水の星、世界を手に入れる男
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第一章 第二章 第三章
『水の星、世界を手に入れる男』
第04話 奇襲戦

 カーライル軍の木造帆船7隻が、縦一列になって海原を突き進む。

 軍艦の帆は強烈な風を受けていた。
 自然現象ではない。
 各艦に配備された魔術士たちが、魔力で風を操っているのである。

 軍艦には、いくつもの魔法陣が刻まれている。
 複雑な記号を組み合わせた円形模様の中心に立つことで、魔術の行使を可能にしているのだ。

 かつて、自然現象の操作は、『魔法使い』と呼ばれる少数部族にしか成し得なかった。
 魔法陣の存在が知れ渡るようになってから、ようやく、『魔法使い』でなくとも魔法の真似事ができるようになったのである。

 魔法陣を使った自然現象の操作は、魔法ではなく魔術と呼ばれる。
 魔法を真似る技術。魔法技術。すなわち魔術。

 魔術は人類の歴史に多大な影響を及ぼしてきた。
 送風魔術がなければ、帆船の機動力が現在のように安定することはなく、人類の活動領域は今より狭かったであろうし、通信魔術がなければ、遠方への伝達に苦労し続けることになり、各国の支配体制は実際より脆弱であったろう。

 魔法陣が世に広まってからの人類は魔術の研究に努めてきた。
 地面に魔法陣を描く際には、希少鉱石である魔石を磨り潰したものを使うが、他の鉱石と同様、魔石にも不純物が混じっており、このせいで魔術の効果は薄まり、かつ不安定となる。
 必然的に、魔石の純度を増すための精製技術が発達した。

 同じ種類の魔術であっても、その効果には、国ごとに微妙な差が出る。
 魔石の成分によって魔術との相性が現れるためである。
 カーライル王国の魔石は、自然現象に関係する魔術と相性が良く、送風魔術も隣国に比べてわずかに強い。
 戦略的に意味を持つほどの差ではないが、カーライル艦隊7隻の帆は、強風を受けて勢い良く はためいていた。

――――

「本当に大丈夫なの?」
 甲板上でデュークが尋ねた。
 エルバートは海を眺めたまま聞き返す。
「なにが?」
「いや、だから、アレクセイ大佐を王都に残すのは危険じゃないかって言ってるんだけど」

「その点には私も同意見ね」
 賛意を示したのはラナである。
「アレクセイ男爵はベリチュコフ王国の貴族だったわ。隙あらば裏切ろうと企んでいたって、何の不思議もないでしょ」

「やっぱりラナもそう思うだろう? ねえ、エル。1隻くらいは引き返させた方がいいんじゃない?」
 声の届く範囲には3人しかいないため、デュークは無理に強がることなく不安を露わにしていた。

 エルバートはデュークの肩を軽く叩いた。
「まあまあ、心配しすぎだって」
「でも、もしアレクセイ大佐が裏切ったら、王都が落ちるかもしれないんだよ?」
「かもしれない、どころじゃねえさ。確実に落ちる。アレクセイがその気になったら、王都に残った守備隊だけではとても抑えられない。普段あいつは宮廷に居ないから、地理には詳しくないだろうが、やりようはいくらでもあるからな」
「彼が裏切らない確信でもあるの?」
「確信? そんなもん、あるわけねえだろ。つーか、たぶんアレクセイは、時機を見て裏切るつもりなんじゃねえかな」
「…………」
 信頼するエルバートの言葉に、デュークはますます動揺を深める。

「情けない顔をするなよ、デュー。そこまで不安になることはないんだって。アレクセイは有能だ。軽率に動いたりはしない。あの巨漢に似合わず、かなりの慎重派なんだよ、あいつは。おそらくこの奇襲作戦がどう転ぶのかを見極めようとするだろう。裏切るとしたらその後だ」
「奇襲が失敗したらアレクセイ大佐は裏切るってこと?」
「そうなる。つまり、勝てば何の問題も起きない。奇襲が失敗したら俺たちはみんな殺されるんだから、その後のことを心配しても無意味だろ。疲れるだけだ。だから考えないことにしよう」

