水の星、世界を手に入れる男
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『水の星、世界を手に入れる男』
第26話 参謀総長アレクセイ

 ベリチュコフ領を目指して航行中のアレクセイ艦は、エルバートの予想通り未だカーライル領から出ていなかった。

 逃亡が始まった当初、レイラは連日 高熱にうなされた。
 拷問で神経を嬲られたことにより彼女の身体は深刻なダメージを負っていたのである。
 船の揺れが傷に障ったため、しばしば小島での休息を必要とした。

 アレクセイはレイラの体調を気遣いながら逃げ続けなければならず、大いに苦労させられた。

 エルバートの敷いた警戒線は、理に適っているだけでなく、時にはあえて原則を無視してアレクセイの意表を突いてこようとする。
 そのせいで警備船に発見されそうになったことが何度もあった。
 常時 油断することのできないアレクセイ艦は徐々に船員が疲弊していき、自然と移動速度が鈍っていった。

 警備船の1隻くらいなら撃破できなくもないが、そんなことをすればエルバートに自艦の位置を知らせることになる。
 艦隊が急行するまでにその場からは逃げおおせるにしても、こちらの情報はなるべく与えるべきではないだろう。
 少々慎重すぎるのではないか、と側近から何度か言われたが、アレクセイからすれば当然の策だった。

 最近になって警備が突然 薄くなったが、油断はできない。
 こちらが隙を見せたりすれば、エルバートはどんな手を打ってくるか分からない。

 ベリチュコフ領へ侵攻したエルバートが艦隊戦に勝利したことはアレクセイの耳にも届いていた。
 つい最近まで駄目王子という烙印を押されていた男は、すでにその評判を覆し、自身の才覚を示し始めている。
 民衆の間では英雄のような扱いだという。

 エルバートは功績を上げた。だが、これがすべてというわけではないだろう。まだ彼の才能は底が知れない。
 アレクセイはそう見ている。
 明確な根拠があるわけではないが、そんな気がするのだった。

 アレクセイは、療養中のレイラに、その点について話をしたことがあった。
 彼女の返答は納得しがたいものだった。

「お前がそう思うのなら、きっとそうなのよ」
「根拠があるわけではありません」
「でも、自分の感覚が間違っているとは思わないのでしょう、アレク」
「……はい」

「中途半端な根拠があるよりも、よっぽど良いわ。なんとなく確信する。そういう経験は私にもある。たまにね。お前は初めてなの?」
「似たような感覚は、過去に二度ほどありました」
「私よりだいぶ少ないわね」
「レイラ様には良くあることなのですか?」

「戦場に出れば、大抵 一度は、何か予感めいたものを感じるわ。敵軍が側面攻撃を仕掛けようとしている気がするとか、あと少し砲撃を続ければ敵軍の司令官が戦死しそうな気がするとかね。もちろん、普段からそれに近い予測を行っているけれど、あくまでも情報分析と経験による推測よ。何の根拠もない確信とは違う」
「ふむ……」

「でも、たまに感じるのよ。そう、感じる。分かると言うより感じると言った方が適切でしょうね。理屈抜きの予感なのだから。戦場以外ではほとんどないけれど」

「私とは逆ですね。私は戦場で感じたことはない」
「過去の確信は完全に正しかったのでしょう?」
「仰る通りです」
「なら、今回も完全に正しいはずよ。少なくとも、私の場合、その手の確信が間違っていたことはないわ」
「もはや予感ではなく予知ですな」

――――

 療養を終えたレイラは、延々と続きそうな逃避行にうんざりし始めた。
「ねえ、アレク。通常航路に出て一気にベリチュコフ領まで行きましょうか」

「冗談は程々にしてください。そんなことをしたら、警備船なり商船なりに見付かってしまうでしょう」
「放っておけばいいじゃない」

「万が一 艦隊が近くに居たら、たちまち包囲されてしまいます。可能性は低いですが、考慮しておくべきです」
「いざという時は、ラナを脅しに使えばいいわ。あの娘はエルバートにとって大事なものなのでしょう。お前が言ったことよ」

「急場を凌ぐことはできるでしょうが、少女ひとりを盾にして逃げ続けるのは不確定要素が多すぎます。このまま見付からずに逃げ果せるに越したことはないのです。ぎりぎりまで迂回路を進んで行くべきではありませんか」
「…………。まあ、いいわ。もう少しくらいなら」
 不承不承ながらもレイラは同意した。

