水の星、世界を手に入れる男
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第一章 第二章 第三章
『水の星、世界を手に入れる男』
第02話 女王レイラ

 レイラ・ベリチュコフ。戦死した先王の後を継いで、軍事大国ベリチュコフを統べる立場となった女王。
 彼女は、即位した直後に自ら軍を率い、周辺国の艦隊を次々に撃破していった。

 レイラの能力のみを純粋に評価する者は、彼女を『軍神』と称える。
 一方、女王即位後に知れ渡った好戦的な面を見て、『戦争狂』と呼ぶ者も居る。
 そして、レイラの身近に居る者は、より単純に『狂人』と評する。

 女王レイラは、美しい女を虐げることが至上の喜びだった。男への関心も皆無ではないが、極めて薄い。
 彼女のそうした性癖は、13歳の時に発芽した。その年、レイラは初めて略奪の現場を目にした。反乱貴族を討伐した際のことである。

 ベリチュコフ軍はわずか数日で反乱を鎮圧し、さらに数倍の日数を掛けて、必要以上の略奪を行った。
 当時の国王による命令だった。反乱を企てればどうなるかを思い知らせるためだ。
 そのことをレイラは理解していた。反感も覚えなかった。
 元から残忍な性格だったというわけではないが、特別に慈悲深いわけでもなく、王侯貴族としては、ごく有り触れた反応だった。

 レイラは、反乱の首謀者を公開処刑にした上で、一族郎党に至るまで首を刎ね、領民にも徹底的な弾圧を加えた。
 あくまで軍事行動の一環として、淡々とこなした。

 略奪の進行具合を確認するため、レイラは街の中に足を踏み入れた。
 女の悲鳴と男の断末魔が街のあちこちから上がっていた。
 いくらか歩いているうちに、路地裏で女を囲んでいる兵士数人が目に留まった。
 レイラの側近たちは、戦争の負の側面を目撃せずに済むよう、13歳の彼女を遠ざけようとしたが、逆効果となった。
 余計に興味を引かれたレイラは、周囲の制止に構わず近付いていった。

「何をしているのかしら?」
 まだ世の中の汚れを知らない時期の話である。女に挑み掛かっている男たちを見ても、状況を飲み込めなかった。
 もっとよく観察するために近寄ろうとしたが、今度こそ側近に力尽くで阻止された。

 夜になり、反乱貴族の邸宅を仮宿としたレイラは、ベッドの中でひとり悶々とすることになった。
 あれは何だったのだろう。殴られた様子もないのに女の人は泣いていたけれど。男の人は変な動きをしていたし。気になる……。
 そのような思考がいつまでも頭の中を回った。数時間前の光景を思い出すだけで彼女の胸は高鳴った。

 次の日、レイラは側近の反対を押し切って、再び街中を巡った。
 略奪は激しさを増していた。
 おかげで昨日と同じような場面に数多く出くわしたが、ほとんどの兵はレイラに気付くと慌てて女から離れた。
 それでも、いくつかの現場では、兵たちに気取られることなく、間近で見学することができた。
 男に興味は湧かなかった。
 組み敷かれて助けを求めている女の姿にこそ好奇心を刺激された。
 乱れる髪。悲痛な顔。はだける衣服。すべてがレイラの目を釘付けにした。
 そこで何が行われているのか、正確なことは分からないままだったが、おおよそは掴めた。

 レイラは、その日のうちに街から選りすぐりの美女を集め、仮宿にてたっぷりと可愛がった。

 最初は、陵辱の現場で男たちがしていたことを思い出しながら、女の全身をまさぐるだけだった。
 それでもレイラは昂ぶりを覚えた。
 しかし、どこか物足りない。何かが欠けている。
 もどかしく思いながら別の女に手を出した。
 女の抵抗が激しかったため、思わず平手打ちした。女は大人しくなった。小さく震えながら、涙で濡れた目を向けてきた。
 その怯えた表情に、レイラは情欲を掻き立てられた。
 求めていたものはそこにあった。

 より女たちを怯えさせようと、夜を徹して虐待を行った。
 そのうち素手だけでは満足できなくなり、木の棒を持ち出して叩き付けたりもした。
 強くやりすぎて女のひとりを死なせてしまったが、特に何の感慨もなかった。女は他にも大勢いたから、惜しいとは思わなかった。

