水の星、世界を手に入れる男
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第一章 第二章 第三章
『水の星、世界を手に入れる男』
第10話 鞭打ち

 オリヴィア・エアハートは、女王レイラが監禁されている部屋に向かっていた。
 足取りは軽い。

 国家の命運を左右したレイラ奇襲戦において、彼女は何の貢献もしていなかった。宮廷行事の調整役であるからには当然なのだが、少しでも展開が違っていれば関わりようはあった。
 ゆえに奇襲戦の結末はオリヴィアにとって不本意なものだった。
 しかし、女王を尋問して屈服させることができれば、功績は大きなものになるだろう。
 その機会を得られたのだから、自然と歩みも速くなる。

 目的の部屋の前では、衛兵ふたりが見張りをしていた。
 オリヴィアに気付いた彼らは、直立不動のまま敬礼した。
「通してもらえる? 女王と話をしたいの。もちろん、エルバート殿下の命を受けてのことよ」
「は……」

 なぜ宮廷の役人がそんな役目を、と衛兵ふたりは訝しげな表情になったが、一瞬のことでしかなかった。
 彼らは、伯爵令嬢に対して疑念を露わにできる立場にない。
 黙って扉を開けるのみである。

 オリヴィアは衛兵に目を向けることなく入室した。

――――

「あら、誰かしら」
 ベリチュコフ王国の女王は、椅子に腰掛けたままオリヴィアを迎えた。
 臆している様子はまるでない。どころか、尊大にも、値踏みするような目を訪問者に向けていた。

 レイラの態度は虚勢ではなかった。
 侍女に足を舐めさせていることからそれが分かる。

 捕虜とはいえ、王族であるからには身の回りの世話をする者が必要であろうとの配慮から、レイラには侍女が与えられていた。
 本来なら、それなりの立場にある人物が担当すべきところだが、侍女は16歳の少女で、平民の娘だった。
 ここから宮廷側の思惑が見える。
 女王として処遇しているのはあくまで形だけ。こちらの本意は別にあるのを忘れるな。そうレイラに示しているのだ。

 当のレイラは構わず侍女を苛め抜いていた。
 回りくどい警告が癇に障ったのか、単に本能の赴くままに行動しているのか、そこまではオリヴィアにも読めないが、女王が自分の立場を弁えていないことだけは確かだった。

 侍女はオリヴィアを振り返って、助けを求めるような視線を送ってきた。
 オリヴィアは気付かぬ振りをしてレイラを見据える。

「はじめまして。エアハート伯爵家の長女、オリヴィア・エアハートですわ。現在のカーライル王国の最高責任者であり第二王子であるエルバート殿下の秘書を務めております」
 流暢なベリチュコフ語だった。
 カーライル国内で主に使われているエーミス語の他に、オリヴィアは七ヵ国語を操る。中でもベリチュコフ語を最も得意としていた。

「そう」
 レイラは興味なさそうに応答した。ほとんど無表情に近い。

 反対に、オリヴィアの方は、レイラを興味深く観察していた。
 一度はエルバートに降伏を勧めてレイラに取り入ろうとしたのだ。わずかでも状況が違っていたら、今頃レイラに仕えていたかもしれない。
 それが、まさかこのような形で顔を合わせることになるとは……。

 オリヴィアは言った。
「ずいぶんと余裕がありそうですわね。敵国に囚われて明日をも知れない身だとは思えませんわ。どういうつもりですの?」

 レイラは淡々と答える。
「この女が粗相をしたから、私が躾をしてあげているだけよ。こんな侍女を使っているだなんて、カーライル王国は程度が低いのね。女王に不逞な働きをする侍女は即刻処分するべきよ。違うかしら?」
「違いますわね。ここに女王なんていません。囚われの元女王ならいますけれど」
「元? 王位を剥奪された覚えなんてないわ。それとも、ベリチュコフ本国で内乱でも起きたと言うの?」
「さあどうでしょう」
「…………」