「…………。奇襲の前に裏切る可能性は? たとえば、こちらの情報をベリチュコフ軍に流して奇襲を失敗させ、その功績によって厚遇されるのを狙う、とか」
「成功しなかった奇襲の評価なんて低いもんだ。ましてや相手は軍神レイラなんだから、どうせ情報提供がなくてもレイラが自力でどうにかしていた、と思われるだけだろうよ。しかも、下手に情報を流した後に、万が一 俺たちが勝っちまった場合、あいつは極めて深刻な状況に陥る。どうせ大した手柄を立てられないのなら、情勢が決してから動いた方が確実だろ? 仮にアレクセイが無能だったなら、はっきり言ってどう出るか分からないが、あいつが有能であるからには、取り得る選択肢は限られてくる」
「そうかもしれないけど……」
 まだ納得しがたいようで、デュークは眉間に皺を作っていた。

 今度はラナが尋ねる。
「アレクセイ男爵があんたと同じように考えるという保証はあるの? アレクセイ男爵がどれほど有能であったとしても、判断を誤ることはあるでしょう」
「そりゃ絶対ではないさ。だから確信は持っていない。今の時点でアレクセイが裏切る気満々だったとしても、驚くには値しないだろうな。考えにくい事態ではあるが、まあ、そういうこともあるだろう。でも手の打ちようがない。しょうがないだろ? すべての懸念を取り除くには、人的余裕も時間的余裕もないんだ。もし作戦が敵軍に漏れていたら、その時は仕方ない。降伏しよう」

「あんたね……」
「それでもアレクセイは内通しないと俺は見てる」
「どうして? まだ他に根拠があるの?」
「ない。けどそこそこ自信はある。なんとなく大丈夫だって思えるんだ」
「あんたって、人を見る目は確かなのよねぇ」
 ラナはしみじみと言った。
 デュークも続く。
「人材の選択には神がかり的なものがあるんだよね」

 エルバートは苦笑した。
「まあ、人事に関しては、頑張れば頑張るほど後が楽になるからな」

――――

 主な幹部が集まっている先頭艦の一室に、伝令からの報告が続々と届く。
 その内容は代わり映えがなかった。敵軍に動きなし。敵軍に動きなし。敵軍に動きなし……。

「デューの予想通り、ベリチュコフ軍は略奪のことばかり考え、分散しているようだな」
 エルバートは一同に向かって言った。

 奇襲に反対していたネイサン参謀長は渋い顔をしていた。
「確かに軽率な行動を取っているようですが、なにしろ敵の司令官は軍神レイラなのですから、ゆめゆめ油断なされぬよう」
「そうだな」
 エルバートは素直に応じた。参謀長にいつまでも不満を持たれていては困る。この男には全力でデュークを補佐してもらわねばならない。

「ところで、ネイサン参謀長」
「なんでしょうか」
「ベリチュコフ軍の位置はすでにおおよそ判明しているが、レイラの乗っている旗艦がどこに居るのかはまだ分かっていない。ネイサン参謀長の意見が聞きたい」
 自分の中で答えは出ていたが、エルバートはあえて尋ねた。
「旗艦ですか。ふむ」
 ネイサンは机上の地図を見つめた。ふた呼吸の後、彼の指は地図上の一点を示した。

「おそらくここでしょう。自らも略奪を楽しんでいるレイラ女王なら、ひときわ広く人口も多いこの島に駐留したがるはず」
「ふうん、なるほどな。さすが参謀長。納得のいく考察だ」
 エルバートは何度も大きく頷いた。

 おだてる意図は分かるがその仕草は少し大袈裟ではないか、と隣に居るデュークは不安になったが、杞憂だった。
「いえ、たいしたことはありません」
 ネイサンは、エルバートの言葉をそのまま受け取り、得意げに頬を緩めたのだった。