 とはいえ、そう易々と死なれては長く楽しめない。
 代わりに乗馬鞭を用意させた。
 騎乗用の鞭を使えば、女の柔肌は簡単に裂ける。だが、どれほど当たり所が悪くとも、即死することはない。
 虐待には最適の道具だった。

 一振りごとに、絶叫が室内に響き渡った。
 レイラはそのたびに熱い愉悦を感じた。
 当時まだ初潮を迎えたばかりのレイラにとって、それは衝撃的な体験だった。
 女たちの悲鳴を心行くまで堪能した彼女は、ひとりになった後、冷たく濡れた下着を脱ぎ捨て、生まれて初めての自慰に耽った。

 その後も、各地を転戦するたびにレイラは捕虜を虐め抜いた。
 年を重ねれば重ねるほど虐待は苛烈を極めていった。
 肉体的苦痛だけでなく、精神的苦痛を強いることにも傾倒していき、やがて、死の恐怖を与える快感にも目覚めた。
 以降、直接 手を付けた捕虜のほとんどが死に至るようになった。

 初陣から10年が経った現在でも、彼女の性癖は変わることがなかった。
 レイラを狂人と断じる者は後を絶たない。

――――

 カーライル王国に侵攻したベリチュコフ軍は、いくつもの島を陥落させ、なおも王都に向かって進軍を続けた。
 艦隊の中心には、総司令官・女王レイラの乗る旗艦があった。

 豪華に飾り立てられた船室で、レイラは8人の女を侍らせていた。
 彼女たちは、ベリチュコフ軍によって国を滅ぼされ奴隷の身に堕とされた元姫君である。
 いずれも整った顔立ちをしている。容姿に恵まれた高貴な女をレイラ自身が選別して側室に加えていったのだ。
 姫たちは粗末な衣服しか与えられていなかった。元の身分を考えれば無慈悲な扱いだったが、文句を言う者は居なかった。
 恐るべき支配者を前にして、大半の姫は床にへたり込んで身を寄せ合っていた。

「何か果物が食べたいわね」
 8人の姫を見下ろしながらレイラは静かに言った。
 いつも彼女は、抑揚のない口調で、無表情のまま話す。
 にもかかわらず、周囲の者は、大声で叱り付けられたかのように全身を緊張させる。
 自分の意に沿わない者に容赦をしないレイラの気質がそうさせるのだった。

「は、はい、ただいま」
 レイラに視線を向けられた姫のひとりが、慌てて返事をして、傍らに置かれている果物籠を捧げ持った。
 姫の手は、わざとそうしているのではないかと思えるほど大きく震えていた。

「それにするわ」
 レイラは顎で示した。
 籠の中には数種類の果物が入っているため、レイラが何を欲しがっているのか、今の言葉だけでは判然としなかった。
 姫は、迷った末に、小さな実を手に取った。
 もしも間違っていたら、ひどく折檻を受けることになるだろう。殺されてもおかしくはない。
 レイラに聞けば済む話であっても、この場合はどうにもならなかった。質問は許されていないのだ。そう言い含められている。
 勝手に口を開いたりしたらどのような処罰を下されるか、分かったものではない。

「し、失礼致します、女王陛下」
 小さな実を口に含んだ姫は、自らの顔をレイラの唇に接近させた。
 それが果物を差し出す時の作法だった。暴力を振るわれながら躾けられてきたことだ。
 互いの口同士が触れそうになるくらいまで近付くと、レイラはわずかに唇を開き、受け入れ体勢を取った。
 姫は唇を重ね、レイラの口内に果物の実を送り込んだ。

「んっ……」
 口移しのために伸ばした舌を、レイラの舌に絡め取られ、姫は鼻息を漏らした。
 女同士の接吻などおぞましいだけだが、一方で姫は安心もしていた。どうやら、小さな実を選んだのは正解だったらしい。これで命が繋がった。
 もっとも、次に何かあった時、同じように上手くいくとは限らないのだけれど……。

 接吻は長く続いた。
 どれほど不快であろうと、態度に出すわけにはいかない。ひたすら受け入れるしかない。
 姫は嫌々ながら舌を差し出し、レイラの口腔内を舐め回した。
 捕虜になって間もなかった頃、最初に接吻を強要された際に、差し入れられたレイラの舌から逃れるべく、姫は、当然の反応として自分の舌を奥へ引っ込めた。
 その時に受けた罰を思い出すだけで、背中に残っている鞭の痕が疼くような気がした。
 レイラは興奮を高めているようで、舌の動きが次第に激しくなってきた。
 唾液の跳ねる音が何度も鳴った。ふたりの唇の隙間から唾液が零れ出し、各々の顎を伝う。
 やがて、姫の口内に果物の実が送り返されてきた。
 レイラの唾液に塗れたそれを、口の中で転がし、自身の唾液で塗り替えてから、再びレイラに譲り渡す。
 さらに往復を繰り返して、姫はようやく唇を解放された。

