水の星、世界を手に入れる男
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『水の星、世界を手に入れる男』
第19話 飛竜隊

 エルバートは進軍を開始した。
 国境を越えても敵艦隊が姿を現すことはなく、各島を所領としている貴族が私兵による抵抗を試みてくるのがせいぜいだった。
 レイラを失ったベリチュコフ正規軍の大半は、政情不安定な占領地域を捨て、本国まで引き上げていたのである。
 島々の多くは、戦うまでもなく降伏した。

「今のところ、順調だな」
「ですね」
 エルバートの言葉を、艦隊参謀ノアが肯定した。

 諜報部隊の副隊長だったノアは、アレクセイが逃走してからは隊長となっており、さらに今回、ベリチュコフ侵攻艦隊の参謀として、急遽エルバートに同行することになった。
 諜報部隊から人材を引き抜くのはエルバートの本意ではなかったが、王族としては珍しいことに独自の家臣団が手薄な彼には、そうするより他に参謀団を強化する術がなかった。

 ノアにしてみれば、諜報部隊の副隊長(少佐)から隊長(中佐)に繰り上がった直後に、またしても昇進を果たしたことになる。
 艦隊参謀となった現在の階級は(大佐)である。

 諜報と参謀では職域が異なるものの、ノアならば期待に応えてくれるだろう。エルバートはそう確信していた。
 忠誠心には大いに問題があるが。

 ノアは言った。
「ベリチュコフ正規軍が動き出したとの報告が情報部から上がっています。そろそろ守りの態勢を固めるべきでしょう」
「いや、侵攻は続ける」
 エルバートは断言した。

「すでに元カーライル領の多くを奪還しました。国王陛下も満足なさるはずです」
「エーミス人が多数を占める島は、すべて我が国の手に取り戻す。同胞を救うのは当然のことだろう? 得られる領地は多い方が良いに決まっているしな」
「これ以上進めば、さすがに敵も本腰を入れて対処してくるでしょう。いかにベリチュコフの内情が不安定とはいえ、おそらく我らと同等以上の戦力を繰り出してきます。更なる侵攻はリスクを高めるばかりですよ」
「艦隊決戦は望むところだ。勝てば何の問題もない」
「…………」

――――

 ベリチュコフ領をいくらか進んだところで、飛竜隊に索敵命令が出された。

 デューク艦隊所属の飛竜隊員エリカは、初陣であるというのに、緊張することもなく飛竜に飛び乗った。
 乗り慣れた硬い皮膚の感触は今までと変わらなかった。

 飛竜が小さく呻いたので、エリカは頭を撫でてやった。
 周囲の緊張感に飛竜が戸惑っているのかもしれない、とエリカは思った。

 初陣なのは、エリカの相棒である飛竜も同様だった。
 何事にも動じないエリカとは違い、彼女の飛竜は臆病な性格をしている。初めての訓練の際も、やはり飛竜は戸惑った様子を見せていた。
 エリカは、その時と同じように、飛竜の頭を優しく撫でてあげたのである。

 まだ13歳でしかない小さな身体が、大人ふたり分を超えるほどの身長を誇る竜を支配している。
 普通なら驚嘆するようなことであっても、飛竜隊では見慣れた光景であり、いちいち驚く者は居ない。

 傍に居る隊長が、昨日から繰り返している言葉をまた繰り返した。
「訓練と同じだ。普段通りやればいい。お前の腕なら何の不安もない」
「はい」
 エリカは短く答えた。
 上官に対する態度としては問題があるが、エリカの口数が少ないことを熟知している隊長は、気分を害することなく頷いて、似たような言葉をさらに重ねてからその場を離れた。

 別の艦にも同い年の飛行隊員が何人か居た。
 次世代の飛竜隊を担うための人材として、幼い頃から教育を受けてきた者たちである。

 彼らは魔術により飛竜を操る。
 むろん限度は存在する。飛竜が嫌がることは強制できない。現在の魔術体系では、飛行させるだけで精一杯だ。

 飛竜に攻撃能力が備わっていることはすでに判明している。
 魔術士の砲撃に比べれば見劣りするものの、飛竜単体で魔術弾を撃ち出すことができる。
 問題なのは、飛竜への強制力が不足していることのみだ。

「……行きます」
 小さな声で言って、エリカは飛竜に合図を送った。

 飛竜が翼を羽ばたかせると、甲板上の水兵が風圧で吹き飛びそうになった。
 エリカは飛翔のたびに、なるべく早く艦から離れてあげたいと思うのだが、こればかりはどうにもならなかった。
 両翼を使い宙に浮き上がっても、すぐ自由に動けるわけではない。
 翼を上下させて、わずかに高度を上げる。しばらく同じことを繰り返す。そうして上空に向かうしかないのだ。

