カーライル領内を2隻の小艦隊が航行していた。
旗艦には、ロス王国の女王ティナと教育係のシンシアが乗り込んでいる。
カーライル王国の首都にてシーザー王との会見を果たしたティナ一行は、次の目的地である第二王子エルバートの元へと向かっていた。
船上でシンシアは言った。
「いいですか、ティナ様。これから会うのは、カーライル王の次男エルバート殿下です。彼と懇意になれば、同盟実現への足掛かりとなるでしょう」
「んー?」
ティナは人差し指を唇に当てて考え込んでから、ぱっと顔を輝かせた。
「よーするに、エルバート王子と仲良くなればいいんだよねっ」
「そういうことです。別に仲良くするだけでなく、結婚の約束までしてしまっても一向に構いませんけれど」
「結婚!?」
「ええ。エルバート殿下は美男子との評判ですし、上流貴族の令嬢からは人気があるみたいですよ」
「け、結婚なんてまだ早いよっ!」
「そんなことはないでしょう。13歳ならばもう子供を産める年ですし、問題はありません。その辺は、まあ、実際に会ってみてから考えてはどうですか。ティナ様が望まぬ相手であれば、無理にとは言いませんから」
「むー……」
ティナは表情を曇らせた。
シンシアにとっては意外な反応だった。
もう少し乗り気になると思っていたのだけれど……。
どうやら男にはまだあまり興味がないらしい。
ティナのことを妹のように思っているシンシアにしてみれば、どこか安心させられるような事実だったが、ロス王国の政略を考えると好ましいことではなかった。
エルバート王子との婚約をティナが本気で嫌がるのであれば、無理強いはできない。そんなことをしたら、ティナを道具として扱おうとする家臣たちと同じになってしまう。
第一、可愛いティナを悲しませたくはない。
こうなったら、対面した時にティナがエルバートを気に入るよう、祈るしかないだろう。
風聞通りエルバートが美男子であるのなら、上手くいく可能性は低くないはず。
人づての印象なんてものが当てになるのかは甚だ疑問だけれども。
「シンシア、シンシア」
「なんですか?」
「お腹すいたよ。もうお昼の時間じゃないのかな。ねえ」
「そうですね。少し早いですが、食事にしましょうか」
「やったーっ」
ティナは両手を挙げて喜びを表現した。
「…………」
無邪気な女王を見てシンシアは懸念事項を思い出した。
ティナがエルバートを気に入るかどうかも未知数だが、相手の方がこちらを気に入るかどうかもまた分からない。
荒事から遠ざけられて育ったティナは、年の割りに精神的な幼さが残っている。
エルバート王子の目にはどう映るだろうか。
――――
サヴィン島が見えてくると、シンシアはティナを連れて船室を出た。
外は快晴だった。甲板に強い日差しが降り注いでいる。風はやや強く、帆が音を立てて揺れていた。
「あれがサヴィン島ですよ。分かりますか? カーライル王国の新領土は、あの島を中心にして統治されているのです」
シンシアは、水平線に見える島を指し示した。
「…………」
何故か返事がない。
「ティナ様?」
「あのね、シンシア」
「どうしました?」
「えっとね……」
「なんです?」
「き、緊張してきちゃった」
「はい?」
事情が掴めないシンシアは、間の抜けた声を漏らしてしまう。
「どういうことですか? 緊張とは、何に対してです?」
「エルバート王子ってさ」
「はい」
「美男子なんでしょ?」
「そういう噂ですね、一応」
「あたし、エルバート王子と結婚するかもしれないんでしょ?」
「できればそうして頂きたいのですが、あくまでもティナ様のお心次第ですよ。相手の意向もあるでしょうし」
「それよ、それ」
「……? なんですか?」
「エルバート王子も、結婚相手になるかもしれないって思いながら、あたしを見るんでしょ?」
「まあそうなりますね」
「それってなんだか恥ずかしい、よ」
「ティナ様……」
抱きしめたい衝動を抑え、ティナの頭を撫でるだけに留める。
「ん……シンシア……」
「大丈夫です。緊張しているのは向こうも同じですから」
ティナはわずかに頷いた。
――――
サヴィン島に着いたティナは、丸1日を使って身体を休めた後、エルバートに招かれた。
出迎えを務めたのは、前日と同じ役人だった。
自己紹介された時に聞いた名前をシンシアはすぐに思い出した。
オリヴィア・エアハート。伯爵令嬢。現在はエルバート殿下の補佐官を務めているのだとか。
伯爵家の娘でありながら名前に長音が使われていないことから、その名はシンシアの印象に残っていた。