――――

 かつて戦姫として名を馳せたベアトリス・ハルは、果物の口移しが行われている間、ひたすらレイラの足を舐めさせられていた。
 奴隷の身に堕とされていながらも、彼女の目は未だ光を失っていない。
 捕虜となる以前は、自ら軍を率いてレイラと戦った。結果として降伏することになったが、その勇猛果敢な戦いぶりは敵味方に広く知られている。

 ベアトリスは意識して無表情を保っていた。
 感情を露わにしても余計に辛くなるだけであることは分かっていた。
 なるべく何も考えず、黙々と奉仕する。

「私の顔を見ながら舐めなさい、ベアトリス」
「…………」
 頭上から声を掛けられたベアトリスは舌の動きを止めた。
 心を見透かされたような気がして、わずかに動揺する。
 ひたすら指を舐めているだけなら、余計な考えが頭をよぎることはあまりないが、相手と目を合わせたら、そうも行かないだろう。

「あら、誰が休んでも良いと言ったのかしら?」
「申し訳ありません」
 ベアトリスは舌の動きを再開しつつ視線を上げた。
 祖国を蹂躙し、家臣を殺し、自分を奴隷に堕とした張本人の顔が、視界に入る。
 そのせいで、頭の端に追いやっていた感情が、どうしようもなく込み上げてきた。

 しかし逆らう気にはなれなかった。
 ここで死ぬわけにはいかない。祖国復興のためには、王家の血を引く自分が必要なのだ。レイラに虐げられている民を救えるのは自分しか居ない。生き延びさえすればいつかは機会が巡ってくる。
 今はそう信じて奉仕をするしかない。

「不満そうね。嫌ならやめても構わないのよ?」
 言いながらレイラはわずかに目を細めた。
 感情表現の乏しいレイラがこのような顔をする時、嘲笑していることを意味する。
 レイラの言葉を信じて奉仕をやめてしまったら、命を落とすことになるかもしれない。
 生きるためには奉仕の続行を頼み込むしかない。

「不満だなんてとんでもありません。続けさせてください、女王陛下」
 視線を合わせたままベアトリスは懇願した。
「あら、そう? 舐めたいと言うのなら舐めさせてあげてもいいわ。でも、あなたは本当に私の足を舐めたいと思っているのかしら?」
「もちろんでございます。どうか、今しばらく舐めさせてください」

 自ら望んでいるのだという姿勢を示すくらいならば、強制された方がずっと楽であったに違いない。
 だからこそレイラは、このようなことを言い出したのだろう。

「そこまで言うなら仕方がないわ。好きになさい」
「ありがとうございます」
 許可を出す女王と、礼を述べる奴隷。理由は異なるものの、ふたりは共に無表情だった。

「それにしても、8人というのは、どうにも区切りが悪いと言うか、据わりが良くないわね。いっそ1人減らして、7人に整理した方が良いような気がしてきたわ。ねえ、ベアトリス。お前もそう思うでしょう?」
「…………」
 どう答えたものか判断がつかず、ベアトリスは黙ったままレイラの足を舐め続けた。

「解放されたい子は居るかしら? 誰かひとりだけ自由にしてあげるわ」
 レイラは8人の姫たちを順に眺めていった。

 誰もがレイラから目を逸らす。解放という言葉の意味が掴めず、姫たちは困惑していた。
 奴隷の身からの解放であるのなら願ってもないことだが、生からの解放、すなわち死を意味していたら……。
 どちらなのか判断できないうちは、とてもではないが手を挙げられない。

「希望者が居ないのなら、私が適当に決めることにするわ」
 レイラの唇の端が、ほんの少しだけ吊り上がった。
 まだどちらかと言えば無表情に近いが、彼女にしては表情の変化に富んでいた。指名されることを恐れて震える姫たちの様子を、心底から楽しんでいるのだ。

「そんなに怯えなくてもいいのよ。ひとり減らすことだけが目的なのだから、安心なさい。なにも、嬲り殺しにするつもりなんてないの。苦しむ間もないくらい、一瞬で殺してあげる。だから心配することはないわ」

