水の星、世界を手に入れる男
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『水の星、世界を手に入れる男』
第38話 失脚

 シーザー王がサヴィン島まで視察に来たのは、エルバートが新領土の総督になってからしばらく経った頃だった。

「このような遠方の地まで、ようこそお越しくださいました、父上。歓迎致します」
 礼儀正しく挨拶したエルバートをシーザー王は一瞥した。
「余を嫌っているくせに、意に反して謙らずともよい」
「私は父上を嫌ってなどおりません」

「いつものように、嫌なことは側近に押し付けて自分だけ逃げ出しても良いのだぞ?」
「父上にお会いすることが嫌なはずはないでしょう。父上がお越しになる日を指折り数えて待っておりました」
「気持ちの悪いことを言うな」
「申し訳ありません」
「ずいぶんと殊勝になったではないか」
「これまで惚けすぎていました。これからはその分も働きたいと思っております」

「貴様の世話係が殺されたらしいな」
「……はい」
「そのせいで貴様が真面目になったということなら、もっと早くに死ぬべきであった。そうは思わぬか?」
「私の心変わりは彼女とは関係がありません」

「とてもそうは思えぬが、まあ良い。今さら心を入れ替えたところで遅すぎることには変わりない」
「…………」
 シーザー王は奥の部屋へ勝手に進んで行った。

「大丈夫?」
「なにが?」
 平然とした顔でエルバートはデュークに聞き返す。

「なにがって……。酷いことを言われていたじゃないか、陛下に」
「どうやら俺は相当に嫌われているようだな。兄上が死んで、俺が王位継承順位第一位になったことが、よほど不服らしい。まあ、独断専行の代償はこんなものでは済まないだろうがな。ここからが正念場だ。なんとかして父上に見直してもらわなければ」

「無理、してないか?」
「顔を合わせるたびに同じことを聞くなよ。何回目だ、その質問。俺なら平気だ。何ともない。無理なんかしていない」

――――

 シーザー王は、新領土の重臣を会議室に集め、現状の報告を求めた。

 まず、ベリチュコフ軍の迎撃艦隊を粉砕した経緯について、艦隊参謀長ノアが説明した。
 ベアトリス姫の戦果を取り上げつつも、全体としてはエルバートの手腕を評価する内容だった。

 ついで、エルバートの補佐官を務めているオリヴィアが、新領土の政情に言及する。
 細かい問題点は数あれど、食糧事情の悪化は見られず、民も比較的 落ち着いており、統治の初期段階には成功したと言えるでしょう、とオリヴィアは総括した。

 シーザー王は黙って聞いていた。
 一通りの報告が終わると、室内を沈黙が支配した。
 エルバートの客人でしかないデュークも一応の出席を許され、部屋の隅で会議を眺めている。

 シーザー王は重々しく口を開いた。
「なぜ女王レイラをみすみす敵軍と合流させた?」
「それは――」
 ノアが答えようとしたが、シーザー王は彼を見ようともしなかった。

「貴様に聞いているのだ、エルバート。答えよ」
「はい」
 エルバートは立ち上がった。
 変に取り繕おうとしても無駄であることは分かっていた。あらかたの事情を父上はすでに知っているはず。誤魔化そうとすれば、間違いなく叱責されるだろう。
 ひょっとしたら、父上はそれを狙っているのかもしれない。仮にそうであるのなら、ますます事実をそのまま話すしかないということになる。

「説明致します、父上。アレクセイ艦は我が軍の包囲下にあったので、おそらく撃沈することは可能だったと思われますが、私は世話係の安全を最優先に考え、レイラの要求通りに彼女らを敵艦隊と合流させました」
「ぬけぬけとよくも言えたものだな。国家に対して重大な損失を与えたのだぞ、貴様は」

 吐き捨てるシーザー王にベアトリスが発言を求める。
「お待ちください、陛下。結果的に、カーライル王国はベリチュコフと同盟を結ぶことができました。これにより、西方へ勢力を伸張させる展望が拓けたではありませんか」
「他国の姫が余に口出しするつもりか?」

「レイラ女王とアレクセイ男爵を逃がした責任は重大なれど、エルバート殿下の功績も認めるべきでありましょう」
「ベアトリス姫はお優しい」

「…………」
 馬鹿にしたような物言いにベアトリスは口を閉ざした。
 困惑を隠しきれない。シーザー王は出自に囚われない進歩派ではなかったのか? 「父上。この償いは、いずれ必ず。次の機会にはレイラを討ち取ってご覧に入れます」
 エルバートは真摯に主張した。
 しかしシーザー王の声は冷たい。
「次の機会があるとでも?」

「父上のご温情に預かることができるのなら、私は己のすべてを賭けて失点を取り戻します」
「小娘ひとりの命を惜しんだばかりに軍神を取り逃がしておいて、余の慈悲にすがるか。なんとも調子の良いことだな」
「…………」