「お聞き入れくださり、感謝致します」
 頭を下げながらも、彼女があっさりと引いたことをアレクセイは意外に思った。
 長くカーライルに居たアレクセイであるが、ベリチュコフの情報は常に集めてきた。
 その情報が間違いでなければ、レイラはもっと暴虐の限りを尽くすような女王のはず。

 自ら兵を率いて国境を強引に突破する、とレイラが言い出した時に備えて、色々と言い訳を用意しておいたが、この分ならしばらく必要ないだろう。
 また時々何か言ってくるかもしれないが、論を持って説得すれば、当分は応じてもらえそうだ。
 カーライルで捕虜となり痛い目に遭ったのが効いたのだろうか。

「ところで、レイラ様」
「なに?」
「先日 私が提出した報告書はお読みになりましたか?」
「ああ、あれね。読んだわ、全部。興味深い内容だったわね。でも、どうなのかしら。あの報告書をそのまま信じるなら、エルバートという男は冷酷無比な卑劣漢であるとしか思えないのだけれど」
「そういう面も確かにあるでしょうな」

「その割には、世話役に心を許しているようね。しかも、普段はろくに軍務にも就かず、毎日のように女遊びに興じているとか」
「掴み所のない男です。ですが、目的のためには手段を問わない側面が彼にあるのは、紛れもない事実です。ベリチュコフ軍の切り崩し工作も、その一端でしょう」

「切り崩し工作ねぇ。そんな怠け者が、何年も前から私の侵攻を予想して手を打っていたなんて、本当なのかしら。あまり信じられないのだけれど」
「彼が怠惰であるのは確かですし、実際に表立った動きは見せていませんでしたが、彼の作り上げた諜報部隊は本物です」
「組織の運営にはわりと熱心に取り組んでいるのだったかしら、エルバートは」

「より正確に言えば、彼が熱心だったのは人事に関してのみです。エルバートの指示は、ベリチュコフ軍を切り崩せ、というごく簡単なものでしかありませんでした。もっとも、その程度の指示で充分ではあったのです。諜報部隊は独力で動けるだけの人材が揃えられていましたので」
「エルバートは目的のために手段を選ばない男だとお前は言っていたわね。目的というのはつまり……」
「楽をして利を得ることにあります。そのための諜報部隊でしょう、おそらく」

「その諜報部隊とやらが暗躍したせいで、カーライル侵攻前に私は有能な艦長をふたりも失ったというわけね」
「3人です、レイラ様」
「どういうこと? 暗殺された艦長は2人だったはずよ?」

「出征前に、艦長が1人 処刑されているでしょう」
「ああ、あれね。私自身の手でつま先から少しずつ切り取ってあげたけれど、何か関係があるの? あれは敵国に内通していたから処断したのよ。賊の手に掛かったというわけではないわ」
「内通がカーライルの諜報部隊による離反工作だとしたら?」
「…………」

「処刑された艦長は、内通の疑いを否定していたのではないでしょうか」
「最初はそうだったわ。否定しないと処刑されるのだから、当然でしょうね。最終的には認めたけれど」
「拷問によって認めさせただけでは? それと、脅迫ですか。素直に罪を認めなければ家族の安全は保証できない。拷問により心身共に疲れ果てた状態でそんなことを言われては、折れるしかないでしょうな」

「そうかもしれないわね。まあ結局、彼の一族は尽く処刑してあげたのだけれど」
「…………。内通の疑いが浮上したのは、手紙の検閲からですね?」
「そうよ。これ以上はない証拠でしょう」
「処刑された艦長は有能でした。そのように証拠の残る遣り取りをする際には慎重を期すはずです」

「ただの間抜けだったのよ。ある分野では才能を発揮しても、別の分野では無能を晒す。よくあることだわ」
「本気で仰っているわけではないでしょう?」
「手紙が偽物だったとでも言いたいの? あれは本人が書いたようにしか見えなかったけど」
「そんなものはいくらでも真似できます。訓練さえ積めば」