 姫たちの間に緊張が走った。
 やはり解放は死を意味していたのだ。
 我が儘な女王様は、一度 言い出したことを、簡単に引っ込めたりはしない。自分たちの誰かは今日ここで死ぬ……。

 姫たちは、泣き出したい衝動を必死に堪えた。
 レイラの目を引くようなことは、何であれすべきではない。そんなことをすれば、自分が指名されてしまうかもしれない。
 自分以外の誰かの名が呼ばれるよう、姫たちは内心で願った。

 ベアトリスもまた例外ではない。
 こんなところで無為に死ぬのは耐えられなかった。浅ましいことだと分かっていても、他の姫が犠牲になって欲しい、と思ってしまう。
 ベアトリスは自分の心情に愕然としたが、恥ずべき願望を振り払うことはできなかった。

「どうしたの、ベアトリス。落ち着きがないわね。ひょっとして、『他の姫の代わりに自分が死んでも良い』と、そう考えているのかしら。それをどうやって主張すべきか、思案しているとでも言うの? だとしたら立派だわ、とても。勇猛な指揮官として私に立ち向かってきただけのことはある、と褒めてあげたいくらいにね。私が人を褒めるのは珍しいことなのよ。光栄に思っていいわ」

 淡々とした口調ながらもレイラは饒舌に語った。
 感情表現の乏しい彼女だが、だからといって口数が少ないというわけではない。今のように奴隷を いたぶっている時は、むしろ多弁でさえある。
 ただし、発音に強弱がなく小さな声色であることに変わりはない。

「ベアトリスは、私の奴隷になってからまだ日が浅いから、ここでお別れするのは少し もったいないわね」
 レイラは別の姫に視線を移した。
「お前が身代わりになってあげたら? 兵の尊敬を集めていた戦姫よりも、血筋だけで何の能力もないお前の方が先に死ぬべきではないかしら?」

 声を掛けられた姫は、震えながら首を横に振った。
「お、お許しください、女王陛下……」
「そんなに生きたいの? 奴隷の身になってまで生き恥を晒したい? 貴族の姫君として贅沢な生活を送っていた時と比べたら、今は地獄のような暮らしのはずよ。なのに、やはり死ぬのが怖いのかしら?」
「怖い、です。怖いです。死にたくないです」
「理解できないわね。いつかは元の生活に戻れるだなんて、そんな甘い夢を見ているわけではないのでしょう? 早く死んで楽になった方が良いのではないかしら。まあ、そうやってみっともなく生にしがみついてくれた方が、私としても楽しめるのだから、構わないけれど。むしろ、望むところよ。今回は見逃してあげるから、絶命する日までせいぜい足掻きなさい」
 レイラは姫たちを見渡した。

「さて、誰を選ぼうかしらね」
 焦らしているつもりなのか、レイラは黙り込んだ。
 ベアトリスは女王の足を舐めながら裁定の時を待った。
 残りの姫たちは懸命に身体の震えを抑えている。

「そうね、決めたわ。あなたにしましょうか」
 レイラがそう言う間も奉仕をさせられていたため、誰が生け贄となったのかベアトリスには分からなかった。
 顔を上げてレイラの視線を辿ればすぐに分かるだろうが、実行する気にはなれない。どのみち、指名された者がすぐに命乞いを始めるだろう。
「…………」
 しかしその声はなぜか聞こえてこなかった。

 まさか。
 ベアトリスは背筋を凍らせた。
 今回の犠牲者は私なのだろうか。有り得なくはない。ここでお別れするのはもったいない、とレイラは言っていた。でも、そんなことが何の保証になるというのか。すべては女王の気分によって決まってしまうのだ。
 背を向けているせいで、他の姫たちの様子は分からないけれど、ひょっとして今、安堵と同情の入り交じった視線が、自分の背中に集中しているのだろうか……。
 嫌な想像ばかりが頭に浮かぶ。

 確かめずにはいられなかった。恐る恐る視線を上げていく。
 レイラの顔が視界に入る寸前、背後から悲鳴が上がった。
「い、嫌よっ! 私、死にたくなんかない!」
 ベアトリスは振り返った。

 亡国の王女コーネリアスが、泣きながら後ずさろうとしていた。選ばれたのは彼女だった。
 コーネリアス姫は可愛らしい少女だが、レイラから鞭を打たれた際、頬に大きな傷跡が残ってしまった。数日前のことである。
 レイラは、奴隷の顔にはなるべく傷を付けないようにしていたが、意図せず傷を負わせてしまうことも少なくなかった。
 そうなったら最後だ。レイラはその奴隷に興味を無くしてしまう。つまり、近いうちに処分される。