 ふたりの遣り取りを見てデュークは唖然とした。
 ネイサンにこれほど単純な面があるとも知らず、ただの頑固者だと決め付けて煙たがっていた自分が、無性に恥ずかしくなった。

 デュークは、事あるごとに反発してくるネイサンを扱いかねて、エルバートに相談をしたことがあった。
 その時エルバートには、「扱い方ひとつで相手の反応は変わるものだ」と言われた。
 親友の助言をデュークはあまり真に受けなかった。誰も表立って逆らったりしない王族ゆえの考え方だと思ったのだ。

 しかし、現実はこれだ。
 王族の威光で表面上は従わせることができても、相手の気分を良くすることはできない。
 ネイサンが上機嫌になったのは、あきらかにエルバート個人の言動に寄るものだ。

 扱い方ひとつで相手の反応は変わる。なら、僕だってもっと上手くやれたはずだ。
 心の中でデュークは嘆息した。反省しなければ。今後に生かすために。

 ただの若造に過ぎない自分が、将来は大貴族の当主として、責任ある立場に就くことになるのだ。いつまでも無能のままではいられない。今は、学ぶ姿勢が何より大切であるに違いない。
 もっとも、この猛省を活かすには、カーライル王国が滅亡しないという前提が必要なのだけれど。

――――

 進軍中のカーライル艦隊を夕焼けが覆い始めた。

 エルバートとラナは、先頭から二番目の艦に移っていた。
 奇襲の際は、この位置から戦況を見極めて、臨機応変に艦隊を動かす必要があった。
 代わりに、艦長の中で唯一信頼できるデュークを先頭艦に残している。

「ふう。しかし、とはいえ……」
 エルバートは落ち着きなく先頭艦を見つめた。

 その様子にラナが呆れ顔になる。
「あんた、そんなにデューのことが心配なの?」
「いや、まあ、なぁ……」
「一番 危険な先陣にデューを据えたことに抵抗があるのは分かるわ。でも、この配置は正しいと思う。他の艦長じゃ、いつ戦意を喪失するか分からないじゃない。先陣を任せられるのはデューしか居ないわ。デューは特別 勇猛ではないけれど、敗北が決定的となる瞬間まで、あんたの命令を遂行しようと進み続けるはず。良かれ悪しかれ、生真面目な性格だからね。ついでに言うと、デューは誰よりもあんたのことを信頼しているし。最高の結果を出すための最善の布陣よ、これは」
「分かってる」

「もしも先頭艦の艦長が戦死したら、奇襲は失敗したも同然。私たちもすぐ死ぬことになるわ。作戦の成功にはデューの生存が絶対条件と言っても良いくらいよ。だから、配置による危険度の差なんて、実質的には無いに等しいじゃないの」
「分かってるってば」

「そう? なら良いんだけど」
 もちろん、エルには言うまでもないことだろう。決定を下したのはエル自身なのだ。しかし、だからといって、感情的にも割り切れているかと言うと、話は別であるに違いない。
 ラナにはそれが理解できた。なにしろ、彼女自身も同じくデューを心配しているのだから。

「それはともかくさ、ラナ」
「なに?」
「お前、今回ばかりは王宮で待ってた方が良いんじゃね? まだ間に合うぞ。小舟の1隻くらいならいつでも出せる」
「うん、って私が言うと思う?」
「いや……。けど、なにも世話係が戦場まで付いてこなくても良いと思うんだが」
「今更すぎるでしょ、そんな話。戦場だろうと何処だろうと、これまでずっと一緒だったじゃない」
「そうだけど」

「怖じ気付いちゃったの?」
「なわけねえだろ」
「そもそも、あんた、本気で言ってないでしょ」
「え?」
「何を言われてもあんたに付いていくって、そう言って欲しいのよね?」
「はあ? 意味が分からん」
「いいのよ、隠さなくたって」
「隠すもなにも、お前の思い違いだし。もういいから、さっさと艦を下りろ」
「嫌よ。何を言われてもあんたに付いていくわ」
「…………」
 エルバートはそっぽを向いて黙り込んだ。