「どちらにしても同じことではありませんか? あなたに従う兵は今ここには居ませんわ。あなたは、敵国の意志ひとつで思うがままにされてしまう身に過ぎません。恥ずかしくて女王だなんて名乗れる状況ではないでしょう。違いますか?」

「違うわね。この身だけでも、私が女王であることには変わりがないわ。数千数万の軍勢を意のままに動かしてきた私ほど女王に相応しい者は居ないでしょう」
「では、女王陛下。遠慮はいりません。その数千数万の軍勢とやらで、どうかこの窮地を脱してみせてくださいな」
「…………」
「居ますわよね、あなたの兵士。あなたを取り返そうともせずに、我先にと本国に逃げ帰っただなんて、そんなことは有り得ませんわよね。誰よりも女王に相応しいあなたが見捨てられるはずはありませんわ。さあ、呼んでください。あなたの手足となって動く兵士を」
「…………」

「おや、どうしたのですか。ひょっとして、あなたに従う者は誰も居ないのですか? これは失礼しました。軍神とまで言われた方が、まさか何もできず捕虜に甘んじているとは思いませんでしたわ」
「殺されたいのかしら?」
「そうしたいのなら、どうぞ御自由に。けれどもあなたの言うことを聞く者など居ませんわ。ついでに言うと、そこの侍女もです」

 そこでようやくオリヴィアは侍女に視線を向けた。
「もう結構よ。自分の部屋に戻りなさい」
「あ、でも……」
 オリヴィアとレイラの表情を侍女は交互に窺った。
「早く行きなさい。別に平民のあなたがどうなろうと私の知ったことではないけれど、そこの元女王の言いなりになる必要はないわ」
「は、はい」
 侍女はそそくさと部屋を出て行った。

 レイラが不満そうに言う。
「勝手なことをしないでくれる? せっかく暇つぶしをしていたのに」
「あなたこそ、あまり勝手なことをしない方が身のためですわ。たかが平民ですが、あれはカーライル王国の侍女であって、あなたの侍女ではありません。奴隷のように扱われるのは不愉快ですわ。あくまでこちらの好意で世話をして差し上げているということを失念しないでくださいます? 罰として、しばらく侍女はつけません。今後の雑用はご自分でなさってください」
 ほんのわずかにであったが、レイラは初めて表情を変えた。
「不愉快なのはこっちよ。小国の伯爵令嬢ごときが、この私によくそんな口が利けたものね」

「…………」
 軍神の視線にオリヴィアは黙り込んだ。
 きつく睨まれたというわけでもないのに、全身が硬直してしまう。
 これが、数多の戦場を制してきた軍神の威圧というものか……。

 気圧されそうになりながらもオリヴィアは自分に言い聞かせた。
 いくら軍神と呼ばれていようが、目の前に居る女に戦闘能力はない。恐れる必要はない。威圧感なんてものは、見ている方の思い込みに過ぎないのだから。女王レイラがこれまで何千人何万人と殺していようが、そんなこと、この場では何の関係もない。

 気を持ち直したオリヴィアは、金色の長髪を掻きあげた。
「少しは御自分の立場を理解して頂きたいものですわ。あなたの扱いはこの私に一任されているのですよ。反抗的な態度を取ればどうなるか、その身をもって学んで頂きましょうか」

――――

 縄で両手首を縛られて、天井から吊り下げられる格好となったレイラは、無表情でオリヴィアを見つめた。
 足が着くギリギリの高さで調節されているため、つま先立ちを強制されており、相当な屈辱を感じているはずだが、レイラの顔からは感情が読み取れない。

