水の星、世界を手に入れる男
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第一章 第二章 第三章
『水の星、世界を手に入れる男』
第35話 参謀長ノア

 軍務においてエルバートの片腕として頭角を現したノアは、サヴィン島に着任してすぐに昇進した。現在の階級は少将である。

 ノアはエルバートに報告した。
「例の取引は無事に完了しました」
「取引?」
「遺体の交換ですよ。こちらが引き取ったのはラナ。向こうに引き渡したのはアナスタシヤ・ベリチュコフ」
「ああ、その話か」
「忘れていたのですか?」
「そういうわけじゃないが……」

「しかし、ラナですか」
「なんだ?」
「死んでしまいましたねぇ」
「…………」

「遺体とご対面なさいます? あまりお勧めできるような状態ではないのですが」
「俺の心配をしているのか?」
「意気消沈されたら軍務に差し支えますからね。それでは困ります」
「では、やめておこう。意味のあることではないしな」
「……そうですか」
 エルバートの反応が予想と違ったため、ノアの返事はわずかに遅れた。

「丁重に弔ってくれ。細かいことはお前に任せる」
「こういう場合、オリヴィア嬢を使えばよろしいのでは?」
「あれにラナを弔わせたくはない。ましてや責任者にするなど論外だ」
「はあ」

「不慣れな仕事をさせて悪いが、お前なら、俺に気を遣っていちいち伺いを立ててくることもないだろう。事あるごとにそんなことをされては鬱陶しくてかなわん」
「まあ良いですけど。言うほど不慣れでもありませんしね。各部署をたらい回しにされていた時に、弔いのひとつやふたつはこなしています」

「そういえばそうだったな。自業自得とはいえ、あそこまであからさまな冷遇を受けるのは珍しい」
「愚かな上官を持つと無駄に苦労するということですね」
「自業自得だと言っているだろう。今は少将に出世して、艦隊参謀長にまでなったが、俺に目を掛けられていなければ、まだ尉官だったろうな」

「感謝の意を表明した方が良いですかね?」
「心にもないことを言う必要はない」
「別に、全く何とも思っていないというわけではありませんよ」

「当時お前に冷や飯を食わせていた連中は、今頃、報復を恐れて震え上がっているかもしれないな」
「仕返しというやつですか。興味ありません。まあ、わざわざ彼らを安心させてやる気もありませんが」

「実家からは復縁の打診が来ているという話を聞いたが、どうなんだ?」
「事実です。勘当されてだいぶ経ちますからねえ。少将になったからこその話なのでしょうけど」
「復縁する気はないのか?」
「男爵家を継ぐのが兄上であることは、おそらく変わりないでしょう。なら、家に籍を戻したところで、あまり意味はありません。今は艦隊の人事で忙しいですし」
「好きにすると良い」

「そうします。現在のところ、王都からの口出しもほとんどありませんしね。見込みのある人材を本国から引き抜いても、ほとんど文句を言われません。不思議なことに」
「大貴族の息が掛かっている者には手を出していないのだろう?」
「それでも本来なら、もっと干渉されているはずですよ。ベアトリス姫の昇進も、最終的には本国が折れた形になりました。政務にしても、基本的には承認されています」

「嫌がらせの妨害が一切ないのは、確かに不自然な感じがするな」
「大貴族たちは、エルバート様を押し立てていくことも視野に入れているのでは?」
「楽観的すぎるだろう。奴らはマーガレットを担ぐ気だ。そうした動きはすでにお前の諜報部隊が掴んでいるじゃないか」

「ですが、いくら国王陛下がエルバート様を嫌っていると言っても、廃嫡までしますかね? そこがまだ確定していない以上、大貴族たちは、次善の策としてエルバート様を取り込むことも考えているのではないでしょうか」
「あるいは、俺の失敗を待っているのかもな。微妙な立場である俺が、この上さらに失態を犯せば、もう後がない。大貴族たちはそれを望んでいるんじゃないか?」

「かもしれませんね。すべてをエルバート様の責任とするために、今は口を出さない。そう考えると筋が通ります。となると、ただ黙って見ているだけではなく、裏工作を仕掛けてくる可能性も高いでしょう。最悪の場合、民衆の反乱を扇動されかねません」

「対策は練っておくべきだろうな。ただ、悪くはない展開だ」
 強がりではなかった。
 大貴族たちの狙いが何であるにせよ、新領土を好きにして良いのなら、これ以上に望むことはない。

「エルバート様。遺体交換の話に戻りますが、向こうはよく応じてきましたね。正直なところ、ラナの遺体を条件にどんな無理難題を吹っ掛けてくるか、参謀団は戦々恐々としていましたよ」
「確かに、意外ではある」
「レイラ女王にとって妹の存在は大きなものだった、ということでしょうかね」
「だから遺体交換にも応じてきたということか」

「仮にそうだとしたら、おそらく――」
「待て」
「はい?」
「それ以上は言うな」
「なぜです?」
「お前の言いたいことは分かっている」
「でしたら確認しましょう。お互いの想像が同じものであるかどうか、はっきりさせておかなければなりません」
「…………」

「レイラ女王は、妹のアナスタシヤに情があった。この仮定を正しいものとした場合、謀略の一手に過ぎないと思われていたラナ殺害の動機に、別の解釈が生まれます。アナスタシヤ戦死の報復です。であるならば、アナスタシヤを戦死させていなかったら、ラナが殺されることもなかった、ということになります。もし、包囲殲滅にこだわらず、アナスタシヤを捕虜にしていたら、アナスタシヤとラナの人質交換が成立した可能性さえあった。そういうことになるのではないでしょうか」
「……………………」


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