をつけるのだ?」
 シェフィールド公爵の質問にストレンジャー公爵は自信ありげに答える。
「勝因は、エルバート殿下とは別のところに、いくつもあった。熟練の司令官であるカーティス伯爵が奮戦したこと。亡きハル王国のベアトリス姫が、極めて優れた戦果を上げたこと。さらには、我が息子デュークが卓越した指揮能力を発揮したこと」

「ふむ……」
 デュークに関してはともかく、カーティス伯爵とベアトリス姫の力については、シェフィールド公爵も同意するところだった。

 ストレンジャー公爵は主張を続ける。
「逆に、敵軍には問題が多かった。軍神レイラを失ってからまだ日が浅かったこと。ベリチュコフ艦隊の編成が急造であったろうこと。最近まで辺境で小艦隊を率いていたに過ぎなかったアナスタシヤ姫が総司令官になったこと。それを不満に思ったのか、一部の艦長が利己的な動きを見せたこと」
「もっともな話だが、だからといって、あれほどの完勝を簡単に成し得るものだろうか」

「今回も偶然が王子の味方をしたのだろう」
「かもしれぬが……」
 未だ納得しがたい様子のシェフィールド公爵に業を煮やしたのか、ストレンジャー公爵は、もうひとりの同席者に目を向けた。
「そちらはどう考えておるのだ、ノース侯爵」

 声を掛けられた若い男は、穏和な笑みを浮かべた。
「私には軍での経験がありません。専門外のことなので、判断をしかねます。ただ、軍人一筋で生きてこられたストレンジャー公の仰ることなら、きっと真実を射貫いているでしょう」
 丁寧で明瞭な物言いは、損得を第一に考えるノース侯爵の性格をよく表していた。

 彼はまだ20代の若輩だった。
 ストレンジャー公爵家当主の長男であるデュークと比べても、わずか数年 早く生まれたに過ぎない。

 60代のシェフィールド公爵からすれば、ノース侯爵もデュークも同じ子供にしか見えなかった。
 40代のストレンジャー公爵も似たような気持ちを抱いていたが、当のノース侯爵は、ふたりの心境を察していながら平然としていた。

 話を振られるまで発言を控えていたのは、年齢や爵位の差を重視する彼らの心情を考慮してのことであるが、そうした方が後々やりやすくなるだろうと計算したからこその配慮であり、必要ならいくらでも口を出すつもりであった。
 自身の存在を不必要に誇示しがちな他の貴族とは、この点において一線を画している。

 重視すべきは実利であって、矜恃ではない。
 ノース侯爵家に受け継がれている思想を、若き現当主もまた体現しているのだった。

 ノースという家の名を改めてはどうか、という提案が、過去に内外から何度かあった。
 長音の有無ほどではないが、貴族の家名は長いほど格好がつく、という風潮がカーライル王国に存在するゆえである。

 シェフィールド家やストレンジャー家ほどでなくても、せめて5文字以上にするべきではないか。たった3文字だと、文字数だけを見れば、平民と同じになってしまう。
 そうした声は内部からも聞こえることがあった。
 代々のノース侯爵家当主は、そのような話が出るたびに却下してきた。

 改名には金が掛かる。
 承諾をする王家にいくらかの謝礼を払わねばならないし、家中の書類や金印もすべて入れ替える必要がある。
 ノース侯爵家だけでなく、本家に連なる分家筋も同様だ。
 そこまでするだけの価値が果たしてあるのか。

 むろん、一般的な貴族の見地に立てば、考える余地もなく結論が出るだろう。
 改名程度で少しでも箔が付くのなら安いものだ。ノース家には蓄えがあるのだから、やらない理由がない。
 そう考える。

 ノース侯爵家は違った。
 見栄のために金を使うべきではない、と考えたのである。
 どころか、たとえ一切の金が掛からなかったとしても、あるいは拒絶していたかもしれない。

 周辺国との貿易に力を入れているノース侯爵家としては、改名して自らの知名度に少なからぬ悪影響を受けることが愚作に思えたのである。
 富は、富のあるところに集まる。より正確に言えば、富があると思われているところに集まる。
 その原則を軽視するわけにはいかない。

 ノース侯爵家という看板を掛け替えても、信用が無に帰すことはないだろうが、ある程度は色褪せることになるだろう。
 家の名が変わっただけだと分かっていても、取引相手は、ノース侯爵家に抱いていた信頼感をわずかに揺るがせてしまう。無意識レベルの話なので、対処のしようはない。

 これは、常日頃から主観を排していると自負する商売人であってさえ、例外ではない。人間の心理とは、かくも些細なことで影響を受けてしまうものなのだ。
 ゆえにノース侯爵家は、頑なに名を守ってきた。

 もちろん、ノース侯爵家にも名誉欲はある。物欲の方が上回っているというだけの話に過ぎない。
 それ自体は珍しいことでもないが、名誉欲が霞むほど並外れた物欲を抱いているところに、ノース侯爵家の特徴があった。

 三大貴族に数えられながら、公爵ではなく侯爵に留まっていることにも、ノース家らしい実益主義が窺えた。

 本来ならノース侯爵家は公爵の位を賜っているところである。家格には何の問題もない。
 貴族の最高位である公爵ともなれば、国内での威光は大きなものとなるだろう。利益に直接繋がる機会も少なくはない。
 であるにもかかわらず、ノース家は爵位の繰り上げを図ろうとはしなかった。