「敵国から見返りを約束する手紙も来ていたわ」
「そちらも偽造です」
「当時の敵国といえば、確かハル王国よね。カーライル王国はハル王国と友好関係にあったはず。勝手に手紙を偽造したことが露見したら、関係悪化は避けられないでしょう。それとも何? ハル王国も情報工作に力を貸していたとでも言うの?」

「いえ。カーライル王国が勝手にやったことです。カーライル王国というより、エルバートの諜報部隊が、と言うべきですか。ともかく、ハル王国は関与していませんでした」
「ハル王国の心象を悪くするのも構わず工作をしたということ?」

「あの時点では、ハル王国との関係など考慮に入っていませんでした。ハル王国はあなたの手によって近いうちに征服されるだろう、と諜報部隊は分析していましたので」
「見捨てたというわけ? いえ、それどころか、友好国の最期を策に利用したことになるわね」
「外交政策は国が決めることです。第二王子 直属の小さな諜報部隊には、いかんともしがたい問題でした。であるならば、状況を最大限に活用するしかないでしょう」

「道理ではあるわね。感情に流されて無意味なことをするよりも建設的だわ」
「なにより、国家のためであります」
「そうね」
 レイラは素っ気なく答えた。
 アレクセイは、国家に忠誠を誓うタイプではない。そのことをレイラは見抜いているのだった。

 彼女の反応をアレクセイは内心で歓迎した。
 実際に本心から言ったわけではなかったし、信じてもらえることを期待していたわけでもない。
 自分がレイラ女王にどのような人物だと見られているのかを確認したかっただけである。

 結果は上々だった。
 どうでも良いと思われているのなら、そもそも観察対象にすらなっていないはずで、こちらの気質などレイラ女王は考えもしなかったに違いない。
 心にもない言葉だと看破されたのは、多少なりとも興味を持った目で見られているからなのだ。
 元から分かっていたことではあるが、これで確信することができた。

「カーライルの諜報部隊とやらは、艦長ふたりを暗殺しただけでなく、偽情報で陥れたりもしていたわけね」
「左様です。切り崩し工作の犠牲となったこの3人は共に有能でしたが、他に何か共通項は思い当たりますか?」

「そうねぇ」
 レイラはしばらく逡巡してから首を横に振った。
「ないわね、別に。しいて挙げるなら、口うるさい爺ばかりだということくらいね。そういう話ではないのでしょう?」

「いえ、問題はまさにそこです。3人の艦長は、保身しか考えない者どもとは違い、レイラ様の機嫌を損ねるのも気にせず進言する知略と勇気を持っていました。ゆえに諜報部隊は優先的に彼らを狙ったのです。事前に排除することによって、レイラ様に苦言を呈する者は居なくなり、ベリチュコフ軍は敵地で無防備になる可能性が高まりました。レイラ様が捕縛された奇襲作戦は、この延長線上にあります」

「あれもこれも、直接関わっているわけではないとはいえ、諜報部隊を作り上げたエルバートの意図していたことになるのよね、結局」
「そうなります」
「恐ろしい話だわ。血も涙もないわね、エルバートという男は。きっと良い死に方はしないでしょう」
「…………」
 突っ込み待ちなのだろうか、とアレクセイは思ったが、そこには触れないことにした。

「下が優れていれば、上が楽をできる。だからこそエルバートは人事に興味を持っているのかもしれませんな」
「詳しいわね、お前。まるで諜報部隊に所属していたことがあるかのようじゃない?」
「所属と言いますか、私がその諜報部隊の長でしたので。参謀職の片手間に兼務していただけではありますが」
「そう」
 レイラに驚いた様子はない。
 彼女が感情表現に乏しいのは知っていたが、多少なら意表を突けるかもしれないと思っていたアレクセイは拍子抜けした。

「もしやご存じでしたか?」
「いいえ。でも、どうせそんなところだろうと思っていたわ」
「ご慧眼、恐れ入ります」

 アレクセイの言葉にレイラはわずかに眉を上げた。
「お世辞は結構よ。ああ、いえ、お前は媚びを売るような気質ではないか。……となると、私はずいぶんと侮られていたようね。この程度のことで慧眼とまで言われるなんて。話の流れを考えれば疑って掛かるべきことでしょう、お前が諜報部隊に居たことくらい」

