水の星、世界を手に入れる男
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第一章 第二章 第三章
『水の星、世界を手に入れる男』
第20話 レイラの妹


 カーライル軍の侵攻を受けて、ベリチュコフ王国は迎撃艦隊を急遽 編成した。
 司令官のほとんどは、出撃の直前に艦長から昇進してその任に就いた。

 通常なら数隻ごとに司令官を置き、総司令官は各司令官に指示を出すだけだが、女王レイラはそのような体制を取っていなかった。
 総司令官である彼女ひとりで、すべての艦に直接 命令を下していたのだ。
 レイラは、50隻の軍艦をことごとく掌握した上で、バラバラに動く各艦の位置関係を常に把握し、複数の指示を同時に出すことができた。
 小艦隊をまとめる配下など彼女には必要なかったのである。

 ゆえに、急造の司令官たちは、複数の艦を指揮した経験がなかった。
 総司令官にしたところで、大規模海戦には初めて臨む。

 迎撃艦隊に参加していない艦も多数あった。
 カーライル軍の侵攻が予想される状況でありながら、大半の艦長は自分の領地に帰っていた。
 女王を捕縛されて国内が不安定になっている時期であるため、所領に戻って足下を固め、場合によっては宮廷の後継者争いにも介入したい。
 本国に戻った艦長たちはそのような思惑を抱いているのだった。

 迎撃艦隊に参加した艦長たちも、特別 愛国心が強いわけではない。
 彼らは西方の貴族が中心だった。
 カーライル軍がこのまま侵攻を続ければ自領を脅かされることになる者たちである。

 東方諸侯が自分たちの立場を強化している間に、なぜ自分たちだけが、勢いに乗ったカーライル軍に対処せねばならないのか。
 彼らは歯噛みしながら出撃してきたのだった。

――――

 迎撃艦隊の総司令官には、アナスタシヤ・ベリチュコフが就任した。
 レイラ・ベリチュコフの妹である。

 アナスタシヤは、姉であるレイラの無秩序な拡張政策に公然と異を唱え、占領地での蛮行に対しては糾弾さえした。
 結果、王族でありながら主力艦隊から遠ざけられ、辺境にて海賊退治に明け暮れることになった。

 ベリチュコフ王国の実権を女王が握っている以上、アナスタシヤ単独で抗う術はなかった。
 権力も、人脈も、実績も、あらゆるものが欠けていた。

 浅慮だった。過去を振り返るたびにアナスタシヤは思う。ベリチュコフ王国の支配者たる姉に逆らうのであれば、相応の根回しが必要だった。
 なのに自分は、何の準備もなく、感情の赴くままに動いてしまった。あの時、自分を止めようとした側近は何人も居たというのに……。

 辺境を駆けずり回されることになったアナスタシヤは、猛省を生かし、唯々諾々と命令に従った。際限のない海賊たちとの戦いで命を危険に晒した。
 だがそれは、レイラに屈したことを意味しているわけではなかった。

 むしろ逆である。
 アナスタシヤは、姉に対抗し得る勢力を密かに築き上げていた。
 軍人としての実績を上げ続けていれば、王女である自分には、自然と反レイラ派が集まってくる。そのような思惑の下、海賊退治に精を出していたのだった。

 見立ては正しかった。
 女王の妹という立場は、反レイラ派の旗頭として大変に見栄えが良かった。
 アナスタシヤが軍人として無能でないことが分かると、軍や宮廷など様々な方面から接触があった。

 アナスタシヤは最小限の流血ですべてを終えるつもりだった。
 有力諸侯はレイラを積極的に支持しているわけではない。力で抑え付けられているに過ぎないのだ。
 女王の身柄さえ確保できれば、そのまま退位させることも不可能ではなかっただろう。

 しかし、予期せぬタイミングでレイラが捕らえられてしまい、見通しは完全に狂ってしまった。
 アナスタシヤは、国内の混乱を鎮めるために奔走した。
 その最中にカーライル軍侵攻の報を受けたのである。