「だいたい、私ひとり残されるなんて嫌だからね。エルとデューが死んだら、私もすぐに死ぬから」
「おいおい」
 慌ててラナに向き直る。
「なにもわざわざ後を追って死ぬことはねえだろ」
「焦ることないじゃないの。あんたが生きるのなら私も生きるわ。何の問題もないでしょう」
「なんか俺、脅されてるみたいじゃね?」
「気のせいよ。それとも、なに? もしかして、玉砕を覚悟しているの?」
「いや」
 エルバートは頭を振った。
「俺は死ぬ気なんかないさ。もちろんデューも死なせない。だからお前も死ぬ必要なんかない」
 そうね、とラナは言った。

「お」
 エルバートは不意に声を漏らして、視線を上空へ向けた。
 つられてラナも天を見上げる。
 夕焼けの空が雲に覆われ始めていた。
 ちょうど雫が落ちてきて、ひとつふたつ頬に当たったかと思うと、次の瞬間には数え切れなくなった。

「雨……」
 ラナは呟いた。
 急な天候の変化に心が騒いだ。
 雨が降っていれば艦隊は見えにくくなる。したがって、敵に発見される時間が遅れ、奇襲の成功率が上がる。

「雨だな」
 エルバートは、納得するように言った。
 彼の態度にラナは微かな違和感を覚えた。
「あんた、雨が降ってくるって分かってたの?」
「可能性はあると思っていた」
「そりゃあ、可能性はあるだろうけど……」

 ふたりの周囲では兵たちが歓喜の声を上げている。
「神は俺達に味方しているぞ!」
「これで雨に紛れて敵軍に近付ける!」
「天命だ! 神の力だ!」
 実際には、雨が降った程度で勝利が約束されるわけではないが、絶望的状況下では、わずかに運が向いてきただけでも勇気付けられるものだ。

 ラナは、周りの兵たちのように浮かれはしなかったものの、思うところはあった。
「神の力……」
 特別な意味を込めたつもりなんて本人はないのだろうが、兵のひとりが発したその言葉は、妙に印象深かった。

――――

 日の暮れた海は、どこまでも暗闇が広がっていた。
 時が経つほどに雨は強くなり、甲板を勢い良く叩いている。

「ベリチュコフ艦隊、発見!」
 雨音に負けぬよう見張り台の兵が大声で報告した。

 エルバートは前方を凝視する。
「あれか」
 水平線に小さな粒がぽつぽつと浮かんでいた。まだ距離があるため、雨の中では、言われないと気付かないほどに見辛い。
 敵艦隊は20隻にも満たなかった。他の艦は各地に分散しているのだろう。

 周辺海域を警備している飛竜隊は居ないようだった。
 特におかしなことではない。
 翼を持った巨大な生物を人類が使役できるようになってから、まだ日が浅い。ゆえに、各国が実戦配備している飛竜の数には限りがある。
 消息不明となる危険を冒してまで、大雨が降っている夜間に飛行させているはずはない。
 もっとも、飛竜は無限に飛んでいられるわけではなく、どころか飛行時間は基本的に短いため、晴天であっても索敵能力はたかが知れているのだが。

 エルバートは視線を下ろして、ベリチュコフ艦隊を観察した。
 西へ向かっているようだが、隊列が乱れている。特に後ろ半分は、遅れの目立つ艦が多い。
 それに比べると、前半分の艦は固まって進行している。あれが本隊だろう。中心には、レイラの乗っている旗艦があるはずだ。

 ベリチュコフ艦隊が奇襲を警戒している様子はない。
 この分なら南から敵艦隊の側面を突けるだろう。
 しかし、無防備な敵軍を見て喜ぶ兵は居なかった。
 逆に、敵艦隊を目にした途端、ほとんどの兵が黙り込んでしまった。

 敵艦隊が20隻弱だと言っても、こちらを超える数である。
 各地に散っている敵艦も、襲撃に気付けば、当然 駆け付けてくる。こちらが手間取っていれば包囲される危険は充分にある。
 敵軍が警戒していなくとも、勝機が極めて貧弱であることに変わりはないのだ。

