水の星、世界を手に入れる男
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第一章 第二章 第三章
『水の星、世界を手に入れる男』
第42話 大望


 船内の自室に連れ戻されたシーザー王は、エルバートの訪問を無言で迎えた。

「あまり気分が良くないようですね、父上。まあ、昨日まで軟禁していた俺に、今度は自分が軟禁されているのだから、上機嫌というわけにはいかないでしょうが」
「…………」

 シーザー王は、エルバートが腰に下げている剣に注意を引かれた。
 普段は剣など持ち歩いていないエルバートが、なぜかこの場では帯剣している。威圧のつもりか、あるいは……。

「余を憎む余り殺したくなったのか?」
「まさか」
 エルバートは両手を広げた。
「実の父を殺すわけがないでしょう。人類最大の禁忌を犯す気は毛頭ありません。ですが、王位継承権を剥奪されては困りますので、少々強引な手を使わせてもらいました」

「権力が望みなのか?」
「ええ。あなたの手によってすべてを奪われる前に、この国の実権を握り、世界を征服することにしました。父上には王位を譲って頂きたい」
「良いだろう」
「……ずいぶんと物分かりが良いですね。どういうつもりですか?」

「玉座をくれてやると言っておるのだ。不満はあるまい」
 エルバートは警戒しながら「ええ」と言った。

「だが、無条件というわけにはいかん」
「でしょうね。条件とは?」
「大臣と将官の人事権は余が保持する。その上で、貴様は王となり、自分の権力を好きに使えばよい」
「…………。そういうことですか」

 エルバートは心の中で苦笑した。
 人事を握るは組織を握るも同然だ。王位を俺に譲り、政務・軍務の一線から引いても、父上は多大な影響力を保てるだろう。
 制度上は俺が頂点に立っていても、配下の関心は、人事権を持っている父上の意向に寄せられ、誰もが父上の望み通りに動こうとする。
 そして、父上に取り立てられた者は感謝し、忠義を尽くそうとする。
 忠誠心の向かう先は、もちろん俺じゃない。

 つまり、形式が変わるだけで、俺にできることは極めて限られ、これまで通り父上が国家を仕切ることになるわけか。

「玉座の座り心地に慣れるまでのことだ、エルバート。今のお前は危うい。いずれ落ち着きが出てくれば、実権を持たせてやらぬこともない」
「…………」
 それはどうだろう。
 たとえ現時点では本音なのだとしても、この先も同じとは限らない。
 いつか俺に権限を移譲しようとした時、貴族たちは必ず反対する。特に、マーガレットを担ごうとしている三大貴族は、何としてでも阻止しようと動き回ることだろう。
 彼らに説得されて父上が翻意しないという保証など、どこにもないではないか。

「やはり承服しかねますね。実権のない王に何の価値があるのです?」
「貴様……」
「あなたと三大貴族に牛耳られた国を手に入れても、世界は征服できない。それでは王になる意味がない」
「…………」
「父上。私はこの国を、自分の思うままに動かしたいのです」
「なら玉座はやれん」

「構いませんよ」
「なに?」
「実力で奪い取ることにします」
「最初からそのつもりだったのか……!」
 シーザー王は怒気を発したが、エルバートの顔色は変わらなかった。
「院政など敷かれてはたまりません。はっきり言って、あなたは邪魔なのです」

 エルバートは、腰に据えていた鞘を掴んだ。
「まさか、貴様……」
 呆然とするシーザー王を尻目に、ゆっくりと剣を抜く。

「ま、待て!」
 シーザー王は慌てて立ち上がろうとしたが、中腰になったところでエルバートに肩を押され、再び着席させられた。

「見苦しい振る舞いはせず、堂々と最期を迎えてください」
「余を、殺すのか?」
「あなたを排除するのに今ほどの好機はもうないでしょう。これを逃す手はありません」

 『魔法使い』であるシーザー王を生かしたままサヴィン島に戻ることはできない。エルバートはそう判断していた。
 カーライル王家に受け継がれている天位魔法の性質を考えれば、自力での脱出は難しいだろう。
 しかし、天位魔法を使えば膨大な魔力が放出され、これにより、拉致の事実も場所も周囲に知れ渡ってしまう。
 そのような状況で俺に付いてくる者は限られてくる。
 ゆえに今すぐ殺すしかない。