 シーザー王の辛辣な言葉をエルバートは静かに受け止めていたが、デュークは怒りに震えていた。
 ラナを軽んじるような言い草は許すことができなかった。

 エルにとって特別な存在であったことはシーザー王も承知しているはずだ。
 なのに、なぜそこまで言えるのか。
 全く理解できなかった。

 デュークはエルバートの様子を窺った。
 一見すると、彼は何も動じていないようだった。シーザー王に反感を抱いているどころか、本当に反省しているかのようですらある。

 もちろん、実際にはエルも腸が煮えくり返っているはずだ。
 表向きシーザー王を肯定していても、内心は別であるに違いなく、そこに疑いの余地はない。

 しかし、そんな状態をいつまで保っていられるものなのか、デュークは不安に思っていた。
 平気な顔をしているようにしか見えないが、今のエルは、どこか脆そうにも見える。
 確信は持てない。気のせいなのかもしれない。
 けれど妙に胸騒ぎがした。

 エルバートはシーザー王に向かって頭を下げた。
「女王レイラを逃がしたのは誠に申し訳なく思っております。ですが、父上。ベアトリス中佐の言う通り、我が国が領土を広げる最善の道は、西国と戦端を開くことにあります。東国との同盟が我らに利することは確実です」
「大義名分もなく侵略などできぬ。そのような戯れ言をいつまでも聞いてやるほど余は寛容ではない」
 シーザー王は席を立ち扉に向かった。

「お待ちください、父上。西国の話はとりあえず置いておくとしましょう。報告の続きをさせてください。どうか、お戻りを」
 足を止めたシーザー王は、出口近くの椅子に腰を下ろした。
「なら早く終わらせろ」
「ええ。ですが……」
 エルバートの視線は、シーザー王が座っている椅子に向けられた。
 本来ならラナの席になるはずだった椅子に。

 エルバートは頭を横に振った。
 まあ、その程度のことだ。今は関係ない。
 ラナとは無縁の役人が尻を乗せている光景は何度も見てきた。
 だからといって不快に思ったことは一度もない。
 思い入れなんて、何もない。
 それは確かだ。
 ……だけど。

 エルバートは、大きく息を吐いてから言った。
「そのような椅子、陛下に相応しくはないでしょう。上座にお戻りください」
「構わぬ」
「粗末な椅子に国王陛下が座るものではありません」
「余が構わぬと言っている。同じことを言わせるな」
「ですが、父上――」
「くどい。さっさと報告をしろ。二度とは言わぬぞ」

「……元の上座にお戻りください」
 エルバートの声は震えていた。

 いきなり彼の様子がおかしくなったことにデュークだけが気付いた。
 今にも爆発しそうな感情の渦がエルバートの中に見て取れた。
 なぜかは知らないが、このまま放っておいたら何を言い出すか分からない。
 執務室から引きずり出すべきだろうか。
 判断に迷う。

 シーザー王は椅子に座ったままエルバートを睨み付けた。
「いったい何のつもりだ?」
「どうか、元の席に」
「くどいぞ、エルバート」
「お願い致します」
 シーザー王が苛立ちを見せ始めてもエルバートは引き下がらない。

 デュークに続いて、ベアトリスとオリヴィアが不穏な空気に気付くが、原因が分からない以上、彼女らにも対処のしようがなかった。

「なぜ余が貴様に命令されねばならぬ。馬鹿げたことを言うな」
「その椅子には座らないで頂きたいのです」
「自分の言っていることが分かっているのか?」

 デュークがふたりの会話に割って入る。
「陛下。その椅子は、エルの世話係のために用意されていたのです。今は違いますが……」

 シーザー王は声を荒げた。
「そんなことで余に命令したのか、エルバート!」

 オリヴィアが、エルバートに近付いて耳打ちする。
「ここは引くべきです。言いたいことがあるのでしたら、後日になさってください」

 彼女の忠告を聞いてエルバートは視線を落とした。目前の机を凝視する。
 父上を激怒させればすべてが台無しになる。あんなどうでも良い椅子のために。あまりにも馬鹿げたことだ。
 退席させる一番の方法は、さっさと報告を終えてしまうことだろう。そうすれば全部 丸く収まる。
 そんなことは分かっている。

「…………」
 顔を上げ、再びシーザー王に目を戻すと、嫌でも椅子が視界に入った。
 その途端、我慢ができなくなった。

「お前なんかがそこに座るんじゃねえ! 糞野郎!」
 叫びながら駆け出す。
 行く手を遮る者は居なかった。
 突然のことに誰もが反応できなかった。

 エルバートは、進路上に居た役人を突き飛ばし、シーザー王に掴み掛かった。
「は、離せ、エルバート」
「うるせえ!」
 シーザー王の胸元を、渾身の力で締め上げる。
「座るなって言ってるだろうが! なんで、なんですぐにどかねえんだ!?」

「お、おい、エル!」
 デュークが走り寄りエルバートの腕を掴む。
 シーザー王から引き離そうとするが、上手くいかない。

 エルバートは涙を流していた。
 それを見てデュークは思わず腕から力を抜いた。
 エルが泣いている。ラナが死んでから一度も泣かなかったエルが、頬を濡らしている。
 いつか泣くことになるとは思っていたが、今この瞬間がそうであるとは思わなかった。