 だが、エルバートの顔には笑みが浮かんでいた。狩猟で獲物を見付けた時のように目を細めている。
 圧倒的劣勢であることを忘れて敵を一方的に嬲るつもりであるかのような表情だった。

「楽しそうね」
「ん? なんか言ったか?」
 ラナは素直な感想を口にしたが、雨音のせいでエルバートにはよく聞こえなかったようだった。
 もう一度 同じ言葉を伝えようとして、ラナは思い直す。
 そんなことを言ったら、エルは素に戻ってしまうかもしれない。夢中になっている子供の気分をわざわざ萎えさせてやることはないだろう。

 エルがやる気になっているのなら、あるいは勝てるかもしれない、とラナは思う。
 とはいえ、希望を抱いただけで、勝利を確信したわけではない。
 戦場に立ったエルバートが周囲から絶大な信頼感を得られるようになるまで、まだいくらかの月日を必要とする。

――――

 カーライル艦隊は、ベリチュコフ本隊の左側面を目掛けて急進した。
 エルバートが遠目で見る限り、まだ敵軍に動きはない。
 大雨のせいか、敵艦の甲板には見張りの兵すら居ない。

 一方のカーライル艦隊は、各甲板に50人ほどの斬り込み隊を待機させている。
 敵旗艦に乗り込んでレイラ女王を討ち取るという、唯一の目的のためにである。

 甲板上で無駄口を叩く者は居なかった。
 彼らの耳には、激しい雨と波の音に混じって、自身の呼吸音が届いていた。
 誰もが緊張に息を荒くしている。

 その中で、ただひとりエルバートだけが舌なめずりをしていた。
 彼は思った。女王レイラの率いる艦隊が、横っ腹を晒しているんだ。これが興奮せずにいられるか。
 なのに。
 表情を硬くしている兵たちに対して、エルバートは失望感を覚えた。
 なぜもっと高揚しないんだ? なぜ恐れるばかりなんだ?  普段は怠惰な俺ですら、軍神レイラという極上の餌を前にしたら、こうして飛びつきたくなるってのに。
 餌にありつくまでには大きな障害があるだろうが、構わず進みたくなるのが本能ってもんだろう。
 むしろ、敵軍の戦力が強大だからこそ燃えてくるものがあるんじゃないか。

 エルバートは立ち上がった。
 兵たちの視線が自分に集中するのを確認してから、口を開く。
「敵の大将はすぐそこだ! 大軍にあぐらをかいて余裕しゃくしゃくの女王様を、この手で叩き斬ってやろうぜ! いいかお前ら、俺が引っ張ってやるから、ちゃんとついてこいよ!」

 ラナは思う。
 いつもは仕事を放り出してばかりなのに、一度 面白そうだと思えば、エルは際限なく意気が上がっていく。こうなると恐れを忘れ、妙な自信に満ち溢れるようになる。
 子供そのものだ、はっきり言って。

 けれど、兵の中には、エルに尊敬の眼差しを向ける者も少なくないようだった。
 当然かもしれない。戦場の緊張感に圧迫されている兵士にとって、「俺についてこい」という一言は、何にも増してありがたいものだ。
 指揮官の言葉であるだけでなく、王族の言葉でもあるのだから、余計に心強く思えることだろう。
 その上、発言者は威風堂々としており、不敵な笑みまで浮かべているとなると、心の拠り所としては文句の付けようがない。
 図らずもエルバートは兵からの信頼を得始めているようだった。
 あるいは計算尽くなのだろうか。幼馴染みのラナにも良く分からなかった。

――――

 先頭艦でも、ネイサン参謀長が兵を鼓舞している。
「ベリチュコフ軍に占領された島々は略奪され、罪無き人々が蹂躙されている! ベリチュコフ軍を倒さなければ、お前たちの家族や恋人も、いずれ同じ運命を辿ることになるぞ! 許せるか、これが! 我らの手で悪逆な侵略者を返り討ちにするぞ!」
 ネイサンの声は、激しい雨の中でも良く聞こえた。力強さもある。
 兵達の胸に強く響いたであろう。