「馬鹿な! そんなことをして王になれるはずがない! 余を殺して手に入れられるほど国家は甘くないぞ!」
「公式には、海賊に襲われて消息不明となったことにします」
「本国の貴族が信じるものか! たとえ信じたところで、必ず責任を取らせようとする! 王位の継承は不可能だ! 三大貴族が絶対に黙っていない!」
「無理やりにでも黙らせますよ」
「一体なにを考えている!? 貴族をすべて敵に回すと言うのか!? それでは国家は成り立たん!」

「すべての貴族が敵となるのであれば、すべての貴族を打ち破るまでだ。俺を認めない者は、武力で退ける」
「貴様に武力など有りはしない! 余が死ねば、権力を握るのは三大貴族たちだ! 貴様の艦隊も、奴らの指揮下に入るのだぞ!」

「だろうな。だからここに、この新領土に、新たな国を作る。俺の大望に相応しい国家を」
「独立をするつもりか……!?」
「全く無理な話でもないだろう? 俺は王族の直系だし、なにより、ベリチュコフ軍からこの地を解放した英雄だ。解放の英雄。素晴らしい響きじゃないか。個人的にはあまり好きではなかったが、この際は利用させてもらうとしよう。領民は俺を支持するに違いない。新領土を足掛かりにして本国を呑み込むことも、決して不可能ではない」

「な、なぜだ? 最初から反乱を起こすつもりだったのなら、なぜデューク・ストレンジャーを本国に帰した?」
「デュー?」
「お前の腹心だろう! これから国を二分しようという時に、わざわざ敵側へ送り返したことになる!」
「そのおかげで、あんたは判断を誤った。俺がノアやベアトリスを部屋に呼んだことは、衛兵からの報告で知っていたはずだ。それでも警戒しなかった。なぜか。直後にデューが本国に帰ったからだ。普通なら、親友を敵の手に渡そうとは思わない。だからあんたは油断した」

「そんなことのために……」
「何を言っている? 重要なことだろう? 国王を確実に仕留めるためには、綿密な計画を練らなければならない。艦の配下にどこまで打ち明けるのか。各自の立場と性格を考慮して個別に判断するには、時間が必要となる。もし、衛兵からの報告を受けた段階であんたが危機感を抱き、すぐにでも本国に戻ろうとしていたら、おそらくこの襲撃は間に合わなかっただろう」
「…………」

「それに、あんたは護衛艦を引き連れていた。旗艦と合わせて2隻だ。俺とベアトリスは、夜襲によってすぐに片付けることができたが、仮にあんたが警戒を強めていた場合、これも成り立たない。そもそも、あらかじめ天位魔法を使われていたら、不意を突くどころではないしな」

「そのために親友をも敵に回すというのか」
「敵? 結構なことだ。デューは少将閣下で、ストレンジャー公爵家の長男でもある。内乱が始まれば、複数の艦を指揮下に収めるだろう。だが、親友の俺と戦うことはできない。なのに、周りに気兼ねして、あからさまに逆らうこともできない。そういう性格だ。結果、デューは仕方なく出撃する。そしたらどうなる? あいつはさらに迷う。父親を裏切ることはできず、かと言って、積極的に俺を阻む気にもなれず、何もできないまま内乱終結を迎えることになる。これはもう、本国の戦力をいくらか削ったも同然じゃないか」

「貴様という奴は……」
「勝つために策を弄するのは当然のことだ」
「たとえ思惑通りになったとしても、新領土だけでは何もできぬ。本国に勝てる道理はない」
「だから?」
「…………」

 むろん、エルバートも承知している。
 現在の戦力は、新領土に駐留している艦隊のみ。
 それも、どこまで従ってくれるか分かったものではない。

 もうひとつ、大きな問題があった。
 国を割れば、諸外国からカーライル王国と認められるのは、どちらか一方だけだ。
 三大貴族は王都を手中にできる上、カーライル本国のほとんどを支配下に置くことになる。
 正当な後継であると国際的に見なされるのは三大貴族の方だろう。

 そうなれば、ベリチュコフ王国と同盟を結んでいるのもカーライル本国ということになり、エルバートの築く独立勢力は、軍神レイラの脅威に晒される。
 カーライル本国とベリチュコフ王国の両勢力が同時に敵となるかもしれないのだ。