ロス王国には関係のないことだが、カーライル王国では、上流貴族の名に長音を使う慣習がある。
ゆえに、エアハート家に複雑な事情があることは容易に想像できた。
それにしても、とシンシアは思う。身分の差を名前に反映するカーライルの慣習は、我が国からすれば好ましくないことだ。
ロス王国というシンプルで短いこの王国名を、カーライルの人々はどのように感じているのだろうか。
シンシアの愛する女王の名前ティナも、わずか3文字だ。
カーライルの王侯貴族が聞けば、平民の名であるかのような印象を受けるのではないか……。
むろん、カーライル独自の文化を他国にそのまま適用するのは馬鹿げたことだ。それはカーライル王国も分かっているに違いない。
とはいえ、理屈では分かっていても、感覚としてはどうだろうか。心理的な影響がないとは言い切れない。
カーライル王国よりも格下の小国であるという立場を考えると、深刻な問題であるように思えた。
――――
謁見の間では、エルバートが席に着いて黙考していた。
「ティナ・ロス女王陛下をお連れしました」
オリヴィアが声を掛けても反応はない。
ひょっとして居眠りでもしているのだろうかと思いながらも、シンシアはティナに囁きかけた。
「さあ、ご挨拶をしましょう、ティナ様。最初の印象が大事ですからね。元気よくお願いします」
「う、うん」
緊張した面持ちでティナは言った。
「はじめまして! ティナ・ロスですっ!」
声を掛けられて初めて他人の存在に気付いたかのように、エルバートはゆっくりと顔を上げた。
彼は最初オリヴィアを見たが、ついでティナに視線を向けた。
その目はどんよりと曇っていた。何日も寝ていないかのような焦燥ぶりだった。
仰け反り気味になりながらティナが早口で言う。
「怖っ! なにコイツ怖っ!」
「ティナ様、向こうまで聞こえますよ」
シンシアは慌てて注意した。
もう聞こえてしまったのではないかと思ったが、エルバートの反応がないのでとりあえず安心する。
見たところ相当に心労が溜まっているようだ、とシンシアは思った。噂通りの美男子だけれど、顔色がかなり悪い。
何があったのかは知らないが、この様子ならば、ティナとふたりきりになっても妙なことは起きないだろう。
エルバート王子は女好きだと聞いていたので、そこが多少心配だったが、問題はなさそうだ。
オリヴィアは言った。
「シンシア様。隣室にてお茶を用意します。どうかそちらでおくつろぎになってください」
「あ、はい」
「シンシア……」
ティナが不安そうな顔を向けてくる。
このままティナを置いていくのは気が引けたが、ここに居座り続けることはできない。
「ティナ様、私は隣の部屋で待っています。ご健闘を」
「う、うん、頑張るっ」
普段より少し高い声でティナは言った。
――――
隣室に落ち着いたシンシアにオリヴィアがお茶を振る舞ってくれた。
シンシアは喉を潤した後、先程から気になっていたことを尋ねてみた。
「どうもエルバート殿下はお疲れのようですが、何かあったのですか?」
「何か、ですか」
オリヴィアは、自ら入れたお茶に口をつけて、さらにたっぷりと間を置いてから言った。
「さあ。何があったのでしょう。私には分かりかねますわ」
「……そうですか」
オリヴィアの言葉をシンシアは疑っていた。
エルバートが目に見えて疲労困憊になるほどの出来事があったのは確かだ。
彼の補佐官であるオリヴィアが何も知らないはずはない。
もしや、とシンシアは思う。私は試されているのだろうか。明らかに異変がありながら隠そうとしている相手に、どう反応するのか。そこを見られているのではないだろうか。
私がただの教育係でありながら女王の側近中の側近であることは、カーライル王国も掴んでいるだろう。その私がどれほどの器であるかを確かめることによって、ロス王国の将来性を見極めようとしてるのではないか。
だとしたら、気を引き締めなければならない。
極端に言えば、外交の場において小国が注力しなければならないことは、ひとつしかない。
付け入りやすい相手だと思われないようにすること。これのみだ。
足元を見られたらそこで終わってしまうのが小国の立場なのである。
シンシアはお茶をひとくちだけ飲んだ。
「しかし、オリヴィア様。エルバート殿下の疲労は深刻のようです。ゆえに何事かが起こっているのではないかと思い尋ねたのですが、私の勘違いでしたか?」
「ええ。何も起きておりませんので、どうぞご安心くださいな。けれど、仮にですが、何かが起きているのだとしたら、たとえばどのような事態であると思われますか?」