――――

 戦闘前にベリチュコフ軍幹部は旗艦に集まった。

 軍議の席上、アナスタシヤは不機嫌だった。
 目の前に並んだ各艦長たちを眺めていると、不満を覚えずにはいられなかった。
 彼らは歴戦の勇士たちだ。段飛ばしに階級を上げてきたアナスタシヤよりも、よほど場数を踏んでいる。
 しかし、彼らの経験は、女王レイラに付き従ってきたゆえのものだ。
 悪逆極まる姉の方策に配下として手を貸してきた彼らに対する嫌悪感は、そう簡単に拭えるものではない。

 問題はそれだけではなかった。
 アナスタシヤが姉と反目しているのは周知のことである。
 レイラ女王の直参だった彼らからしてみれば、いきなり異分子が自分たちの指揮官になったのだ。すぐには受け入れられないだろう。
 しかも、レイラはまだ死んだわけではない。無事に帰還してきた時のことも彼らは当然 考えている。
 彼らから忠誠心を得るのは難しいだろう、とアナスタシヤは判断せざるを得なかった。

 できることならば、艦隊編成時に彼らを尽く罷免してしまいたかったが、そこまですると戦術に支障が出るのは明らかだった。
 それに、強権を振るうことへの躊躇いもあった。
 目障りな者を次々に粛正していった姉と同じ道を歩むわけにはいかない。その想いが彼女を押し留めた。

 この場にヤコフ・サヴィン伯爵が居れば、ずいぶんと楽になるのだけれど、とアナスタシヤは思う。
 ベリチュコフ領の東方に拠点を置いていたアナスタシヤは、西方貴族との繋がりが薄い。かつて自身の教育係を務めていたヤコフが唯一の例外だった。

 女王が捕縛された際、ヤコフは、混乱に陥った全軍を即座に撤退させた。
 その判断は正しかったものの、手段が些か強引だった。敵の援軍が迫っているとの偽報を流して味方を敗走させたのである。
 これにより命を助けられた諸侯だが、ヤコフに感謝することはなく、むしろ憎悪を抱いた。
 騙したこと自体も問題だが、より深刻なのは、女王奪還の機会を奪ったことである。それが彼らの言い分だった。

 敗走の責任を負わされたヤコフは、今回の迎撃艦隊に参加することができず、自領にて謹慎している。
 アナスタシヤは、なんとか彼を艦隊に組み込もうと画策したが、諸侯の反発があまりに強く、結局は断念するしかなかった。

 全く馬鹿げた話だが、呆れてばかりもいられない。
 アナスタシヤは胸中で自らに言い聞かせた。今は何よりも勝つことだ。でなければ祖国を守れない。
 周辺諸国に恨まれている現状を考えると、もし他国から侵略されれば、今度はベリチュコフの民が虐殺されてもおかしくはない。
 それを防ぐためには、戦争に勝つしかないのだ。

 王侯貴族が処刑されるのは構わない。
 数々の虐殺はお姉様が主導してきたことだとはいえ、それを止められなかった責任から免れることはできないはずだ。首を刎ねられたところで文句は言えないだろう。
 けれど、民に罪はない。王侯貴族の不始末を民が負う義務なんて、どこにもない。

 ベリチュコフ領に逆侵攻を仕掛けてきたカーライル軍がその辺りを考慮してくれるかどうか分からない以上、アナスタシヤとしてはこれを撃退するしかない。
 成功すれば、ベリチュコフ軍の健在を示すことになり、カーライル王国との和平交渉も進むだろう。
 そのためにアナスタシヤは、度重なる遠征で疲弊している兵を再び戦わせようとしているのだった。

「どこまでも迷惑なお姉様よね。好き勝手をしている時だけでなく、捕虜になった時でさえも、この国を不幸にしようとしているのだから。いい加減にして欲しいわよ、まったく」
 アナスタシヤが吐き捨てると、艦長たちは顔色を変えた。
「我が国の女王陛下に対して、あまりの物言い。アナスタシヤ様といえど、後日問題になりますぞ」
「はい? お姉様には追従するばかりだった腑抜けのくせして、なーに大仰な顔をしてんのよ?」
「…………」