 せめて、とエルバートは思う。天位魔法がこの手にあれば、勝機も見えてくるのだが……。
 しかしそれを望んでも仕方のないことだ。

 エルバートは内心で計算を巡らせた。
 このまま父上を殺せば、天位魔法は、血縁者のいずれかに受け継がれる。父上が内心で継承を望んでいた人物が、ある日とつぜん天位魔法に目覚める。
 数々の文献から考えてそれは間違いない。

 長男が戦死して、次男が自分に刃を向けたとなれば、父上が望む後継者は親戚筋だろう。候補者は何人か居るが、血筋からして、公爵令嬢のマーガレットが有力候補になる。
 誰が受け継ぐことになるにしろ、父上にとっては不本意な流れであるはずだ。

 天位魔法の発現時期は、前所有者の意志によるため、父上が強く望んだ期間が長いほど早くなる。
 となると、今回の継承はかなり遅れるはず。具体的には、過去の事例から類推して、3年の猶予はあると考えられる。

 3年で内乱を終結させれば、のちに継承者が現れても、その対処に集中できる。
 いや、この場合、逆の見方をするべきか。
 3年以内に国内を固めなければ、新たな継承者に戦略の主導権を握られ、遠くないうちにすべてを奪われる。そう見るべきだ。

 奪還したばかりの新領土だけで本国との戦争を余儀なくされ、女王レイラを再び敵に回しかねない状況に陥り、さらに、こちらは時間が限られる……。
 常識で考えれば絶望的な状況だ。
 だが。

「俺は世界を手に入れる。だから、この程度の障害で立ち止まるわけにはいかない」
 エルバートは剣を突き出した。
 さしたる抵抗もなくシーザー王の胸を貫くことができた。
 剣の先端は椅子の背に当たって止まった。

「エ、エルバート……」
 苦しそうに呻くシーザー王をエルバートは冷たく見下ろした。
 絶命するまでの約10秒間、シーザー王は言葉を発することなく、エルバートの目を凝視していた。
 その視線をエルバートは正面から受け止めた。

 シーザー王の息が絶えると、エルバートは、間を置くことなく反転して扉に向かった。
 これは始まりに過ぎない。
 父上が言っていたように、王を殺したからといって国が手に入るわけではない。
 近く起こる内乱に備え、わずかな時間も無駄にはできない。サヴィン島に戻るまでに協議すべきことはいくらでもある。
 エルバートは足を速めた。

 扉に手を掛ける寸前で、動きが止まる。
 一瞬だが前後不覚に陥り、転倒しかけた。足の位置を変えてなんとかバランスを保ったものの、直立していることすら辛いほどの眩暈がした。
 戸惑いの中で体温の上昇を自覚する。
 体内の魔力が活性化しているようだった。

 もしかして、これは――。
 いや、しかし。
 ひとつの予測が頭をよぎり、同時に、それを否定したがる感情が生まれた。

 全身の毛穴から脂汗が吹き出す。
 かつて感じたことのない高熱を発するようになると、エルバートは観念するしかなくなった。
 認めざるを得ない。今まさに天位魔法の継承が行われているのだ。
 話に聞いていた通りの状態に自分が陥っているからには、そう解釈するしかない。

 だとしたら、父上、あなたは……。
 天位魔法は、所有者の望む相手に受け継がれる。つまり父上は、自分が殺されても なお俺に天位魔法を託したのか。
 しかも、即座に継承が行われるほど強い意思を持って。

 …………。
 この結果を知った今ならば、思い当たることもなくはない。

 たとえば、なぜ俺は、城を抜け出して島々を旅することができたのか。
 父上が本気で対策をすれば、子供の頃の俺を阻むことは可能だったはずだ。
 今までは、単に放任されていただけだと思っていたが、別の見方をすることもできる。
 外の世界で識見を深めるのは有益だ。父上はそう判断したのかもしれない。
 有り得ないことではない。世話係を平民からも募ろうと言い出したのは、他でもない進歩派の父上なのだから。