 ベアトリスは罪悪感に冒された。
 多分コーネリアス姫が真っ先に選ばれるだろうと思っていたが、その通りになった。
 自分の勝手な予想のせいでコーネリアスが選ばれてしまったような気がして、非論理的な後悔を抱いた。
 コーネリアス以外の姫が選ばれていれば良かったと思っているわけではない。自分が手を挙げればよかったと思っているわけでもない。
 ではどうなれば良かったのか。分からなかった。

「お願い、助けて……誰か、誰か……」
 哀れなコーネリアス姫は、同郷の侯爵令嬢に救いを求めた。
 侯爵令嬢とは、捕虜になる以前から親交を深めており、お互いに囚われの身となってからも、レイラの居ない時に慰め合っていた仲だった。
 彼女ならば、自分のために命を賭してでもレイラを諫めてくれる。コーネリアス姫はそう思ったのである。

 当の侯爵令嬢は、慌てて視線を逸らした。迷った末にというわけでもなく、気まずそうにというわけでもなく、ただただコーネリアスの視線から逃れようとしたのだった。
 侯爵令嬢は口を開かなかったが、その動作が彼女の心情をなによりも雄弁に語っていた。

『早く死んでください。せっかく生け贄が定まったのですから、レイラの気が変わる前に潔く死んでください。巻き添えにされては かないません。顔に傷の残ったコーネリアス様が選ばれることは最初から分かっていたのですから、これはもう、逃れようのない運命と言う他ないではありませんか。コーネリアス様が無駄に足掻くことによって女王の機嫌が悪くなったら大変です。私は余計な折檻を受けたくないのです。これからも生きていかなければならない私のことも考えてください。さあ、早く。早く死んでください』  そうした侯爵令嬢の態度にコーネリアス姫は顔を青ざめさせた。
 不意に、他の姫と目が合う。ベアトリスだった。
 戦姫ベアトリスは、苦痛を堪えているかのように顔をしかめながら俯いた。
 自分が生き残ることに罪悪感を抱いているらしかった。

 コーネリアス姫は強烈な不快感を覚えた。
 開き直って冷酷な態度を取られるのも嫌だが、ベアトリスのように、気の毒そうな顔をされるのも堪らなかった。
 ベアトリスが辛い思いをしているのは分かった。しかしそれがどうしたというのだろう。
 身代わりになるつもりなんて毛頭ないくせに、同情しているような顔をしないで欲しい。手を差し伸べようとしないという点において、ベアトリスと他の姫たちとの間に違いなんて存在しないのだから。

 レイラが、笑い声を漏らした。
 ともすれば聞き逃してしまいそうなほど小さな声だったが、女王が笑うのは珍しかった。
 各々の心情を交錯させている姫たちを見透かして、面白がっているのだ。

 狂人と呼ばれる女王は言った。
「何を勘違いしているの、コーネリアス。私は別にあなたを処分しようだなんて言っていないわ。あなたは殺す側よ。私に代わって不要品を処分しなさい。そのために指名したの」
「……え」
 コーネリアス姫は、レイラの言葉を理解するのに数秒を要した。

「あ、あ……ぁあ……」
 処分されるのが自分ではないのだと分かり、コーネリアス姫は全身を大きく震えさせた。死の恐怖に直面していた時よりも激しい震えだった。
 強烈な安堵感が、彼女の目から涙を溢れさせる。

「コーネリアスの手で生き地獄から解放されるのは、お前よ」
 レイラの示した指の先には、侯爵令嬢が居た。
「そんな……」
 令嬢は呆然となった。
 親友であったコーネリアス姫を見捨ててまで生き残ろうとしたというのに、あまりにも無情な通告だった。

 酷すぎる、と侯爵令嬢は思った。怒りすら感じたが、その矛先をレイラに向けることはできなかった。
 『どうせ死ぬのなら』と開き直って罵倒したらどうなるか、侯爵令嬢には分かっていた。
 実際に目撃したことがあった。