「確かにその通りです。戦場では無類の強さを誇っていながらもレイラ様の戦略は穴だらけだったもので、実のところ侮っておりました。今後は多少 認識を改めることにしましょう」
「多少、ねぇ」
「失礼致しました。上官にとって耳の痛いことでも事実をありのままに述べることを長年の信条としてきましたゆえ、どうも癖が抜けていないようです」

「ひょっとして、自分は殺されないとでも思ってる?」
「そういうわけではありませんが……」
「エルバートがお前のような男を重用していたのは何故なのかしらね」

「私が率いていた諜報部隊の実績を見て頂ければ、充分お分かりになるのでは? ご存じかとは思いますが、軍幹部の暗殺は簡単ではありません。処刑されるように仕向けるのと同様に、艦長2人を暗殺するのにも、相当な手間を掛けております。自分で言うのも何ですが、半端な策士にできる芸当ではないでしょう」
「…………」

「ご心配には及びません。私があなた様の参謀になれば、今後このような謀略の脅威に晒されることはありません」
「別にそんな心配をしていたわけではないけれど。え? なに? 参謀? 参謀の座が望みなの?」
「レイラ様のご温情にあずかることができるのであれば」
 アレクセイは畏まったが、腹の底では別の感情を抱いていた。

「まさかとは思うけど」
 冷めた目をしてレイラは言った。
「この私に恩を売った気になっているのではないでしょうね?」

「いえ滅相もない」
 アレクセイは即座に答えた。
 もう少し間を置くべきだったかと後悔したが、功績への対価を求めるのは臣下の権利であり、自分がそう思っていることはどうせすぐに分かってしまうことだろう、と考えることにした。

 それにしても、とアレクセイは思う。
 周りに俺の私兵しか居ない状況であっても、女王の傲慢な態度は変わらないのか。俺がその気になれば、彼女を海に放り出すことも可能だ。なのに、レイラ女王は、現状に気付いていないかのような態度で、何をしても許される女王として振る舞っている。剛胆な女だ。
 むろん、本当に何も分かっていないわけではないだろう。自分ひとりの身だけでは無力な女でしかないことは、捕虜であった時に嫌というほど思い知っているはず……。

 一方でアレクセイは、彼女が立場を弁えてこの俺に気を遣ってきたりしたら興醒めするだろうな、とも思っていた。

「しかし、レイラ様。私に対しては構いませんが、誰に対しても威圧的な目を向けるというのは、いかがなものかと」
「別に威圧しているつもりはないのだけど」
「表情に問題があるのかもしれませんな。あまりに変化がなさすぎるのです。少し笑ってみてもらえますか」
「そんなことをする必要があるの?」

「穏和な態度を取れば、配下はレイラ様に親しみを持つようになります。結果、様々なことがこれまでよりも上手くいくようになるでしょう」
「ふぅん……」
「レイラ様の覇業には欠かせない要素です。さあ、にっこりとしてください、にっこりと」
「今?」
「練習です。何事も経験が大事でしょう」
「仕方ないわね」
「では、どうぞ」

「にっこり」
「……!」
 女王の笑顔にアレクセイは目を見開いた。
 無邪気だった幼少時の面影がそこにあるような気がした。
 気のせいかもしれないが。

 レイラはすぐ無表情に戻った。
「何か反応をしなさいよ」
「ああ、その、あまりの衝撃に言葉を失っていたと言いますか、絶句という反応をしていたと言いますか……」
「どういう意味かしら?」
「レイラ様の笑顔は恐ろしく効果的ということです」
「恐ろしく?」
「効果的です」
「…………」
「…………」

「にっこり」
 レイラは唐突に微笑んだ。
「うっ!」
 アレクセイの息が詰まる。

「なに、それ」
 またしてもレイラの表情は あっさり消えた。
「申し訳ありません。不意打ちだったもので」
「本当に効果的なのかしらね」
「もちろんです」

「お前はどうなの?」
「私、ですか?」
「お前は私の笑顔を見て、親しみを持ったの?」
「……多少は」
「本気で言っているのかしらね。まあいいわ。なんにしろ、私の下で参謀としての栄達を望むのなら、私の気に入るやり方を心得ることね」
「はい」
「何か分かる?」

 アレクセイは数瞬だけ考えてから答えた。
「レイラ様が戦場で力を発揮できるよう、環境を整えること。そして、戦場ではレイラ様に口出しをしないこと。この2点でありましょう」
「正解。しばらくは側に置いてあげてもいいわ」