「分かってんの? あんたたちが今と同じ調子でお姉様に反発していれば、こんな状況にはなっていなかったかもしれないのよ? 我が国が滅亡の危機に瀕しているのは、あんたたちにも責任があるってわけ。少しくらいは自覚してもらいたいわね」
「ですが、女王陛下は――」
「独裁的だったって? 逆らえなかったって? そりゃあ、恐かったでしょうよ。でもね、そうやってあんたたちが萎縮していたから、お姉様も調子に乗っちゃったんじゃないの?」
「…………」

「お姉様が戦争で敵無しだったのは、命令に従う配下が居たからこそでしょう。お姉様ひとりでは戦争には勝てない。あんたたちが命令に従わなければ、お姉様といえど戦争をすることもできないのよ。それどころか、女王でさえなくなる」
「女王でさえ……?」

「たとえば、ある日突然、国中の人間がお姉様に関する記憶を失ったとするわ。すると、お姉様に従う者は居なくなる。こうなれば、もはや女王とは言えないでしょ? たったひとつ認識がずれるだけで崩れ去る。権力なんてその程度のものなのよ。周りが認めなければ何の意味もない。軍神なんて言われていても、お姉様はひとりの人間に過ぎないのだから、あんたたちが一致して反抗すれば、それですべては終わっていたの。お姉様は確かに滅茶苦茶なことをしてきたけれど、あんたたちも、周辺国に怨嗟を振り撒く手伝いをしてきたのよ」

 これまで隅で黙っていた艦長が、恐る恐る声を上げる。
「その理屈で言うと、我々はアナスタシヤ様にも反抗し得るということになりはしませんか?」
「ええ。そうしたければ、そうすればいいわ。むしろ、王国のためになると思うのなら、積極的にそうするべきよ。現在の惨状を考えればね。こういうの、何て言うんだっけ? 確か、『異世界見聞録』で似たような記述があったと思うけれど」

 艦長のひとりが答える。
「労働者よ、団結せよ」
「そう、それ。資本家に対する労働者への文言だから、この場合とは意図が違うけれど、支配者への反抗という意味では同じでしょう。不当な抑圧に抗う権利は、誰にでもあるのよ」

「まるで共産主義者のような口振りではありませんか」
「決め付けないでよ。一部分に同意しているからって、思想そのものに賛成しているとは限らないじゃないの」
「い、いえ、そのようなつもりは……」
「少し睨まれたくらいで怯えるのはやめなさい。あたしはお姉様の妹だけれど、気に入らない人間だからという理由だけで殺すほど狂人ではないわ。当面は、目の前の戦闘だけを考えようじゃないの。お互いにね。あんたたちにはあんたたちの思惑があるでしょうから、あたしをどうするかは、カーライル軍を撃退した後に好きなだけ考えればいいわ。お姉様の後釜に相応しくないと思ったのなら、排斥でもなんでも、好きにしなさい」

 艦長たちは返事をしなかった。
 アナスタシヤは現状の報告を参謀に促した。

 参謀は姿勢を正した。
「敵軍は12隻です。複数の飛竜隊から報告が来ていますが、数はすべて一致しておりますので、間違いないと見て良いでしょう」
 アナスタシヤは腕を組んだ。
「こっちは19隻よね。戦力差はあるけれど、各自、油断はしないこと。敵は、お姉様を捕らえた男なのだから。分かっているわね?」

 艦長たちから肯定の声が上がった。
 しかし、その声色から、自分への信頼が皆無であることをアナスタシヤは察した。
 少し苦言を呈しすぎたか……?  いや、どのみち変わらなかったか。
 常にお姉様の配下として外征してきた彼らには、本国の地方で海賊退治をしていた私の能力なんて、分かるはずはないのだから。
 まあ、この戦いが終わればはっきりすることだ。

 もっとも、総司令官としての資質がどの程度なのか、アナスタシヤ自身、実のところ確信を持てないでいた。
 実績はある。艦隊戦で遅れを取ったことはない。
 だが、いずれも数隻規模の戦いだった。双方が二桁の艦を率いての正面決戦は経験がない。
 その点を不安に思わずにはいられなかった。

 とはいえ、19隻を率いたことがないのは、目の前に並んでいる艦長たちにしても同じことだ。
 彼らだって、艦長としては有能だとしても、艦隊司令官としては未知数と言うしかない。
 だからこそあたしが総司令官に収まれたわけだけれど、とアナスタシヤは自嘲した。