 ノース家は、国内における公爵家の数に着目した。
 明らかに少ない。最盛期には5つあった公爵家のうち、3つはすでに途絶えている。
 ひとつはお家騒動の混乱により消滅し、あとのふたつは内乱の末に潰された。
 ゆえに、現存する公爵家は、シェフィールド家とストレンジャー家のみである。
 その事実が両公爵家の矜恃を大いに刺激しているだろうことは想像に難くなかった。

 多くの場合、希少性は、その価値を実際以上に高めてくれる。
 仮に新たな公爵家が出現するとなれば、現公爵家は苦い顔をするだろう。
 自分たちと同格の者が増えるだけでなく、希少性までもが薄れてしまうのだから。

 ノース侯爵家はその辺りのことを考え、爵位を現状のままにすることを決めた。
 結果、忌避されることを回避しただけでなく、シェフィールド家とストレンジャー家に借りを作ることになった。

 いくつかある侯爵家の中で最も力を有しているノース家が公爵にならなければ、他の侯爵家が先んじて位を進めることはできない。
 ノース家の判断は、両公爵家からしてみれば、他の野心溢れる侯爵家を押さえ付けることにも繋がったのである。
 ノース家は厚遇された。

 ストレンジャー公爵家がほぼ握っている軍には浸食せず、シェフィールド公爵家が仕切っている宮廷外交とも距離を置き、内務担当の役人に絞ってノース家が国内に影響力を広げていったのは、この時期からだった。
 最も大きな顔ができる軍に興味を示さず、最も華やかな場である外交にも目を向けず、カーライル王国の財政を掌握するに努めたのである。
 侯爵家でありながら両公爵家と並び称されるようになるまで、長くは掛からなかった。

 表向きは相手を尊重しつつ、自分が一番の利益を得る。ここに実益主義の神髄が垣間見える。
 当主が比較的 若い理由もそこにあった。
 両公爵家の当主の年齢をなるべく超えないようにすることで、彼らの顔を立てているのだ。

 たったそれだけのために当主を代替わりさせてしまうのがノース侯爵家だった。
 まともな神経とは言えない。
 だが、一度決めたことは徹底する。そのおかげで、他家と差をつけることができたのだ。
 少なくとも当人たちはそう信じていた。

「ふむ」
 シェフィールド公爵は頷いた。
「ノース侯の言う通りかもしれぬな。私も、軍人としての経験はない。ここは、軍人の中の軍人とも言えるストレンジャー公を信じるとしようか」

 ストレンジャー公爵は満足そうに言った。
「さすがはシェフィールド公だ。いつもながら、物分かりが良い」

「こと軍事に関して、カーライル軍大将であるストレンジャー公が言うことに間違いはあるまい」
 本心からの言葉ではなかった。

 シェフィールド公爵は、若い頃から王国の外交を司り続けて年を重ねてきた。その経験から、話相手がどのような人物かを察することができる。
 シェフィールド公爵の見るところ、ストレンジャー公爵は、硬直した思考を持っている。エルバート殿下は無能だ、と一度でも思い込めば、もうその評価を修正することはできない。
 器の小さな男だ。

 ゆえに、これ以上の反論は無意味である。シェフィールド公爵はそう悟り、折れることにしたのだった。
 それで問題はない、とシェフィールド公爵は考えた。エルバート殿下の評価がどうであろうと、我ら三大貴族の方針が変わるわけではないのだから、こだわる必要はないだろう。

 場にわずかな間ができた。
 3人はそれぞれに思案を巡らせていた。

 最年長のシェフィールド公爵が沈黙を破る。
「いずれにしろ、我が孫の擁立は急いだ方が良いであろう。エルバート殿下に才がなかったとしても、功績を立ててしまった事実は覆しようがない」

「民衆が王子を英雄扱いしているのも気掛かりですね」
 ノース侯爵の言葉に、シェフィールド公爵が苦笑した。
「民衆ごときの意向など、王位の継承に何の関係があると言うのだ」
 若造を嘲笑するような態度が見え隠れするのは、むろん、意識してのことだった。

「ですが、シェフィールド公。民衆の反応を見てエルバート殿下がその気になるかもしれませんよ。最初は無欲であっても、周りに煽られて野心を肥大させる者は少なくありません。歴史が証明しています。私はいささかの危惧を感じますよ」

「無用な心配だ」
 今度はストレンジャー公爵が鼻で笑った。
「あの無能王子が勘違いを起こしたところで、事態は変わるものではない。何もできないからこそ無能なのだ」
「まあ、そうですね」
 ノース侯爵は引き下がった。
 エルバート殿下がどう出ようとも、三大貴族が一致している限り、勝負は決まっている。そこに異論はなかった。

 シェフィールド公爵も同調した。
「傍流ながら王家の血を引く我が孫と、ストレンジャー公爵家のひとり息子が契りを結べば、貴族がまとまる。国王陛下もマーガレットを後継に指名してくださるだろう」

「こうなるとエルバート殿下も哀れですね」
 ノース侯爵がそう言うと、ストレンジャー公爵が反応した。
「珍しく感傷的なことを口にするのだな。そんなもの、エルバート殿下の自業自得だ。不真面目な態度を改めるには遅すぎた。それだけのことだろう」
「殿下自身はどう考えているのですかね。まあ、今はそれどころではないかもしれませんが」


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