「そうですね、たとえば……」
シンシアは考えた。判断材料が少なすぎて推察は不可能だ。これは、思考だけで正解を導き出せるかどうかが重要なのではなく、おそらく、切り返し方を観察されているのだろう。
現実的な対処法は、実際にありそうな問題を並べ立てていくことくらいか。
「身体的な不調、などという単純な話ではないでしょう。先程のご様子から、精神的な問題が見て取れました。たとえば身内の不幸が考えられます。長兄バーナード殿下が戦死されたとのことですが、時間が経っているので、問題は別のところにあるのでしょう。ですが、他の王族に更なる不幸があったのなら、私の耳に入っているはずです。王子が懇意にしていた貴族という線も、同様の理由で排除できます。となると、あとは侍女、ですか……」
喋っているうちに『侍女』という発想を得たのは、むろん偶然ではない。自力によるものでもない。
シンシアは、オリヴィアの表情を窺いつつ話をしていた。オリヴィアの微妙な表情の変化から、自分の言葉が正解に近いかどうかを探りつつ、慎重に言葉を重ねていったのだ。
瞬きをしたり目線を下げたりといった、さりげない仕草しかオリヴィアは行わなかったが、シンシアには充分すぎるほどの判断材料となった。
「その通りですわ」
言いながらオリヴィアは、両手を添えたティーカップに口をつけようとしたが、ぴたりと動きを止め、上目遣いでシンシアを見つめた。
「ヒントを出し過ぎましたか? シンシア様」
「率直に言わせてもらいますと、少々露骨ではありました」
不意を突くつもりであったろうオリヴィアの言葉にシンシアは さらりと答えた。
このような問いを内心で待ち構えていたからこその対応である。
先程からオリヴィアの態度は、不自然なほどに自然だった。
現在、オリヴィアはシンシアを露骨に品定めしているが、シンシアもまたオリヴィアを観察している。その程度のことはオリヴィアも分かっているはずだ。
なのに、オリヴィアの反応はあまりにも素直すぎた。
観察眼が優れてさえいれば『侍女』にまで言及できるよう、あえてシンシアの言葉に反応していたのだ。気付かれるかどうか試していたのだろう。
そこまで読み通していれば、正解を答えた後にオリヴィアが何と言うのかも、ある程度は推測できる。
だからこそ、突然の質問にもシンシアは余裕を持って答えられたのである。
シンシアは、オリヴィアの様子を窺った。
オリヴィアの仕草を『露骨』と指摘した点について、彼女が気分を害していないかを念のために確認したのだった。
結果は予想通り、全く問題なかった。
ストレートに『露骨』という言葉を使ったのには理由があった。
通常なら相手を不快にさせかねない言葉だが、オリヴィアが自らそのような態度を取っているからには問題ない。
そこを承知で踏み込むことにより、あくまでも貴国とは対等の関係である、と意思表示しているのだ。
相手を否定するような言葉でもなく、貶めるような言葉でもない。ただ単純に相手の仕草を表現しただけ。
そういう体裁を取りつつ自己主張するには絶好の機会だった。
そこを逃さない目敏さも証明できただろう。
何の配慮もなく対等に振る舞うだけなら誰にでもできる。自分はそんな愚行を犯すような無能ではない、という主張でもあった。
さらに言えば、オリヴィアの質問に答える形での発言だったことにも意味を含ませてある。
自分から話を振って任意の話題に誘導するよりも、相手の話に合わせてこちらの言いたいことを織り交ぜる方が、当然ながら難易度は高い。
そこをあえて、咄嗟の判断力を試される流れの中で使用した。これにより、自信と機転の双方を示したのである。
そして、ひとつの言葉に何重にも意味を持たせたこと自体にも、また意味が込められていた。
あなたならば細かい含意を汲み取れることを、私は、短いやりとりだけで見抜いた。
暗にそう言っているのだ。
「なるほど」
オリヴィアは満足そうに頷きながら、右手のみでティーカップを口元に運んだ。
カーライルとロスの両王国は、言語だけでなく文化も緊密で、宮廷作法もあまり差異がない。
淑女のお茶の嗜み方は、カップを両手で包み込むようにして飲むのが最良とされている。
オリヴィアも先程まではティーカップに両手を添えていたが、今は片手で持ち上げている。
これも不作法とされているわけではないものの、宮廷ではあまり見られない。ただし、親しい者だけの私的なお茶会であれば別である。
オリヴィアの変化が意味するところをシンシアは正確に察した。