――――

 艦が小粒に見えるまで上昇したエリカは、飛竜に翼を広げさせ、滑空に移った。
 こうなると、船では追いつけないほどの速度が出る。

 風の壁がエリカを襲った。
 女子としては短めの髪が勢い良くなびく。
 エリカは強風を受けながら、いつもの眠そうな目をしたまま空を突き進んだ。
 魔術で減耗しているとはいえ、飛竜に乗り始めた頃は風圧が苦痛で仕方なかったが、慣れきった今はむしろ心地良いとすら思う。

 あっという間に後方の艦隊が見えなくなった。
 辺りは一面の海だった。
 毎度のことながら、世界には自分ひとりしか存在しないかのような錯覚がする。

 こういう時、飛行隊員の中には、孤独感に苛まれる人も居るらしい。敵艦でも味方艦でも良いから、とにかく何かが見付かることを願うのだとか。
 そのような心中にエリカはまるで共感できなかった。誰も居ない海原ほど見ていて落ち着くものはないのに、と思う。

 誰も存在しないのだから、誰かに傷付けられることもなく、誰かを傷付けることもない。こんなにも素晴らしい世界を恐れる必要なんてあるはずはない。
 ひとりきりになれるこの瞬間がエリカは好きだった。

 飛竜隊に抜擢された時、エリカは役人に聞いた。
「空を飛べるんですか?」
 飛竜に乗れば嫌でも空を飛ぶことになる。そのことはすでに分かっていたが、あえて聞きたかったのだ。
「そうだよ」
 役人は笑顔を見せながら答えてくれた。この少女は純粋に興味を持ってくれている、と思ったに違いない。

 本当のところ、飛ぶこと自体にはあまり関心がなかった。エリカの興味の対象は、空そのものだった。
 飛竜隊の存在を教えられた時にまず思ったのは、上空へ行けば誰もいない世界が待っているかもしれない、ということだった。

 実際に飛んでみて、自分の想像が正しかったことを知った。

 生まれた時から他人を忌避していたわけではない。
 彼女の転機は8才の時に訪れた。

 エリカの出身島は、戦略的にさして重要な島ではなく、ベリチュコフ軍に侵略された際も、重要拠点のついでにといった感があった。
 そのため、島に派遣されてきたベリチュコフの行政官は、その任に堪えないほどの無能だった。

 他の占領地と同じように重税を課されはしたが、島民がその気になればいくらでも誤魔化すことができた。
 カーライルの支配下にあった頃よりも実質的には税が軽くなったほどである。
 しかし島民の喜びは長く続かなかった。

 軽視されている占領地に対しては、ベリチュコフの治安対策もいい加減で、たびたび海賊に襲われるようになった。

 海賊の頭領はやり手だった。
 彼は、ベリチュコフ軍が本腰を入れて対策を取らないよう、略奪を小規模に抑えていた。
 ただし何度も繰り返し行うので、島民の富は極限まで搾り取られた。
 その絶妙なさじ加減により、ベリチュコフ軍が重い腰を上げて艦を派遣してくるまでに、長い時間を要した。

 ベリチュコフ艦隊が来る直前、事前に察知した海賊は、最後の略奪を行った。
 残りの富を奪い尽くし、行政官を殺し、警備兵を殺し、島民を殺した。

 到着したベリチュコフ艦は、海賊が去り島民のほとんどが殺されているのを確認すると、さっさと引き返していった。
 子供を中心とした生き残りの島民は置き去りにされた。島ごと見捨てられたのである。
 大人たちがほとんど殺された島には、もはや戦略的価値どころか、統治する価値すらなくなってしまったのだった。

 残された子供たちは飢えた。
 備蓄してあったわずかな食料すらも海賊が持ち去ったため、自力で木の実を集めたり魚を釣り上げたりしなければならなかったが、大人のようには上手くいかなかった。

 餓死する者がぽつぽつと出始めた頃、海賊が島に戻ってきた。
 海賊の頭領は、まず食べ物を子供たちに与えてから、見捨てられたこの島に自分たちが根を下ろすことを宣言した。
 子供たちの中に反対する者は居なかった。子供たちには、食べ物を与えてくれる大人が必要だった。

 そのうちに、男の子たちは海賊船で下働きをするようになった。
 自分たちの親を殺した海賊に忠誠を誓い、顎でこき使われ、時には暴力を振るわれながらも、必死に媚びを売った。
 逃げ出したくても、子供だけで他島まで行けるはずはない。他に選択の余地はなかった。

 女の子たちは海賊船に乗らず、たまに帰ってくる海賊に食べ物を与えられた。
 見返りは要求された。
 当時まだ10才にも満たなかったエリカは、さすがに身体を求められることはなかったが、もう少し大きくなったらエリカも例外ではなくなる、と言い聞かせられていた。

 見返りについて充分に理解していなかったというのもあるが、エリカはそれよりも弟の方が気掛かりだった。
 弟はエリカのすべてだった。元々贅沢な暮らしをしていたわけではないこともあり、貧しい生活を殊更に嘆いたりはしなかったエリカにとって、両親を殺されて唯一の肉親となった弟さえ無事であれば、後のことはどうでもよかった。

