水の星、世界を手に入れる男
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第一章 第二章 第三章
『水の星、世界を手に入れる男』
第25話 侵攻戦・五

 一斉砲撃のタイミングを探りながら、エルバートは別のことを考えていた。
 ここにラナが居たら、なんて言うだろう? やはり降伏の呼び掛けを勧めてくるのだろうか?  しかしそれはできない。
 大量の捕虜を抱えれば、監視するために兵力を割く必要があるし、彼らを食わせるために更なる補給も必要だ。
 進撃速度は大幅に鈍り、ベリチュコフ西域の早期占領は困難なものになるだろう。
 そしてレイラの捕捉も難しくなる。
 これを回避するためには敵軍を殺戮するしかない。

 今からやろうとしているのは、一方的な虐殺だ。
 殺すために殺す。
 しかも、完全な私情に基づいて。
 敵艦隊を撤退ないし降伏させるために敵兵を殺すのとは訳が違う。

「…………」
 さすがに躊躇してしまう。
 だが結局のところ、自分がどのような結論を下すのか、エルバートには分かっていた。

「エルバート様」
 決断を促すようにノアが呼び掛けてきた。
「ああ」
 エルバートは短く返事をした。

 わずかな沈黙の後、言った。
「全艦、全魔術隊、砲撃開始」

 カーライル軍10隻から魔術弾が同時に放たれた。

――――

 残存しているベリチュコフ軍15隻は次々に直撃を受け、艦内の指揮系統が急速に崩壊していった。
 総司令官の命令が各艦に行き渡らないだけでなく、各艦長の命令すらも末端に届かなくなり、現場の兵士が本能のままに動き始めた。

 カーライル軍から少しでも距離を取ろうとした七番艦は、味方艦の間を縫って艦隊の中心に入り込もうとした。
 これを許せば自らが敵の前に艦艇を晒すことになってしまう位置に居た十二番艦は、七番艦の動きを阻止すべく、進路を塞ぎに掛かった。

 味方艦に進路を塞がれた形になった七番艦だが、足を止めることはなかった。
 一切の減速をせず、無防備な十二番艦の左舷に突っ込んだのである。

 これは、両艦長の意志によるものではなかった。
 七番艦が艦隊の内側に向かったのは、航海長(中尉)の独断であり、それを阻もうとした十二番艦の動きに至っては、航海科の班長(一等兵曹)による暴走だった。

 敵の砲撃よりも大きなダメージを受けた十二番艦は、これにより航行能力を失ったが、ベリチュコフ軍全体への影響は、より深刻だった。
 七番艦に続けとばかりに、各艦が艦隊の中央部に向かい、結果、艦同士の衝突が続発したのである。
 アナスタシヤの予想した通り、一斉砲撃によってベリチュコフ軍は完全に戦闘能力を失った。

 しばらく経ってから、無秩序な同士討ちは収まりを見せ始めたが、なにも統制が回復したわけではなかった。
 カーライル軍からの砲撃で甲板上の兵力が激減し、利己的な動きを実行できる艦が減ってきたというのが、混乱収束の理由だった。

――――

 ベリチュコフ軍は、いずれの艦も甲板を無残に荒らされていた。
 帆が倒れても、悲鳴を上げる者はほとんど居ない。甲板に居るのは、戦死ないしは負傷した者ばかりで、大声を出せる者は残り少なかった。

 砲撃の被害を受けた者と受けていない者の違いは運だけである。
 怯えて泣き喚く者も、最後まで勇猛であろうとする者も、等しく砲火に晒された。

 全軍の混乱を大きくする切っ掛けを作った七番艦の航海長は、魔術弾に脇腹を抉り取られ、床に倒れ伏して苦痛に呻いていたが、それはなにも、自らの行いに罰が下ったわけではない。
 航海長を必死に諫めていた副航海長も、上官のすぐ近くで、へし折れた帆に足を潰され、激痛との戦いを余儀なくされた。
 さらにその周りでは、彼らの部下が血まみれで倒れていた。まだ生きている者も居れば、すでに死んでいる者も居る。

 包囲下における敵の一斉砲撃が始まった当初、末端の兵たちは、生命の危機に動揺すると同時に、心中で責任の所在を求めた。
 数で大きく上回っていた戦いが、なぜこんなことになったのか。
 戦場全体を正確に把握していない兵たちからすれば、不意打ちを食らって地獄に叩き落とされたような気分だった。

 誰のせいなのか。追求の矛先は、自然、総司令官アナスタシヤに向かった。
 兵たちは胸の内でアナスタシヤに罵声を浴びせた。公然と批判を口にする兵さえ居た。
 しかし、甲板上で無事な者が目に見えて減ってくると、それどころではなくなった。
 彼らはとにかく願った。どうか、自分のところに魔術弾が飛んできませんように……。

 それが叶わず、苦痛にのたうち回る立場に追い込まれた者は、その性格によって、ふたつの異なる反応を見せた。
 重傷を負っても なお生きたいと願うか、早く死んで楽になりたいと願うか、どちらかに分かれるのである。