 怠惰な俺を本国の最高責任者として置いたまま遠征に出たのも引っ掛かる。本当に戦略眼が衰えていただけなのだろうか。
 あるいは、俺の奮起を促したかったのかもしれない。
 むろん、あのような大軍が攻め寄せてくるのは想定外だったろうが、国境付近で島のひとつふたつを奪い合う程度の海戦なら予想していただろう。
 そこで俺に陣頭指揮を執って欲しかったんじゃないか?  遠征から帰ってきた後も、父上は、俺を中将に昇進させた上で総司令官に据えて、ベリチュコフ領へ侵攻させた。
 天位魔法を持つ身である自らは「動く気になれぬ」などと言って王都に留まったまま……。
 本当は俺に実績を上げさせたかったのか?  それに……。
 新領土の統治に本国が口を出してくることはあまりなく、そのため俺は、おおよそ思い通りに政策や人事を行えたが、これも父上のおかげだったのだろうか?  貴族たちが静観していたのは、失敗した時の全責任を取らせるためではなく、新領土を俺に任せたいという父上の意向が働いていたから……?  こうなると、ベアトリスとの謁見を父上が拒否し続けたことにも、別の理由があるように思えてくる。
 レイラの恨みを買っているベアトリスを厚遇すれば、ベリチュコフ王国を刺激する可能性があるため。
 俺はそう考えていたが、思い違いだったのか?  ……有用な指揮官である戦姫を、父上は、あえて俺の手元に残しておいてくれた。そういうことなのか。

 おそらく、父上の心情に兄上は気付いていたのだろう。
 兄上は、政務でも軍務でもまずまずの実績を残し、周囲からも実力を認められていた。
 それでも貪欲に地位固めをし、父上の無謀な戦略にすらも積極的に賛成して、従順さを示し続けたのは、次期国王の座が安泰ではないと思っていたから。
 つまり、兄上は、権力欲に取り憑かれて極端になっていたわけではなく、冷静な判断の下で、俺を後継者争いの脅威と見ていた……。

 報告によると、父上は、サヴィン島から本国に帰る途上で捕まった際、意外にも抵抗することなく、一切の恨み言も口にしなかったという。
 息子が立ち直るのならそれもまた良し、とでも思っていたのかもしれない。
 さすがにこれは俺の考え過ぎかもしれないが。

「…………」
 真実がどうであるにしろ、もはや後戻りはできない。
 そもそも、父上が権力を維持しようとしていたことに変わりはなく、どのみち殺す必要があったのは確かだろう。
 俺は天位魔法を手中にしようとしている。重要なのは、その一点だ。

 体内の熱は少しずつ下がり始めた。代わりに、これまでとは別種の魔力が溢れてくるのを感じた。
 戦略に影響を及ぼすほどの力を持つ天位魔法の継承にしては呆気ないな、とエルバートは思った。
 まあ、案外こんなものか。王位の継承にしたところで、儀式は壮大なれど、実質的な面では、書類を何枚か遣り取りするだけなのだから。
 それに比べれば、まだ神秘的な現象だと言える。

 平熱に戻ると、身体の違和感も消えた。
 室内は静寂に包まれている。
 まるで何事も無かったかのようだった。
 ともすれば錯覚だったのではないかと思ってしまう。
 しかし、手の先から足の先に至るまで、全身の感覚を意識してみると、天位魔法がこの身に宿っていることを自覚できた。理屈ではなく感覚で分かる。

 エルバートは両拳を握り締めた。
 これなら、本国との戦争に勝つことも不可能ではない。
 国力も戦力もこちらが貧弱であることに変わりないが、それを覆すことのできる武器を手に入れたのだ。
 しかも向こうはこのことを知らない。
 立ち回り方次第では、本当に勝ち得るかもしれない。

 天位魔法が無くとも勝つつもりではあったが、圧倒的に分の悪い賭けだった。まともな勝負とはとても言えなかったろう。
 今なら、少なくとも活路は見出せる。不利な状況に変わりはないが、三大貴族であろうと、女王レイラであろうと、上手くやれば出し抜くことができる。

 天位魔法の継承で乱れた呼吸を、エルバートは時間を掛けて整えた。
 シーザー王を振り返りはしない。立ち止まっている暇はない。
 世界を征服するまでにやらなければならないことは無数にある。犠牲にしなければならないことも、また数多くあるはずだ。父上もそのひとつであったに過ぎない。
 これからも同様だ。

 エルバートは今度こそ扉に手を掛けた。

 どんな手を使ってでも玉座に座ってみせる。
 そして、周辺国を屈服させ、いかなる強国をも打ち砕き、やがてはすべての国家を征服してやる。
 当然、途方もなく困難な道が待っているだろう。
 けど俺ならできるはずだ。

 なにしろ俺は、世界を手に入れる男なのだから。


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