 実際、斬り込み隊から声が上がり始める。
「やってやるぞ! ここまで来たからには、もうやるしかないんだ!」
「おお! 俺たちの国を俺たちの手で守るぞ!」

 女王レイラは、抵抗する勢力に容赦をしてこなかった。それは、敵に早期降伏を促す効果があったが、一度 抵抗を決意した相手に対しては、徹底抗戦の道へ誘うという副作用もあった。
 今のカーライル軍がまさにそうである。末端の兵士に至るまで必死の抵抗を試みようとしている。

 デューク少将は、沸き立つ兵たちを真剣な眼差しで眺めた。
 長年軍歴に就いていただけあって、ネイサンは兵の士気に精通している。
 見習わなければならない。

 デュークは自身も大声を発した。
「敵は分散している! 隙だらけだ! 勝てるぞ! 必ず勝てる!」
 自分に言い聞かせる意味もあったが、それと知らぬ兵たちは、デュークの言葉にますます昂揚した。

――――

 デュークの乗る先頭艦は、声が届きそうな距離まで敵艦隊に接近した。
 斬り込み隊が、興奮した面持ちで静かに出番を待っている。

 敵艦隊の甲板には未だ人の姿がなかった。
 もしかしたら、このまま気付かれることなく敵旗艦に接舷できるのではないか。
 淡い期待をデュークが抱いた途端、最も近い敵艦に動きがあった。ひとりの敵兵が甲板に出てきたのである。

 デュークは敵兵を凝視した。
 武器は持っていないようだ。少なくとも戦闘員ではないらしい。艦を動かすための水兵だろうか。分からない。
 服装を精査すれば判別できるかもしれないが、雨が降っていては、少々の距離でもおおよその姿しか捉えられない。

 デュークは判断に迷った。
 出てきた敵兵はひとりだけ。腕の立つ射手に片付けてもらうべきだろうか。
 いや、雨の中で正確に狙い撃ちすることなんてできるはずがない。こちらの存在をわざわざ知らせることになるだけか。
 ならばどうする。どうにもならない。見守っていることしかできない。あとは祈るくらいか。敵の視線がこちらに向かないよう……。

 デュークの望みは、またしても崩れた。
 何を思ってか、甲板の敵兵は、カーライル艦隊が迫っている方角へ不意に顔を向けたのだった。
 なぜだ、とデュークは叫び出したくなった。
 思い込みに過ぎないとは分かっていても、自分が意識したせいで状況が悪くなっているかのような気がしてくる。

 甲板上の兵はこちらをじっと見つめていた。
 ひょっとして気付いていないのか。デュークは再び楽観的な考えに傾いた。

 その一方、彼の中では現実的な思考も機能していた。
 気付いていないかも、だって?  馬鹿な。有り得ない。しっかりこっちを見ているじゃないか。
 敵が大声を出せば聞こえてきそうな距離なんだ。気付いていないはずがない。
 今は意表を突かれて固まっているだけだ。数秒後には船室に駆け込んで大騒ぎするに決まっている。
 何をぐだぐだと考えているんだ、僕は。
 いつまでも奇跡に頼ってどうする。雨は降った。充分じゃないか。これ以上を望んでいたら際限がない。

 半ば意識的にそう思うデュークだったが、やはり心の片隅では奇跡を望んでしまう。
 たとえば、あの敵兵は酔っていて、認識能力が欠如しているとか。
 あるいは、いきなり目に入った敵艦隊に驚いて、海に落ちてしまうとか。
 ……救いがたい思考回路だ。自分のことながらデュークは呆れ返った。
 現実を受け入れるだけでも一苦労である。

 戦場に出るたびに自分は弱い人間なのだと思い知らされてきたが、今回はなかなかに強烈だった。
 理由は分かっていた。
 これほどの劣勢は経験したことがなく、大軍を要する敵艦への斬り込みもまた初めてだった。
 ようするに、自ら主張した奇襲作戦を、今更ながらに恐れているのだ。