「それで? どうしようと言うの?」
 レイラの静かな問いをオリヴィアは無視した。手にした鞭を何度も振って感触を確かめている。

 彼女が持っているのは、尋問用に用意された威力の低い鞭だった。
 刑罰用の強力な鞭だと、絶妙な手加減を加えなければ、命を奪うことにもなりかねない。素人のオリヴィアにはとても扱えない。
 一方、尋問用の鞭ならば、力任せに振り回しても死なせることはあまりない。
 皆無とは言えないが。

「さて」
 オリヴィアはレイラに向き直った。
 尋問に小細工は必要ない。屈服するまで苦痛を与えればいい。
 オリヴィアは尋問の専門家ではないが、人間の精神がどれほど脆いかは知っている。
 不安は全くなかった。

「私が鞭打ち程度で屈すると思う?」
 鞭を見てもレイラの表情は変わらない。
「この状況でそんな態度を取れるとは、見上げた根性ですわね」
 皮肉が込められているものの、オリヴィアの言葉は半ば本気だった。
 私がレイラの立場なら、さすがに動揺を隠せなかったでしょうに、この女……。

「しかし鞭打ちを舐めない方がよろしいかと存じます、女王陛下。あまりの痛みに悶絶してそのまま死ぬことも有り得ますのよ。あなたの余裕がいつまで保つか、見物ですわ」
 オリヴィアは鞭を高く掲げた。
 レイラの表情が変わらないのを確認してから、思い切り腕を振り下ろす。

 一瞬 遅れて鞭先が跳ね、女王の腹部に襲い掛かった。
 乾いた音と共に、衣服の一部が弾け飛ぶ。

「……っ!」
 レイラは息を詰まらせた。
 激痛に襲われて、一時的な呼吸困難に陥っているのだ。

 衣服を吹き飛ばした鞭の衝撃はむろん肌に伝わっていた。
 露出した白い下腹部に一本の赤い線が浮かび上がってくる。

 レイラは無言だった。
 無表情というわけにはいかず、苦しそうに眉を歪めているが、彼女の口から哀願の言葉が出てくることはない。
 ただ荒い呼吸を繰り返すのみだ。

「おや、足が震えていますわよ」
 重みに耐えかねているかのようにレイラの足が微動していたが、それは、恐怖に駆られてのことではなく、極度の苦痛に対する無意識の反応のためである。
 オリヴィアは承知していたが、あえて嘲ったのだった。

「軍事大国の女王ともあろうお方が、情けないこと。配下が見たらどう感じるのでしょうね」
 言い終えると同時にまた鞭を振るい、レイラの左肩を打ち据える。

「ぅく」
 レイラは初めて呻き声を漏らした。
 それが大声でなかったのは感嘆すべきことだった。
 1発目の時は、鞭の衝撃に驚いて息を詰まらせていたせいで、悲鳴を上げたくても上げられない状態だったが、2発目は異なる。
 純粋に彼女の意志によって小さな声に留めたのだ。
 鍛え抜かれた軍人であろうと絶叫してもおかしくはないというのに。

 内心で舌を巻きながらも、オリヴィアは表面上 冷めた目をレイラに向けた。
「辛そうですわね。このあたりで降参なさってはいかがですか? 泣いて許しを乞うのならば、これで終わりにして差し上げてもよろしいのですよ?」
「…………」
 レイラは荒い息を吐くばかりで何も言わない。

 彼女の反応は、オリヴィアの予想を大きく逸脱してはいなかった。
 軍神とまで呼ばれるほどの女なら、数発の鞭打ちを耐えても不思議ではない。
 けれど、鞭打ちから逃れる選択肢を再認識させることには意味があるはず。
 これからレイラは、さらに苦痛が増していく中で、屈服すれば楽になるという事実が頭から離れなくなるだろう。
 やがては迷う。許しを乞うか否か。

 そうなれば勝負は決したも同然だ。時間も掛からない。一度 迷いだしたら最後。次か、その次の鞭で、心が折れる。
 精神的に強いかどうかは関係ない。どれほど強靱な肉体でも首と胴を切り離されれば死ぬのと同じ。拷問を受ければ屈服するのは必然なのだ。