 数ヶ月前、死を宣告された姫がレイラに恨み言を吐いた。
 たった一言に過ぎず、文字にするとわずか14字でしかなかったが、レイラは許さなかった。
 姫は延命された。
 むろん、慈悲を与えられたわけではない。
 姫は拷問の末、人とは思えぬような姿となった。拘束されているわけでもないのに、身動きすらできなくなった。
 生きているだけでも耐え難い苦痛を感じるような有様だった。死んで楽になりたいと願ったことだろう。
 しかし、拷問が終わってから14日間は強引に生かされた。
 自身が発した恨み言の文字数と同じ日数分だけ苦痛を積み増された彼女は、軽率な発言を心底から後悔しながら死んでいったに違いない。

 侯爵令嬢は、その教訓から何も学ばないほど愚かではなかった。
 だが、怒りは誰かに向けなければ収まらない。ありったけの敵意を込めて、かつての親友であったコーネリアス姫を睨み付ける。
 その視線には殺意すら含まれていた。

 貴族令嬢として何不自由なく暮らしていた時には決して抱いたことのない感情だった。本来なら一生無縁であったろう。
 自分よりも容姿の優れた者を妬んだり、口うるさい教育係を疎んじたりする程度のことはあったが、真剣に誰かを憎んだことは、一度としてなかった。
 侯爵令嬢の利益を侵害しようとする者が居なかったため、彼女も、心に余裕を持っていられたのだ。
 宮廷では友人に優しくすることができた。そこそこに慈しみを振り撒き、そこそこに使用人から愛された令嬢となれた。
 国が健在であったならば、そのうちどこか有力貴族の家に嫁いで、良き貴族夫人として人生を全うしていただろう。
 自らの醜悪な一面を知ることは生涯ないはずだった。

「どうしたの、恐い顔をして。コーネリアスが怯えているじゃない」
 レイラの声は、普段通り抑揚がなかったが、かすかに弾むような響きがあった。
「そんなにも死にたくないのなら、少し待ってあげましょうか。特別に、心の準備をする時間をあげるわ」
「…………」
 侯爵令嬢は何も言わなかった。
 レイラの意図は分かっていた。たっぷりと死の恐怖を味わいながら、コーネリアス姫に対する殺意を熟成させなさい。そう言っているのだ。
 感謝なんてできるはずはない。

 返事がないことを気にした風もなく、レイラはベアトリスに目を転じた。
「何をしているの。舌が止まっているじゃないの」
「申し訳ありません、女王陛下」
 ベアトリスは、言われて初めて動きが止まっていることに気付き、慌てて奉仕を再開した。
 屈辱的な作業だが、コーネリアス姫や侯爵令嬢を見ているよりは良いだろう……。

 レイラの足を舐めながらベアトリスは思考した。
 このような蛮行がいつまでも続くはずはない。征服地に対する悪逆非道な行いは、すでに多くの国々の知るところとなっている。周辺国による対ベリチュコフ包囲網が、遠くないうちに確立されるに違いない。

 レイラ自身も問題を抱えている。ベアトリスはそう見ていた。
 女王レイラの艦隊指揮能力は突出している。劣勢における奇策。優勢における力業。追撃における早業。いずれも他者の及ぶところではない。
 けれど、戦場に軍艦を並べるまでの過程を軽視する傾向が彼女にはある。

 カーライル領の深くまで侵攻しているのに、こんな馬鹿げたことに興じているのも、その証左と言えるだろう。
 偵察の報告を受けている様子もない。
 カーライル軍の指揮官は怯えて王都に籠もっている、と決め付けているのだ。

 どんな状況でも海戦になれば必ず勝ってきたこれまでの経緯を考えれば、レイラがそのような思考に陥るのも無理はないが、これは明らかな弱点だ。
 今まで上手く行っていたからといって、これからも上手く行くとは限らない。
 いざ艦隊決戦となると負けを知らないレイラは、その程度のことを学ぶ機会がなかったのだ。
 いずれ、嫌でも学ぶ時が来るばず。それがいつのことなのかは分からないが。

 現在レイラに侵略されているカーライル王国はどうだろう。
 今レイラは油断しきっている。付け入る余地は充分にある。
 問題は、思い切った決断のできる指揮官がカーライル軍に居るかどうかだ。
 カーライルの国王と、名将と言われている長兄は、残念ながら遠征に出ているらしい。
 やはり期待は薄いのだろうか。

 ベアトリスは、カーライル領における現時点での最高責任者に思いを馳せた。
 カーライル王国には、一度だけ赴いたことがあった。
 何年も前のことなので、記憶があまり鮮明ではないが、カーライル王と長兄の顔は思い出せる。
 しかし肝心の、カーライル王国の命運を決する立場であろう第二王子の顔は、なぜか浮かんでこなかった。


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