 圧倒的な数の差。無敵を誇る軍神の力。略奪を楽しむ狂気の女王。
 何から何まで恐ろしかった。
 これまでデュークは、生還の可能性をなるべく考えないようにしていた。具体的に想像したら身体が竦んでしまうような気がした。
 実際、恐怖に支配されようとしている現状を考えれば、懸念は正解だったようだ。

 けれど、尻尾を巻いて逃げる気だけはなかった。
 一度 決まったことには懸命に取り組む。自分にできるのはそれしかない。
 生来の真面目な性格だけが取り柄であることをデュークは自覚していた。返上するつもりもない。

 甲板で何秒間か硬直していた敵兵は、弾かれたように反転して、船室に駆け戻った。
 そうなるよな、とデュークは思った。戸惑いは消えていた。
 見付かったことがはっきりとした形で示されたため、未練がましい期待には早々に見切りをつけることができた。

 もし、あの敵兵がふらふらと覚束ない足取りで戻っていたなら、また馬鹿な考えに取り憑かれていたかもしれない。
 敵兵の焦点はこっちに合っていなかったのではないか、などと無意味な逡巡をしていただろう。
 だがその心配はもうない。すでに見付かった。それは分かった。やることも分かっている。

 デュークは勢い良く立ち上がった。甲板に座って待機している兵たちを見下ろす。
「これから敵も動き出すぞ! 我々はこのまま突入する!」
 緊張で声が裏返らなかったことに、若い指揮官は密かに安堵した。

 ベリチュコフ艦隊が動き出す前に少しでも距離を詰めようと、デュークは全速で艦を直進させた。
 捕捉されても敵艦がすぐに戦闘態勢に入るわけではない。

 先ほどの敵兵が直属の上官に敵襲を知らせる。その上官が部門長に伝える。次に艦橋へと報告される。そしてようやく艦長が判断を下し、今度は逆順を辿って命令をすべての船員に送る。
 敵艦がこの流れを終えるまで、まだ多少の時間がある。

「デューク艦長。旗艦に辿り着くには、前面を塞いでいる敵艦2隻を突破しなければなりません。このまま前進を続けますか?」
 参謀長ネイサンの問いにデュークは即答する。
「作戦通り、レイラのみを目指す。体当たりをして前方2隻の間に通り道を作ろう」
「承知しました」
 すんなりと同意するネイサンを意外に思うデュークだったが、すぐに気を取り直し、部下に指示を送った。
「総員、衝撃に備えろ!」

 程なくしてデューク艦は敵艦と激突した。
 強烈な振動に襲われ、甲板に立っていた者の大半が転倒する。
 敵艦2隻の間に割って入ることに成功すると、デュークは慌てて起き上がり、声を張り上げた。
「砲撃用意!」

 命令に従い、砲雷科の兵たちが精神集中に入った。甲板に描かれている複数の魔法陣が光を帯びる。
 砲撃とは、魔術士による魔術攻撃に他ならない。数人でひとつの魔法陣を使用し、体内に宿る魔力を撃ち出すのである。

「左舷! 右舷! 撃て!」
 デュークの号令により、両舷から砲撃が開始された。
 数人分の魔力を凝縮した魔術弾が、各魔法陣から撃ち出されていく。

 敵艦とぶつかった直後な上、なおも突進している最中であるため、至近距離にもかかわらず、左舷側からの砲撃は完全に外れた。
 右舷の砲撃も、1発が敵艦の船首を掠めたに過ぎなかった。

 ベリチュコフ艦からの反撃はない。まだ戦闘態勢に移行できていないのだ。
 しかし甲板上では敵兵が慌ただしく駆け回っている。数十秒もすれば反撃体勢を整えてくるだろう。
「敵に構うな! 前進! 前進だ!」