 多数派なのは前者だった。
 手を失おうが足を失おうが、耐え難い激痛に苛まれていようが、本能が死を拒否し、生存が困難であることが分かっていても、砲撃が逸れることを願わずにはいられない者たちである。
 だからといって、このようなタイプが精神的に優れているというわけではない。見方を変えれば、死を受け入れる勇気がなく、現実から目を背けているとも言える。

 ある上等兵は、右足を弾き飛ばされ、床に腹這いの状態で意識を失ったが、直後に目を覚ますと、残った左足と両手を使って甲板を這いずり、その場から逃げようとした。
 むろん、その行為で魔術弾を回避することはできないが、砲撃の恐怖から逃れることはできた。
 動き回ることによって余計に血を流した彼は、出血死を招き寄せ、永遠に意識を失ったのである。

 当の上等兵からすれば不本意だったろうが、早期の死を願う者も少数ながら存在していた。
 絶望的な状況では生存を諦めた方が合理的だ、という判断を下したわけではない。
 耐え難い痛みに襲われながら、味方が次々と死んでいく地獄絵図を突き付けられて、死という安息に逃げようとしているに過ぎなかった。

 自分以外の班員がすべて戦死してしまった砲雷科の一等兵は、甲板に膝を着き、頭を垂れていた。魔術弾で飛び散った床板に腹を切り裂かれ、腸が飛び出しているため、動くに動けなかった。
 彼の意識は朦朧としていたが、暴れ狂う痛覚に精神を掻き乱されてもいた。
 今すぐ死にたい、と彼は心底から願った。

 望みが叶うのは、腸を甲板にぶち撒けてから7秒後のことだった。
 魔術弾が直撃して、頭部と共に意識を刈り取られたのである。

 たった7秒で死ねたことを幸運と言うこともできるが、1秒の苦痛もなくこの世を去った兵も多数 居たことを考えると、やはり不運だったと言うべきだろう。
 普段から彼を苛め抜いていた砲雷科の班長は、逃げ回る他の兵に突き飛ばされて帆に頭をぶつけ、気絶した後に砲撃を受けると、そのまま息を引き取った。

――――

 甲板を破壊し尽くされ沈黙していく艦隊を、アナスタシヤは、憔悴しきった表情で見ていた。
 他の艦と同様に、旗艦も大きな被害を受けているが、彼女自身は未だ掠り傷ひとつなかった。
 敗戦の責任を負うべき自分が無傷なのに、周りの者たちが傷付いていく……。
 偶然の結果であり、いずれ自分も致命傷を受けることになる可能性は高いが、本人からすれば、やり切れない想いがあった。

「アナスタシヤ様」
 通信兵が声を掛けてきた。
 まだ職務を全うしようとする兵の居る艦は、ここ旗艦を含めても、5隻とないだろう。
 旗艦の中でも彼のような兵は少数に過ぎない。ほとんどの兵は、戦死したか、重傷を負ったか、平静を保てなくなった。

 崩壊状態にある艦隊において今も職務に忠実なこの通信兵はそれだけでも逸材だが、彼にしたところで、四方八方から降り注ぐ砲弾を避け続ける術はない。高い確率で死ぬ。
 アナスタシヤは、ベリチュコフ王国の未来を憂えずにはいられなかった。

 まだ王都に主力艦隊が残っているものの、人材を大量に失った我が国は、今後、エルバート要するカーライル軍に対抗できないだろう。
 一方的に殺されていく兵たちの現状が王国の未来を映し出しているように思えた。

 すべてはあたしの失策が招いたことだ……。
 アナスタシヤは全身の震えを抑えることができなかった。
 つい先程まで、自らの才能の底知れ無さに打ち震えていたことが、嘘のようだった。

 反応の鈍いアナスタシヤに通信兵はもう一度呼び掛けた。
「アナスタシヤ様」
「……なに?」
「六番艦と九番艦から共同で通信が送られてきました」
「続けて」
「レイラ女王を諫めることもできず、アナスタシヤ様の力になることもできず、面目次第もなく、心より謝罪する」
「…………」

「あの、以上です」
「……そう」
 アナスタシヤは、さらに言葉を連ねようとしたが、結局は口を閉じた。
 何とも言い様がなかった。
 六番艦と九番艦の艦長といえば、海戦直前の会議であたしが辛辣に批難した者たちではなかったか。
 しかるにこの通信。
 彼らも腹の底ではあたしと心を同じくしていたのだろうか。

 ……あたしは彼らの性根を読み違えていたのか。
 王国の行く末を真剣に考えているのは自分だけで、お姉様の暴挙を止めるために努力しているのも自分だけ。
 今までそう思ってきたけれど、浅はかな思い違いだったということになるのか。

「こちらからも六番艦と九番艦に通信を送るわ。準備して」
「それが……向こうからの通信を最後に、反応が途絶えました」
「魔法陣が破壊されたか、あるいは通信兵が動けなくなったか、ということね」
「おそらく」