「どうせ結果は決まっているのですから、お互いに楽しんでいきましょう。たとえば、そうですわね、女王陛下にダンスを披露して頂くというのはどうでしょう?」
「…………」
「戦争ばかりしていてダンスを学ぶ機会がなかったのですか? でしたら私が手伝って差し上げますわ」

 オリヴィアは鞭を振った。
 煌びやかなスカートが裂け、切れ目から覗く太ももに赤い筋が出来る。

 鞭打ちは立て続けに行われた。
 オリヴィアの腕が右に左にと振られ、そのたびに鋭い衝撃音が鳴る。
 彼女が手を止めた時、スカートの布地は大部分が削り飛ばされていた。

「こんなところでしょうか。ああ、勘違いしないでくださいね。ダンスのお手伝いはちゃんとさせて頂きます。今のはただの準備ですわ。スカートが邪魔でしたので取り払っただけのこと。普通に脱がせても問題はなかったのですけれど、少々面倒だったもので。本番はこれからですので、ご安心ください」

 再開。
 鞭先が空気を切り裂き、レイラの太ももに叩き付けられる。

 素肌に直接 与えられた激痛にレイラはたまらず仰け反った。
 衣服による衝撃の減退がないため、新しく太ももに刻まれた痕は、これまでにも増して色濃かった。
 わずかに血が滲んでさえいる。
 もう一度 同じ箇所に鞭を受ければ、女王の柔肌は簡単に裂けてしまうだろう。

「う……」
 レイラは身体のバランスを崩し、天井から縄で吊られている両手首に体重を預けた。
 太ももの痛みが酷くて足に力が入らないのだ。縄がなければその場に崩れ落ちていたに違いない。

「本当の鞭の味を思い知って頂いたところで、さあ、ダンスのお時間ですわ、女王陛下。姿勢を正してくださいな。縄にぶら下がっていては、踊れないでしょう」
 オリヴィアはレイラの足元を打った。

 間近の床で鞭音が弾ける。
 それだけのことなのに、レイラは慌てて足に力を入れ、体勢を立て直した。

「そうそう。よくできましたわ」
「…………」
 オリヴィアの皮肉に反論の声は返ってこなかった。レイラは荒い息を吐くばかりだ。
 表情にはあまり出ていないが、反射的にとはいえ自分の取った行動に驚いているであろうことが、雰囲気から窺える。

 オリヴィアは、彼女の心情をおおよそ把握していた。
 鞭を恐れるような仕草をレイラがしたのは、本心からのことではない。身体が勝手に反応してしまったのだ。
 鞭の痛みを覚え込まされたレイラの身体が、彼女自身の意思とは関係なく鞭から逃れようとしたのである。

 オリヴィアは再び床を打った。

 触れそうなほどすぐ真横で鞭が跳ねて、レイラは飛び上がりそうになったが、直前でなんとか自制できたようだった。
 ただ、少しばかり左足が上がっていた。
 自然な現象なのだが、レイラの矜持は傷付いただろう。

「数発ほど鞭の痛みに耐える者は、今までにも何人か見てきましたわ。ですが、皆そうして無様なダンスを踊るのです」

 オリヴィアはレイラの太ももに鞭を当てた。軽く接触させただけだった。
 しかしレイラの上体は勢い良く反り返った。
 こうなると終わりだ。彼女の身体は、自分のものではなくなる。
 強靭な意志を持って動作を最小限に抑えていた分、崩れたときの反動も大きくなるだろう。

 悔しがる間も与えずオリヴィアは鞭を使い、レイラの足元を襲った。
 直接 身体を打たれているわけでもないのに女王は不安定な足踏みを始めた。

 右に鞭が飛べば右足が上がり、左に鞭が飛べば左足が上がる。
 女王レイラは、オリヴィアの気が済むまで惨めなダンスを強要された。


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