水の星、世界を手に入れる男
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第一章 第二章 第三章
『水の星、世界を手に入れる男』
第08話 ベアトリス少佐

 エルバートが戦姫ベアトリスとまともな会話をしたのは、王都に帰ってからのことだった。奇襲戦の直後に船上でいくらか言葉を交わしたが、挨拶程度で終わった。
 ベアトリスが疲労困憊だったためである。長い奴隷生活を送った上で大立ち回りを演じては、さすがの戦姫も平然としてはいられなかった。
 ベアトリスは王宮の一室を貸し与えられ、そこで充分に休息を取ってから、改めてエルバートと対面した。

「ずいぶんと苦労してきたらしいな、ベアトリス姫。身体は大丈夫なのか?」
 エルバートが言うと、戦姫は柔らかな笑みを見せた。
「ええ、おかげさまで。あなたのおかげで助かりました。保護して頂き感謝しています」
「もっと勇ましい女なのかと思っていたけど、素は上品なんだな。レイラを捕らえた時の咆哮は堂に入っていたと聞いてたんだが」
「え、ええ」
 ベアトリスはわずかに頬を赤らめた。
「その、私、戦場ではテンションが上がってしまうんです」
「テンション? ああ、たまに居るよな、そういう奴。ここまで落差があるのは珍しいけど」

「こら」
 斜め後ろに控えていたラナが、肘でエルバートの頭を小突いた。
「失礼でしょ、エル」
 小声で注意したつもりだったが、思っていた以上に声が出てしまったことに気づき、ラナは戦姫の様子を窺った。

「…………」
 ベアトリスは目を丸くしていた。
 軽くとはいえ、侍女が王子に手を上げたのだ。そのうえ対等な物言い。ふたりの関係を知らぬ者には驚くに値する光景だろう。
 もしベアトリス姫が身分の差を絶対と考えているのなら、不快な光景であったかもしれない。
 そう思いラナは頭を下げたが、ベアトリスは目礼を返すだけで何も言わなかった。

 それでもラナは恐縮して姿勢を正した。
「申し遅れました。私はエルの……あ、いえ、エルバート殿下の世話役を務めております、ラナと申します。お話を遮ってしまい申し訳ありません」
「いえ、お気になさらずに」
 平民のラナに対しても、ベアトリスは、礼儀正しい態度を崩さなかった。

「あなたは確か奇襲戦に参加していましたね、ラナ。つまり、あなたは私の命を救ったひとりになります。ですから、私に遠慮することはないのですよ。エルバート殿下と個人的に親しい間柄であるのなら、あえて私の前で伏せる必要はありません」
 聡明な戦姫は、ある程度の事情を察したようだった。エルバートとラナの間柄を微笑ましいものと思っているらしいことが、彼女の表情から分かる。
「あ、はい。恐縮です」
 ラナは赤面した。
 エルバートとの関係を好意的な目で見られるのは久しぶりで、なんとも照れくさかった。

 一方のエルバートは、まじまじとベアトリスの顔を見つめていた。
「にしても、綺麗な顔をしているな。戦姫の美しさは遠方のこの国でも評判になっていたくらいだから、どれほどのものかと思っていたが、うん、納得だ。これだけ美人なら、戦っている姿はさぞ映えただろう。戦姫の剣技を俺も見たかったよ」
「カーライル王国には前にも一度 来たことがあります。その時にお会いしたことはなかったでしょうか。実のところ、失礼ながら、私の方はあまり覚えていないのですが、お互いの顔くらいは見たことがあるのではありませんか?」
「そうだったかな?」
 エルバートは首を捻った。

「3年前の結婚式のことでしょうか?」
 尋ねたのはラナだった。
 ベアトリスは頷いた。
「ラナは私のことを以前からご存じだったのですか?」
「はい。第一王子の結婚式では、確かに我が国はベアトリス様を招待していたと記憶しております。ただ、エルは式を欠席していました」
「そういうことですか。面と向かって挨拶をしたことがなかったのですから、エルバート殿下の顔を思い出せなかったのも道理ですね。しかし、なぜ欠席を?」

「その……」
 ラナが言いにくそうにしていると、エルバートが平然と言った。
「海賊退治に出掛けていたんだ」
「そうですか。軍務に精を出していたのなら、式に出られなかったのも仕方のないことですね」
「いや、軍務というわけじゃない。国内外の王侯貴族と愛想笑いを浮かべ合うのが嫌だったから、こっそり城を抜け出して、勝手なことをしていただけだ」
「こっそり? 護衛もつけずに城を離れたのですか?」
「ああ」
 エルバートは事も無げに頷いた。

「ベアトリス様。他国の王族まで出席していた式に出られず、大変申し訳ありませんでした」
 謝るラナにエルバートが口を挟む。
「別にいいだろ、そんなこと。ベアトリスだっていちいち気にしていないはずだ」
「ちょっと、失礼じゃないっ」
 エルバートをたしなめてから、ラナは再び頭を下げた。
「不躾で申し訳ありません。この通り礼儀を知らないもので、恥ずかしい限りです」
「構いませんよ、私は」
 ベアトリスは気分を害した風もなく、むしろ楽しそうに笑っていた。

「それはともかく、実は頼みたいことがある」
 エルバートの言葉にベアトリスは表情を改める。
「なんでしょうか?」
「もし頼る先が他国にあるのなら止めないが、あなたには客将として力を貸して欲しいと思っている。どうだ?」
「喜んでお引き受け致します」
「……即答か」
「自分から頼むつもりでしたもの。国を亡くした私に居場所を与えてくださると言うのですから、感謝する他ありません」
「そうか。そりゃよかった。これで楽ができるようになる。面倒な仕事は頼むよ」