 謝ることも許されないか。
 となれば、どうするか。
 今のあたしにできることはひとつしかない。

「艦内に通信を送るわ」
 アナスタシヤは命令を発した。
 まず無駄に終わるであろうことは分かっていた。それでも黙ってはいられなかった。

――――

 アナスタシヤは旗艦の人員を再編した。
 すでに船員の半数が死傷している上、激しい砲撃を受け続けている中でのことである。艦が再び息を吹き返したのは奇跡だった。

 アナスタシヤ艦は旋回し、敵艦の至近を通過するべく前進した。
 包囲網下においても、アナスタシヤは、砲撃の緩い艦を見極めており、その至近を突破の対象に選んだ。

 眼前の艦は動揺を隠せず後退した。
 アナスタシヤ艦は色めき立った。船員の誰もが突破を期待した。

 しかし、間近に陣取っていた1隻の敵艦が、横合いから苛烈な砲火を浴びせてきた。
 あまりに素早いその反応から、アナスタシヤは、動きを読まれていたことを悟った。
 側面の艦に読まれたのか、エルバートに読まれたのか、アナスタシヤには分からなかったが、とにかく、自分の命運が尽きたことだけは確かだった。

――――

 この海戦で、ベリチュコフ軍は、参加総数19隻のうち18隻を失った。
 帰還を果たしたのは、左翼艦隊の指揮を任されていながら戦場を離脱したボリス艦のみである。
 戦死者は3000人以上に達した。ボリス艦を除いた生存者は、500人足らず。そのほとんどが負傷者であり、カーライル軍の捕虜となった。

 総司令官アナスタシヤは戦死した。
 失われた18隻の艦長も大半が命を落としている。

 対して、カーライル軍の損失は、参加総数12隻のうち2隻に留まり、全艦の死者は、300人をわずかに超える程度だった。

――――

 エルバートは敵艦の捕獲を配下に任せ、指揮官席に深々と身を沈めた。
 ノアの気配が近付いてくるのを感じても、上体を起こすことはなかった。

「だいぶお疲れのようですね、エルバート様」
「まあな。最終的には圧倒した形になったが、実際はぎりぎりの戦いだった。正直言って、危なかったよ」
「ですが、これ以上ないほどの完勝であることは事実です」
「そうだな……」

「指揮官は結果がなによりも大事です。誇っても構わないのですよ」
「お前が褒めているってことは、心から賞賛しているってことで良いんだよな?」
「そんなに警戒しなくても良いでしょうに」
「一応、素直に受け取っておこうか」

「喜ぶなら今のうちです。これほど鮮やかな包囲殲滅は、おそらく、もう二度とできません」
「やっぱそうなるか?」
「海戦の経緯は周辺諸国へ知れ渡ることになるでしょう。エルバート様の名前と共にね。今後は、戦う前から警戒されるというわけです。欲を掻いて今回の再現に固執すれば、足元をすくわれますよ」
「ま、何度も同じ手が通用するほど甘い話はないか。にしても……」

「なんです?」
「こう、なんか、ぞくぞくするよな。勝つとさ」
「私にはよく分かりませんが」
「戦争に魅入られるってやつかな」

 圧倒的な勝利を得たということは、多くの敵を死に至らしめたということを意味する。味方の死傷者も、敵ほどではないが、皆無ではない。
 だというのに、エルバートは勝利の快感に酔いそうになっていた。ラナが大変な時であることを忘れたわけではないが、それでも尚である。

「問題ないのでは? 誰でも勝てば嬉しいでしょう。特に弊害があるようには思えません」
「かもな」
 ラナならそんなことは言わないだろう、とエルバートは思った。

「勝利の美酒に酔うのは良いことだと個人的には思います。エルバート様には、目の前の餌に飛びつくという単純な一面がありますから、今回の成功体験は、次のやる気の維持に繋がるでしょう。ですから、今は馬鹿みたいに喜んでください。さあ、どうぞ」
「お前のせいでもう喜べねえよ……」
「はあ、そうですか」

「けど、どうだろう。同等の戦力でレイラと再戦したら、案外、俺の方が勝っちゃったりするかもな」
「さすがにそんなことはないでしょう」
「いやいや、やってみないと分かんねえだろ」

「エルバート様の軍事的才能は確かに非凡ですが、軍神レイラは別格です。あれと同規模の艦隊でぶつかるような状況になった時点で、我々は戦略的に敗北しているのですよ」
「同規模どころか、圧倒的劣勢の中で勝ったけどな、俺は」
「偶然ですけどね」
「なんでそういうことを言うかな」
「参謀ですから」
「お前の性格が悪いだけだろ……」

 ふむ、とノアは思った。
 この人の補佐をするのも楽じゃない。必要以上にレイラと張り合おうとし、何かあるとすぐに拗ねてしまう。子供のようではないか。

 だからといって扱いやすいというわけでもないのが困ったところだ。
 単に司令官として優れているだけではなく、変に勘の鋭いところがあるため、こちらの思い通りに操ることは難しい。
 今も、戦闘とは別に何やら企んでいるようで、たまにそのことに関して思案している様子が窺える。
 まったくもって扱いにくい。まあ、そうでなくては仕える価値もないが。

「ふー……」
 エルバートは椅子に座ったまま目を閉じて、ゆっくりと息を吐き出した。
 その様子をノアはしばらく見下ろしていた。


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