 デューク艦は、敵艦2隻を押し退けながら強引に進んだ。
 すれ違いざまに再度の砲撃を行う。
 左舷の砲撃は命中なし。
 右舷は2発の魔術弾を敵艦に叩き込んだ。

 直撃しても爆発はしない。
 当たった瞬間に炸裂する魔術も研究されてはいるが、現在の魔術体系では、魔力の塊を飛ばして相手にぶつけるという単純な方法が、ほぼ唯一の攻撃手段である。

 爆発がないとは言っても、砲撃の威力は侮れない。
 敵艦に命中した2発の魔術弾のうち、1発は帆を突き破っただけだったが、もう1発の魔術弾は、甲板の兵士2人を殺し、3人に怪我を負わせた。負傷者の1人は右足を失った。

 魔術弾は、ほぼ完全な球体を成している。その体積は、成人男性の腕に収まる程度だが、ひとりでは長く持っていられないほどの重量がある。
 それが高速で放たれるのである。
 魔術弾の表面は泥のように柔らかいが、球形が崩れることはほとんどなく、人体に当たればその部位を問答無用で持っていく。
 たとえ人に直接当たらなくとも、魔術弾によって吹き飛ばされた木片が、新たな死傷者をつくる。
 基本的に避けられるような速度ではないため、砲撃を受けた側は、自分に当たらないよう祈るしかない。
 軍艦とて同様だ。被弾すれば風穴が開く。何十発も食らえば沈没の危険が出てくる。

 夜戦における砲撃の恐怖は際立っていた。
 魔術弾は黒々としており、夜の闇に溶け込んでしまうため、砲撃を視認することすら困難となる。
 いつどこに着弾するのかは、実際に被害が出た後にしか分からないことが多く、兵たちは音と衝撃に翻弄され続けるのだ。

 慌てふためく敵艦2隻を、デューク艦はあっさりと抜き去った。
 中央のレイラ艦を目指して直進を続ける。
 その間にベリチュコフ艦が次々に動き出し始めるが、まだ動きは鈍い。

 デューク艦に抜かれたベリチュコフ艦2隻は、後を追ってこなかった。
 突破されたことを気にしていないかのように、互いに艦を寄せて隙間を埋め直したのだった。

「デューク少将! 後ろを塞がれました!」
 ネイサンは声を上擦らせた。
 周りが敵艦ばかりの中で、退路を断たれてしまったのだ。完全な包囲下。経験豊富な参謀長であっても動揺を隠せない。

「先頭艦だけなら通しても問題ないと踏んだのだろう」
 デュークの声は比較的落ち着いていた。
 後ろに居るのは信頼するエルバートだ。必要な支援はしてくれる。
 そう思うがための平静だった。

 ネイサンはそこまで見通せず、デュークの反応にただ驚いていた。
「……どう致しますか、デューク少将」
「目的は変わらない。そうだろう、参謀長。レイラを討つ」

 デューク艦は、レイラの乗っている旗艦の側面に突っ込んだ。
 全速のまま船首をぶつける。
 轟音と共に艦全体が激しく揺れた。

「斬り込み隊、敵艦に乗り込め!」
 帆の柱にしがみつきながらデュークが指示を出す。
 斬り込み隊はすでに行動に移っていた。彼らは次々と敵艦に縄を引っ掛け、艦同士を繋げ、梯子を掛けていく。
「第一分隊、突撃!」
 ネイサンの命令を受け、斬り込み隊の一部が敵艦に乗り移る。
 その先では敵兵が待ち構えていた。
 すぐに白兵戦が始まる。
「次だ! 第二分隊、突撃! 僕に続け!」
 勇ましい号令の主はデュークだった。
 緊張で動きが鈍いなどということはない。今の彼は、自分の責任を果たすことしか頭にない。
 デュークは自ら剣を抜き、送風魔術による追い風を背に受けながら敵艦に飛び移った。

 ネイサンは、デュークの背中を見つめた後、周囲に向けて声を上げた。
「デューク少将に遅れを取るな! 第二分隊、急げ!」
 少将閣下であるデュークに先を行かれた第二分隊は、慌てて後を追った。
 ネイサンも剣を握って駆け出した。


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