 弟とは、最後の大略奪の日に離れ離れになってしまった。どこに居るのかも分からない。
 けど、きっとどこかに居るはず。そう思い、海賊が居ない時は、自分に割り当てられた雑用を放って、島を歩き回った。
 他の女の子に何度 文句を言われてもやめなかった。

 月日が流れ、カーライル軍が勢力を盛り返し、エリカの島までやってきた。
 子供たちはようやく地獄から解放されたのである。
 賢い海賊たちは、またしても事前に消え去った。

 やってきた軍人にエリカはお願いをした。
「弟が居ないの。私の弟を捜してください」
 軍人は詳しく話を聞いてくれた。そして言った。
「きっともう死んでいるよ」
 ずいぶんとはっきり言ってくれたものだ、と、記憶を掘り起こすたびにエリカは思う。
 ただ、結果的には良かったのかもしれない。軍人の率直な言葉のおかげで、既にすべてを失っていたのだと理解することができた。
 両親も弟もあの日に失っていたのだ。

 飛竜隊に選ばれたのは数ヶ月後のことだった。
 何も持たないエリカは、何も必要のない空を求めた。

 空が好きだからというわけではないだろうが、飛竜を操る感覚はすぐ身に付いた。
 才能のある奴は最初から飛び抜けている、という教官の言葉通り、同じように集められた少年少女たちに比べて、エリカの飛行能力は突出していた。

 幼い飛行隊員は、現場で経験を積ませるという意図を兼ねて、早くから地方に配備されることが多かった。
 主な任務は、敵国艦隊の警戒ではなく、国内の海賊対策だった。
 基本的には、活動中の海賊が居ないかを確認しながら各島を行き来する程度だが、時には、辺境で海賊の根拠地を探すこともあった。

 そのような時、エリカはよく思った。
 私の島を蹂躙していた海賊たちに復讐するチャンスかもしれない。彼らを見つけて警備隊に連絡し、壊滅させることができたなら、家族の仇を討ったことになる。

 けれど、積極的にそうする気にはなれなかった。
 なぜだろう。そんなことをしても何の得にもならないから? 私は感情すら持たなくなってしまったの? 一応、思い悩む心はまだあるみたいだけれども。

 エリカのそうした自問自答は、程なくして終わった。
 かつてエリカの島を略奪した海賊たちは、ベリチュコフ軍によって殲滅されていたのだ。

 後でそのことを知ってエリカは空虚な思いを味わった。
 私からすべてを奪った彼らが、私の知らないところで、私の知らない者たちによって殺された。私が悩んでいたことには何の意味もなかった……。

 もはや自分自身の存在すら無意味に思えた。
 飛竜隊の上官も同僚も、いつかは私の手の届かないところへ行き、私の知らないうちに人生を終えるのだろう。
 私の人生にあれほど多大な干渉を行った海賊たちでさえ、いつの間にか死んでしまったのだから。

 そう思うと、世界が色褪せて見えるようになった。
 何のために生まれてきて、これから何のために生きていけばいいのか、まるで分からなくなった。

 エリカはますます空に逃避していった。

――――

 デューク艦隊から飛び立ってしばらく飛行しているうちに、エリカは一体の飛竜を見つけた。進行方向の先に居る。
 野生の飛竜でないことはすぐに分かった。背に人間を乗せている。
 敵兵だ。

 敵もまたこちらの方角に向かっていた。
 どうやら向こうも気付いたらしく、あちこち見回していた視線が前方に固定された。

 エリカは構わず真っ直ぐに進み続けた。
 このまま行けば、かなりの近距離で擦れ違うことになるだろうが、慌てる必要はない。
 仮に戦うことになったとしても、攻撃手段が極めて限られている飛竜同士では、撃破される可能性なんてほとんどない。

 小さな点のようにしか見えなかった敵飛竜が、少しずつ大きく見えるようになってきた。
 敵の操縦士は若い男のようだった。

 互いの目鼻立ちまで分かるほどに接近すると、男はエリカに向かって手を振って見せた。
 そうすることによって、交戦の意思がないことを示しているのだ。あるいは単に軽い男なだけなのかもしれないが。

 ここで無視すれば、いらぬ疑念を呼びかねない。
 エリカは控えめに手を振り返した。
 男は笑みを見せながらエリカのすぐ横を通り過ぎ、そのまま直進していった。

 エリカも前に向き直り飛行を続けた。
 この辺りに飛竜を常駐させておくような軍事拠点はない。男がやってきた方角に敵艦隊が存在するはずだ。
 男もカーライル軍を発見するだろう。

 たぶん今回は正面からの艦隊戦になるんだろうな、とエリカは思った。
 私には関係のないことだけれど。敵の艦隊を見つけたら飛竜隊の役目は終わり。あとは軍艦の出番だ。


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