 ラナが唇を尖らせる。
「あんたね、本人の前でそんなこと言っちゃ駄目でしょ。まるでベアトリス様を利用しようとしてるみたいじゃない」
「そういう魂胆は実際あるだろ、俺もお前も。ベアトリスのためになるだろうと思っているのは事実だが、全くの善意のみってわけでもない。そんなことはベアトリスも承知しているさ。根に持つほど阿呆でもないだろうよ」
「だからってわざわざ口に出さなくてもいいでしょ。あんたは礼儀を知らなすぎるのよ」
「うるせえなぁ」

 言い合うふたりをベアトリスは微笑みながら眺めていた。

――――

 ラナが退室するとエルバートは言った。
「あなたには、とりあえず少佐として、軍艦1隻の艦長になってもらう。いずれ戦姫に相応しい地位を用意するが、いきなりは無理だ。分かっているとは思うが」
「これからの功績に応じて地位を頂けるのなら、何の問題もありません」

「とはいえ、俺から与えられる権限には限りがある。王位は兄上が継ぐことになるだろうから、俺は、辺境のそこそこ大きい島を統治するだけで人生を終えるだろう。王族ではあっても、兄の家臣となんら変わらない。そんな奴と運命を共にしても先は知れている。もし不満ならば、ゆくゆくは兄の下に付くといい。そうなっても別にあなたを恨みはしない。まあ俺としては、将来 俺が任されるであろう辺境の軍をあなたに一切合切 取り仕切ってもらえたら助かるんだけどな」

「ストレンジャー公爵家の御曹司はどうするのですか? デューク・ストレンジャーでしたか。先ほど少しだけ話をしましたところ、あなたのことをずいぶんと信頼しているようでしたが」
「デューか。あいつは辺境軍の司令官に収まるような身分じゃない。将来は王国軍の中枢に席を用意されているはずだ。いつまでも俺の手許に引き留め続けるわけにはいかないんだよ。ストレンジャー公爵家から受け継ぐ領地も莫大なものになる。名目上の立場は王族の俺の方が上だが、20年後の実質的な権力はあいつの方が上になっているだろうな」

「彼の立場については分かりました。では、あなた御自身の立場についてはどう考えていらっしゃるのですか?」
「と言うと?」
「ご自分の手で権力を大きくしようとは思わないのですか?」
「王位を簒奪しろとでも?」
 エルバートは面白がって聞き返したが、ベアトリスの表情はあくまで真剣だった。

「そうではなく、たとえばこうです。混乱しているベリチュコフ領のいくらかを併呑し、その功績を持ってベリチュコフ方面軍の指揮官を願い出るのです。そうすれば、旧ベリチュコフ領をあなたが治めることも後々は認められるかもしれません」
「いや、難しいだろう。俺は父上に嫌われているからな。俺が隣国を征服したところで、その領地を俺のものとして認めてもらうのは困難を極めるだろうよ。まあラナに言わせると、怠けまくってきた俺の自業自得らしいんだが」
「今の仰り方ですと、ベリチュコフの征服そのものに関しては、あまり困難だと考えていないように聞こえますね」
「そこまでは言わないが……」

「たとえ嫌われていたとしても、誰もが認める実力を示せば、国王陛下も相応の地位を用意せざるを得ないのではありませんか? 簡単なことではないでしょうが、軍神レイラに立ち向かったあなたなら、不可能ではないでしょう。私はそう思います」
「だとしても俺にそんな野心はないさ」
「なぜですか。才能に溢れた王侯貴族が特別な理由もなく野心を抱かないだなんて、とても信じられないのですけど……いえ、いいでしょう」
 ベアトリスは目を伏せた。
 そのうちまた何か言ってくるかもしれないな、とエルバートは思った。

「あの奇襲はたまたま成功しただけで、あなたがいなかったら俺は今頃 死んでいただろうよ」
「かもしれませんが、それはレイラの力が常識を超えていたからでしょう。手玉に取られたからといって、気にすることはありません」
「別に気にしてなんかいない。……いやちょっと待て。手玉に取られたというのは言い過ぎじゃないか? 同数の兵力があれば、勝敗はともかく、あそこまでレイラの好きになんて――」
 そこまで言ってからエルバートは口の動きを止めた。
 かすかだが茶化すような笑みを戦姫が浮かべていることに気付いたからだった。

「意外に人が悪いな、どうも」
「申し訳ありません。ですが、野心はなくとも、負けん気はあるようですね」
「まあな」
 この場にラナがいたら、そういうとこが子供っぽいのよ、とでも言われていただろうな。エルバートはそう思い苦笑した。

「ひょっとして、レイラと再戦したいと考えていますか?」
「ないない。正直言って、あんな恐ろしい奴とは二度と戦いたくない。ベリチュコフから捕虜返還の要求をされても、俺は絶対に応じないぞ。帰ってきた父上がもし応じそうになったら、どんな手を使ってでも阻止してやる。できれば今すぐ処刑してしまいたいくらいだ」

「同感ですね。レイラを自由にすれば、また無数の悲劇が生み出されることになります。彼女には思うところがあるので、処刑の際にはぜひ私を呼んでください。できればこの手で処刑させて欲しいのですけれど」
 丁寧な口調はそのままだが、重みのある声だった。

 しかし彼女が言っているのは冗談だろう、とエルバートは判断した。
 諸外国の目を考えれば、そう簡単に他国の女王を処刑できるはずはない。その程度のことはベアトリスも承知しているはずだ。

「知っていますか、エルバート殿下。首を落とすには高度な技術が必要なのです。私ならば問題はありませんよ」
「はは……」
 冗談、だよな?  少しだけ不安になるエルバートだった。


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