「こちらも頂きますね、オリヴィア様」
シンシアは、ティーカップの横に用意されている茶菓子に手を伸ばした。
両国では、お茶とお菓子は同時に出されるものだが、淑女はお菓子には手を付けない方が良いという風潮が一部にある。
これに習い、宮廷作法ではお茶だけを頂くのが無難とされている。
ティーカップの件とは違い、気にする者はそう多くないが、シンシアがこのタイミングでお菓子に手を伸ばしたことには意味がある。
「ええ、どうぞ」
オリヴィアは自然な態度で応じた。彼女もまたシンシアの言葉を予測していたようだった。
「では遠慮なく頂きます」
シンシアはお菓子を口に入れた。舌の上に甘味が広がった。
――――
お茶とお菓子を味わいながら雑談をいくらか交わした後、シンシアは話を戻した。
「それにしても、エルバート殿下の憔悴した様子は、尋常なものではありませんでしたね。例の侍女がそれほど大事な存在だったということでしょうか」
「ええ、そうですね。侍女の名前はラナです。彼女に対してエルバート様はずいぶんと心を許していたようです」
「ラナ、ですか。カーライル王国では、3文字以下の名前は平民であることを表しているのですよね」
「その通りですわ。ラナはただの平民です。エルバート殿下の友人役として宮廷で働いていたに過ぎません」
「友人役……」
「公式には世話役となっていますが、実際には友人役と呼んだ方が良いでしょう。その方が現実に即していますわ。国王陛下が『貴族の馬鹿息子たちではエルバートと共に学ぶ者として不適格である』と仰いまして、友人役を国内から広く公募されたのです。そこで選ばれたのが彼女です。以来、エルバート殿下はラナと共に時を過ごしてきました」
「幼馴染みということですか。では、エルバート殿下にとって大事な方になるのでしょうね。疲れ果てた様子を見せてしまうのも仕方がありません。お察しします」
「あの通り疲れ切っておりますから、ティナ女王に失礼がなければ良いのですけれど」
「いえ。どちらかと言うと、こちらに不手際がないかの方が心配です」
「お互い苦労しますわね」
「そのようですね」
きっと、他人には及びもつかないような障害を乗り越えてオリヴィアは今ここに居るのだろう、とシンシアは思った。
けれどもそれを言うなら私も同じだ、とも思う。女王ティナの立場を守るために自分がどれだけ手を汚してきたか、外見からは全く想像できないに違いない。
シンシアは話題を変えた。
「ベリチュコフ王国は多くの艦を失いましたが、抜きん出た軍事力を未だ保持しています。カーライル王国とベリチュコフ王国の間で同盟が成立したのは僥倖でしたね」
「確かに、女王レイラが帰国を果たした今、本来なら相当な脅威になっていたはずですわ」
「とはいえ、オリヴィア様。同盟は一時的なものに過ぎません。またいずれはカーライル王国に侵攻してくることでしょう。おそらく、同盟の期限が切れるその年に」
「仰る通りです。エルバート様は指揮官として優れた資質をお持ちですが、軍神レイラを相手に二度も大戦果を望むのは酷というもの。何度も奇跡が起きるとは思えません。本当に困ったことですわ」
「レイラ女王の脅威は周辺国共通の問題です。我がロス王国も、できる限りの力添えをさせて頂きたいと思います」
「ありがとうございます。もしもの時には、また雨が降ってくれると助かるのですけれど」
「…………」
ティーカップを口に運ぼうとしていたシンシアの手が一瞬だけ止まった。
「レイラ女王と戦った時に雨が降っていたのですか、オリヴィア様」
「ええ。報告書を読む限りでは、戦況にかなりの影響を与えたようですわ」
「軍神を打倒するには、やはりそういう運も必要になってくるのでしょうね」
オリヴィアは可笑しそうに言う。
「運ですか。まさしく天運ですわね」
「まさに」
シンシアも口元を緩めた。しかし目は笑っていなかった。
奇襲戦の際に降った雨は、ティナの天位魔法によるものである。
むろんそれは、シンシアの指示の下で行われた。
カーライル王国が征服されれば、次はロス王国が標的になる恐れがあった。それゆえ、間接的ながら支援をしたのだ。
公表はしていない。
政治的理由からだった。
カーライル王国が敗れた時のことを考えれば、ベリチュコフ王国との関係は、無闇に悪化させるべきではない。
軍事干渉の事実は、誤魔化せるものなら誤魔化しておくに越したことはないのだ。
もちろんシンシアは、この場でも 知らぬ振りをする。
オリヴィアから話を切り出してきたのだから、とうに気付かれているに違いないが、今ここで認めてやる必要はどこにもない。