「余にこんなことをして、どうなるか分かっているのか……!」
 シーザー王は苦しそうに顔を歪めていた。
 エルバートは構わずシーザー王を揺さぶる。
「黙れ! そこにはラナが座るはずだったんだ! お前が座って良いわけねえだろ!」
 大きいが掠れそうな声だった。

 デュークは必死に取りすがった。
「どうしたんだよ、エル!? このままじゃすべてを失うぞ! ここで、こんなことで! 王になるんじゃなかったのか! そのために今まで耐えてきたんだろ! 何を言われても我慢してきたじゃないか! どうして椅子なんかにこだわるんだ!?」

「うるさい黙れっ! こいつが、こいつがどかないから!」
 なぜ激昂しているのか、エルバート自身にも分からなかった。
 いつの間にか、頭が焼き切れそうなほどの怒りが湧き上がってきて、父上を椅子から排除しなければ気が済まなくなった。

「離せ、デュー!」
 エルバートは力任せにデュークの手を振り解いた。
 改めて両腕でシーザー王に掴み掛かる。

 シーザー王の抵抗は弱まっていた。幾多の戦場を駆け抜けた身体であっても、年による衰えは隠せない。
 一方、これから肉体の最盛期を迎えようとしているエルバートは、著しい興奮状態に陥っていても、まだ体力を残している。
 いったん力の均衡が崩れると早かった。
 エルバートはシーザー王を椅子から引きずり下ろした。

 人間の重みから解放された椅子を見ても、エルバートの心が晴れることはなかった。
 当然だった。
 元々椅子に思い入れがあったわけではないのだ。
 国王の怒りを買ってまでしたことには何の意味もなかったのである。
 エルバートは立ちすくんだ。
 理解していたこととはいえ、実際にこうなってみると、恐怖にも似た焦燥が込み上げてくる。

「陛下!」
 騒ぎを聞き付けた衛兵が会議室に飛び込んできた。
 衛兵に助け起こされたシーザー王は、エルバートを怒鳴り付けた。
「本性を現したな、エルバート! 誠実な振りをしていても、結局はこうして滅茶苦茶なことをする。もう終わりだ! やはり貴様への寛容は間違っていた!」

「…………」
 父の怒声をエルバートは無言で浴びた。
 視線は椅子に向けられている。
 父に反論しようとする様子はなく、その場に突っ立ったまま、涙を流しながら肩で息をしていた。

 彼の王位継承権は事実上 消滅した。室内に居る誰もがそう判断せざるを得なかった。
 聡明な何人かは、さらに先の展開を予測した。
 エルバートは近いうちにすべてを奪われるだろう。王位継承権だけでなく、司令官しても認められなくなり、新領土もすぐに取り上げられる。国家の頂点に立つ国王を本気で怒らせるとはそういうことだ。

 エルバートに声を掛ける者は居なかった。
 オリヴィアもベアトリスも、エルバートの失脚が自分の人生に大幅な軌道修正を強いることを理解しており、彼を気遣っている余裕はなかった。

 シーザー王が衛兵に付き添われながら会議室を出て行くと、エルバートはその場にうずくまり、啜り泣き始めた。
 次第に声が大きくなっていき、ついには人目も憚らずに泣き喚いた。

 もう、取り返しはつかない。
 本来どうでも良いはずだった椅子のために、すべてが無駄になった。

 渦巻く後悔が号泣をさらに激しくした。
 甲高い泣き声が室内に響いた。
 常に余裕ぶった態度を見せていた彼の悲痛な姿に、周囲の者は困惑するしかなかった。

 床に膝を着いたデュークは、エルバートの肩に手を置いた。
 エルバートはデュークに すがり付いた。
「本当は分かっていた……! 蘇生魔法なんて、あるわけがない。現実的じゃないことは分かっていた。お前に言われるまでもなく、そんなことは理解できていた。けど、探すしかなかった。他にどうすれば良いか分からなかったんだ……!」

「エル……」
 泣きじゃくる親友を抱き止めながらデュークは思った。
 やはり、ラナの死に誰よりもショックを受けていたのはエルだったのだ。
 にもかかわらず、エルは感情を抑え込んで、らしくもなく職務に励んできた。
 嘆き悲しみたかったはずなのに。

 今まで彼がどれほど辛かったか、デュークには分からない。
 感情を制御せず、しようとすらしなかったデュークには、想像さえできない。

 エルは強すぎた。強いからこそ、感情の抑制なんていう無茶ができたし、崩壊する寸前まで綻びを見せることもなかった。
 そうやって無理を押し通してきた反動が、今ここで、ほんの些細なきっかけから噴出することになったのだろう。

 蘇生魔法を探す。そうエルが言い出した時、もっと真剣に諫めるべきだった。エルが納得するまで言うべきだった。
 真摯に訴え続ければエルもいずれは耳を貸していただろう。
 何度 聞き流されても強く言い続けるべきだったのだ。

 僕が上手く立ち回っていればこんなことにはならなかったかもしれない……。
 胸の内で泣き続けるエルバートをデュークは強く抱き締めた。


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