水の星、世界を手に入れる男
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『水の星、世界を手に入れる男』
第29話 交渉

 エルバート艦隊4隻が駆け付けた時、アレクセイ艦は、出迎えに来ていたベリチュコフ艦隊2隻と合流する寸前だった。
 エルバートはベリチュコフ艦隊を牽制しつつアレクセイ艦を包囲した。
 投降を呼び掛けると、アレクセイ艦は交渉を求めてきた。

 エルバートは応じた。人質の存在をちらつかされては応じるしかなかった。
 アレクセイ艦を強襲して白兵戦に持ち込むことは可能だが、もしそうなれば、砲撃可能な位置に控えているベリチュコフ艦隊と乱戦になるのは間違いない。
 相手の申し出を拒否する選択は有り得なかった。

――――

 交渉のためにエルバート艦にやってきたのはアレクセイだった。
 単身で乗り込んできたアレクセイを人質にしようと思えば簡単にできるものの、そんなことをしてもレイラは彼を見捨てるだけで、意味がないどころか、報復の口実を与えることになり、ラナの身を危険に晒すことになる。
 レイラが冷酷であるからこそ逆にアレクセイは安全を確保できているのだった。

「カーライル王国を裏切った張本人がよく出てこられたね」
 デュークに皮肉を言われてもアレクセイは全く気にしておらず、余裕の笑みを浮かべていた。
「私なりの戦争なのだよ、これは。諜報、謀略、工作。汚い手だと見下す輩は多いが、私は自らの行いを恥じたことなど一度としてない」

「軍人じゃないラナを攫っておいて、恥じていないだって?」
「むろんだ。戦争の前には、軍人も農民も漁民も関係ない。そうは思わないか、ストレンジャー家の御曹司よ。お前も指揮によって多くの人間を殺してきただろう。そのほとんどは海賊か軍人だったのだろうが、海賊は自業自得としても、軍人はどうだ。望んで軍に入った者は良い。しかし兵の大半は徴用ではないか。軍人と軍人以外とで区別をする意味があるとは思えんな」

「ち、違う。そんなことはない。軍人は、戦闘員以外に手を出すことを恥じなければならない。そうでなければ、際限がなくなってしまう。武器を持つ者は、武器を持たない者を虐げてはいけないんだ」
「軍人同士なら相手を殺しても良いという発想が傲慢だと言っているのだがね。私からすれば軍人も農民も同じにしか見えんのだよ。そもそも、お前が言っているのは、被害の拡大を抑えるための理屈だろう。倫理観にすり替えて私をなじるのは間違っている」

「そんなつもりで――」
 デュークの言葉をエルバートが遮る。
「よし、議論はそのへんにしておこう。デューの気持ちも分かるが、今は自重してくれ。本題に入ろうか、アレクセイ」
「そうですな」
 アレクセイは、大きな肩をすくめてみせた。難癖をつけられて良い迷惑だと言わんばかりだった。
 彼の態度にデュークは唇を噛んだ。

「では殿下、まずはこちらの提案を聞いて頂けますか。我々ベリチュコフ王国は、カーライル王国との同盟を希望しております。これは、女王陛下の意向でもあります」
「そうかい」
 さも予想していたかのようにエルバートは応じたが、実際のところ、驚きを押し隠すのに必死だった。

 まずは帰還の保証を要求してくるだろうと思っていたのに、全く違っていた。
 まさかこの場で国家間の同盟案を持ち出されるとは……。
 『女王陛下』だの、『我々ベリチュコフ王国』だの、わざわざ敵国の側についていることを強調するかのような言い回しには苛付かされるが、そこは忘れるべきだろう。
 余計なことを考えている時ではない。思考が散漫になれば、その分だけ交渉が不利になる。

「同盟ねぇ」
 エルバートは呟き、思考した。
 カーライル王国との戦争を止め、東方に勢力を伸ばす。サヴィン島を失った現在のベリチュコフ王国からすれば、実に合理的な戦略と言える。

 戦争にしか興味のないレイラにこのような図は描けない。発案したのはアレクセイか。
 となると……。
 この交渉が上手くいけば、アレクセイは、寝返って早々に華々しい功績を立てたことになる。
 逆に、話がまとまらなければ、いきなり彼の立場は苦しいものとなるだろう。
 そこを突いてやれば好条件を引き出せるかもしれない。

 ……いや、駄目だ。
 エルバートは即座に考えを変えた。
 駆け引きにはリスクが伴う。相手の態度を無駄に硬化させることにもなりかねない。
 ラナの生還を何よりも望むからには、やはり他の条件などすべて呑むべきだ。

「応じれば人質は返してくれるのか?」
「もちろんです。ただし、返還は我々がベリチュコフ艦隊と合流してからということで」
「断ったら? 取引は同時にするのが基本だろ?」
「人質の両手両足を切り落とした上で、再交渉をしましょうか」
「…………」
 エルバートに選択の余地はなかった。

――――

 同日。
 エルバートとアレクセイによって直ちに細部が詰められ、同盟が成立した。
 アレクセイ艦を黙って通し、代償として後でラナを返してもらうが、ラナが取引材料になっていることは文書には載せられないので、口約束となる。

 そのことについてエルバートは何も言わなかったが、デュークは不安を感じていた。
 レイラが素直にラナを返すとは思えない。それはエルも分かっているはず。
 やはりこの合意は次への布石なのか。
 たぶんエルはそういうつもりだろう。
 今回の取引でラナが帰ってこなかったら、次は、占領したベリチュコフ領を交換条件にする……。

 そこまでは良い。
 けど、もしそれでもラナが帰ってこなかったらどうするのか。
 デュークが不安なのはその点だった。

 更なる要求を突き付けられても、応じるのは難しい。
 その時にはすでにエルは失脚している可能性がある。どころか、死んでいるかもしれない。
 独断で領土を譲ってしまえば死罪もあり得る。

 エルが力を失えば、ラナの利用価値はなくなる。つまり殺される。用済みになったからといって返してくれるほどレイラは甘くはないはず。
 だけど、とデュークは思う。
 そこまで追い込まれる前にエルなら多分なにか手を打つんじゃないか。手段を選ばず。
 ベリチュコフの更なる要求に応えるために、父であるシーザー王から実権を奪い取ることすらやりかねない。

 もちろん、いくらエルでも難しいだろう。
 時間を掛けて自分の地位を固めてから国王陛下に反旗を翻すのならともかく、今すぐにそんなことをしても、そう上手くはいかない。
 けどエルはやる。ひとたび立ち上がれば、どれほど犠牲を払おうとも、きっとカーライル王国を手に入れてみせるに違いない。
 そして僕も全面的に協力するだろう。たとえ、破滅の道だと分かっていても。


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