皆まで言われずともオリヴィアはこちらの内実を承知しているらしく、それ以上の言及はしてこなかった。
「そろそろ参りましょうか、シンシア様」
「ええ」
ふたりは腰を上げた。
――――
エルバートとティナは無言で椅子に座っていた。
入室してきたシンシアに気付くと、ティナは真っ赤な顔を向けてきた。涙目になっている。
シンシアは不安に駆られた。ふたりともずっと黙りこくっていたのだろうか……。
「エルバート様。お話は弾みましたか?」
あまりに率直なオリヴィアの質問にシンシアは面食らった。
場の雰囲気を掴めていないはずはないだろうにオリヴィアは平然としている。
「悪くはなかった」
エルバートは素っ気なく答えた。
「結構なことですわ。ティナ女王陛下もお疲れのようですし、とりあえず今日のところはお休みになって頂いてはどうでしょう」
「そうだな」
エルバートが了承するのを見てシンシアはティナに言った。
「ティナ様もよろしいですか?」
こくこくと頷いたティナは、すくっと立ち上がると、エルバートを見ることなく早足で部屋を出て行った。
――――
あてがわれた部屋でティナとふたりきりになったシンシアはさっそく質問をした。
「エルバート殿下はどうでしたか?」
「えっ?」
「いえ、ですから、エルバート殿下と会ってみてどのような感想を抱いたのか、できれば教えて頂けないかなと思いまして」
「うん……」
「もしかして、私には内緒ですか?」
「そんなこと、ないけど」
「でしたら教えてください。言いにくいかもしれませんが、大切なことですので」
「うん……」
「…………」
なかなか話そうとしないティナにシンシアは困り果てた。
これほど歯切れの悪いティナは久しぶりだ。
会合がよほど上手くいかなかったのだろうか。いくらなんでも本当に一言も喋らなかったわけではさすがにないだろうが。
「あのね」
困惑しているシンシアを気遣ってか、ティナは躊躇しながらも自分から口を開いた。
「あ、はい。なんですか?」
「えっとね」
「はい」
「あたしね……」
「はい」
「大人に、なっちゃった」
「そうですか……って、え?」
「エル王子に抱かれたの」
「は、はい?」
「ちょっと痛かったけれど、なんだか気持ち良かった」
ティナは窓に目を向けた。どこか遠くを見ているようだった。
「な、なにを仰っているのですか」
「エル王子、とっても強引だった。でも、いいの。終わった後に謝ってくれたから」
「あのエロ王子!」
「エル王子は悪くないよっ。あたしもあんまり嫌じゃなかったから」
「そんな、ティナ様……」
「不思議な気持ちで胸がいっぱいなの。こういうのを幸せって言うのかなぁ?」
「……………………」
シンシアは自分に言い聞かせた。
とにかく落ち着くのよ。元々こうなることを望んでいたのは私自身。今の段階でここまで事が運んでしまったのは予想外だったけれど、最終的には同じこと。むしろ望むべき展開。
だから、これは喜ぶべきことで……。
「し、しかし、一体どのような経緯でエルバート殿下は凶行に及んだのですか?」
「うん?」
「つまり、どうやって抱かれたのか、ということを聞いているのですが」
「えっとね、なんかエル王子、落ち込んでるみたいだったから、あたし、頭を撫でてあげたの」
「はあ」
「そしたら、こう、エル王子にギュッてされちゃった」
恥ずかしそうでありながら嬉しそうに話すティナだった。
「そ、それで? その後は? 次に何をされたのです、ティナ様!」
「次に?」
ティナは小首を傾げた。
「ギュッてされただけだよ?」
「え? ギュッてされて終わりですか?」
「うん」
「…………」
シンシアは自らの胸に手を置いた。
「こう、この辺を揉みしだかれたりとかしませんでした?」
「そ、そんなことされてないよ!」
ティナは顔を真っ赤にして否定した。
「全然?」
「ギュってされただけだよ!」
「なんだ、そういうことですか」
「もー、何だと思ったの?」
「あは。大したことではありません」
シンシアは脱力した。どうやらティナの貞操は無事らしい。
話を聞く限り、会合の感触もそう悪くはなさそうだ。会話が弾んだわけではないようだが、ティナは好意を抱いたようだし、向こうに嫌われてもいないらしい。成功と言えるだろう。
ただ、ティナの話からすると、エルバート王子は見た目以上に参っているようだ。
ラナという少女は、それほど欠かせない存在だったのだろうか。
だとしたら、オリヴィアの言っていた通り、少々面倒なことになるかもしれない。