「ありがとうございます。参謀総長として働けるとは、至福の極み」
「参謀総長にするとまでは言っていないのだけれど」
「私の能力からすると適任ではないかと」
「図々しい男ね。まあ、どっちでもいいわ。好きになさい」
「もう一つだけ進言を受け入れてもらえませんか」
「たった今、図々しいと言われたばかりなのに、よくそんなことを言えるわね。少しだけ感心してしまったわ」

「人質の少女についてなのですが」
「なにかしら?」
「もう少し丁重に扱うべきでありましょう」
「私がラナを痛め付けようと何をしようと、お前には関係のないことよ」
「そんなことはありません」

「そういえば、誘拐した張本人はお前だったわね。あの女が気になるの?」
「別にラナの身を案じているわけではなく、参謀総長としての意見です。ラナを粗略に扱うのはいつでもできますし、扱い方自体を取引の材料にすることもできます。なにも無意味に虐げることはないでしょう」
「却下」
「…………」

 アレクセイの見るところ、彼女はただの気紛れでラナを虐めているわけではなく、どうやら何か理由があってそうしているようだった。
 自分を捕縛した男の幼馴染みだから、なのだろうか。
 拷問された恨みはレイラの人生に根深く残ることになるのだろうが、それにしても……。
「あの娘はレイラ様を助けようとしたのでは?」
 そこがアレクセイには疑問だった。
 何かしらの配慮くらいはあっても良いだろう。そのくらいの恩はあるはずだ。

 レイラは言った。
「だからこそよ」

――――

 レイラは艦の一室に足を踏み入れた。
 そこは異臭の漂う部屋だった。
 まず鼻を突くのは排泄物の臭いである。あえて放置されている糞尿のせいで、室内には汚臭が充満していた。
 胃から込み上げてくる不快感にレイラは顔を顰めたが、部屋の中央で拘束されているラナは自分以上に気分が悪いだろうと思い、満足した。

 レイラは言った。
「もうすぐ日没ね。あと数分で拷問の時間になるわ。楽しみでしょう? 私も楽しみで仕方がないわ。私が捕虜になっていた時にお前が向けてきた同情の目が忘れられなくてね。今でも鮮明に思い出せる。というより、嫌でも思い出してしまう。そのたびに私は、お前を泣き叫ばせてやりたくなるのよ」
 ラナの身体に指を這わせる。無数に刻まれている鞭跡のうちの一本をなぞっていく。

「分かるかしら、そういう気持ち。この私が同情されるだなんて、あってはならないことなの。とても屈辱的なことだったのよ」
 鞭跡は幾重にも交差していた。
 いずれも赤いが、薄く肌を彩っているだけの細い線もあれば、醜く腫れ上がっている太い線もある。

 美しい、とレイラは思った。
 白い肌の上を赤い線が縦横無尽に走り回っているだけでも鮮やかではあるが、ところどころにある青痣が、より鞭跡を引き立てていた。

 趣向はまだある。
 首から下に鞭跡を張り巡らせていながら、ラナの顔には傷ひとつ付けずにおいたのだ。
 鞭によって蹂躙された体と、無傷の顔。芸術的なまでの対称性にレイラは惚れ惚れした。

 ラナは小刻みに震えていた。
 先程から何かを言おうとしている様子だったが、口がうまく動かないらしく、まともに声が出ていない。

「なに? 文句があるの? いいのよ、今なら聞き流してあげる。何を言われても、どのみち私はお前を拷問するのだし、拷問内容も大して変わらないわ、きっと。絶対とは限らないけれど。さあ、言いたいことがあるのなら、言いなさい」

 ラナは何度も口を開閉してから、ようやく声を絞り出した。
「もう、許してください……」
「あまり失望させないで頂戴。私に哀れみを求めても逆効果であることは分かっているでしょう。相当な才媛だと聞いていたけれど、これでは本当かどうか怪しいわね」

「お、お願いします。これ以上は耐えられません。どうか、お許しください」
「ちゃんと喋れるくらいだから、まだまだ元気じゃないの」
 言いながら鞭を手に取る。
「なら、多少の無茶をしても死ぬことはないでしょう」
「…………」
 ラナの全身から生汗が滲み出た。


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