 現在ベリチュコフ軍が置かれている微妙な情勢下では、責任を負う立場には誰もなりたくなかったのだ。
 総司令官として敗戦を味わう事態になれば、宮廷の権力争いで勝ち残ることは難しくなる。

 今まで艦隊の指揮をレイラに任せきりだった彼らは、自らの指揮能力に自信が持てず、負けた時のことばかりを考えていたのである。

 無理はない。
 艦隊の運用は難しい。
 たった3隻ですら満足に統制できず司令官職を解かれる者も居るほどだ。

 単に目的地へ向かうだけでも、隊列を維持したまま進むには、様々な努力が必要となる。
 命令を送っても、艦がその通りに動くとは限らない。反応が遅れるだけならまだしも、命令を取り違えることも珍しくはない。
 そのため、指揮下の艦には常時 目を配っていなければならず、何かあれば適宜 再命令を出す必要がある。

 味方艦同士の接触にも気を付けなければならない。
 経験豊富な艦長のみで艦隊を形成していない限り、放っておけば稀に衝突が起きる。
 逆に距離を空けすぎれば陣形が崩れる。
 艦によって航行速度が微妙に違うこともあり、艦隊を整然と進行させるだけでも大変な作業なのだ。

 これらに加えて、戦闘中であれば、敵艦に対応しながら艦隊を運用することになる。砲撃戦を繰り広げつつ、相手に合わせてこちらの機動も随時 変えていかなければならない。
 艦隊司令官は、的確な判断と迅速な対応が求められるのである。

 アナスタシヤは思った。
 未経験者に簡単にできることではないけれど、誰もが同じ条件なら、あたしが一番上手くやれるはず。今までずっとそうだったじゃないの。
 心の中でそこまで呟いてから苦笑する。
 なんだ。結局のところ、あたしは自信があるのか。

 可笑しくなってきた。軍議の最中であるのに笑い出したくなった。
 艦隊戦を前にして精神状態が不安定になっているわけではない。
 高揚しているのだろう、とアナスタシヤは自己分析した。

 お姉様を反面教師にして、あたしは自国の民を大事に想ってきたけれど、本質的な部分では、やはり血の繋がった姉妹だということだろうか。
 これから何百、あるいは何千という数の人間が死のうとしているのに、海戦が待ち遠しく思えてしまう。
 指揮下には19隻の艦。兵員数は実に4000人近く。それだけの規模の艦隊が、意のままに動く。あたしの言葉ひとつで。
 想像すると身体が熱くなった。

 参謀は報告を続けた。
「情報によると、敵軍の総司令官はエルバート・カーライルのようです」
「エルバート……」
 女王レイラを捕縛した男の名を聞いて、アナスタシヤは深刻な顔に戻った。

 エルバートの実力が本物なのかどうなのか、あの一戦だけでは全く判断できないが、彼の名前が歴史に残るのは確かだろう。
 まぐれであろうが何であろうが、軍神レイラの侵攻を止めたという一点だけでもその価値は充分にある。

 アナスタシヤは言った。
「仮に、エルバートが私たちの艦隊まで打ち破り、我が王国の領土を大きく侵食するようなことがあれば、彼はカーライル王国の英雄となるのでしょうね」
 艦長たちが苦い顔をするのを確認してから言葉を付け足す。
「逆に、軍神を捕縛して勢いに乗ったカーライル軍が、ここで撃退されるとするわ。そしたら、後世のベリチュコフ王国は、あたしたちのことを英雄と呼ぶんじゃない?」

 艦長たちは、満更でもなさそうに頷いた。
 彼らに向かってアナスタシヤは言った。
「ま、どっちにしろ、やることは一緒だけどね。あたしたちはカーライル軍を迎え撃つ。それだけよ」
 しかし、歴史の流れをどうしても意識してしまう状況だった。
 ベリチュコフ王国にとっても、カーライル王国にとっても、今が分岐点であることは確かだ。

 実際、アナスタシヤの名前は、この戦いによって歴史に刻まれることになる。


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